日記のメモ書き2022/08/12


朝からゆっくり。

『少女たちの戦争』を少しずつ読み進めている。

祖母は終戦のとき2歳だった。大阪に暮らしていた(はず、)
終戦から10年ほど、小学校高学年のころから平和教育が変わったことを今日話してくれた
それまではずっと反戦歌を歌ったり、反戦の映画を見に行ったりしていたのが、ぱったりなくなって、
どの先生が赤だ、なんだってうわさがまわるような様子だったそう。

祖母より少し上の世代は、もっと移り変わりを体験しているだろうねと言う黒塗りの教科書から、内容が変わって、こんどはまたがらっと変わって。
戦時教育から戦後の教育に、冷戦中の教育へと移り変わるのを身で感じた世代だ

それぞれのうちに戦争がある。
長岡の花火大会は、空襲への弔いとして戦後始まったらしい
花火、美しいけれど。ひゅ~~~どぉぉぉぉん、って音に空襲を思い出して花火は嫌いだという方の話をきいたと祖母が言う

私は昔からサイレンの音が苦手だった。
もしかしたら戦闘機が飛んでくるのではないか、と思うから。
空襲警報と防空壕。昔から見ているアニメや映像資料が思い起こされる
いつも、ほんとうに最初にそう思って、いや、今の状況でそんなことはない、日常生活をほら周りの人も送っていると思い直す。
でもいつか、急に、ばくだんが落とされるかもしれない

そうなってはいけないから、良く見聞きし、話し、生活していかなければいけない。


何の記事だったか、女性参政権が日本で始まって76年と見かける。
学校で習ったはずなのに忘れてしまう。女が投票できるようになったのより、終戦の方が昔なのだ。
あの頃の女性は、選びようもなく、巻込まれていった


祖父の集めた新聞の切り抜きを少しずつ読む。
叫んでいることの中心は一緒だ。
どういう想いで読み、切り抜き、まとめていた(いる)のか。。。


動画を2本見る。
アメリカからみるヒロシマ

【アーカイブ】原爆を開発、投下に同行、映像撮影したアグニュー博士と被爆者の対話の一部始終(2005年放送)


【BBC】 広島の被爆者に対面したアメリカの大学生たちは
https://www.youtube.com/watch?v=pWiD-tdgoMM


特に、アグニュー博士の動画については、まだ何をどう言っていいか分からない。でもみる必要がある。広くみる必要のあるものだと思う。
中学3年でパールハーバーについて初めて学んだ。その時、自分の無知が恥ずかしくてたまらなかった。フィリピンで日本の兵が民間人を虐殺しているビデオを見たときも、こうしたことを知っていかなければならないと思った。

戦時の加害も被害もすべて戦争のせいにできるだろうか。
私はいちばんの当事者として負う者ではないし、体験もしていないのにそんなジャッジはできない。でも、考え対話することはしたい。
私という立場で、どう振る舞うのか。

ひとりひとりの命、人生、つながり、先の日々、生活
奪われたものは奪われたまま

被ばく者だけが被害者ではない。全国の空襲、飢餓、沖縄の本土戦、真珠湾、フィリピン、南方の島、大陸
私の知っていることはちいさくちいさく薄っぺらいと思う
たくさんのひとの、ひとらしい生活が奪われた

でも、傷ついたひとや土地が、傷ついたと言うことが、もう惨禍を引き起こしてはならないと叫ぶことが
おあいこだなんて、戦争中は仕方なかったのだ、なんて形でかたづけられてはいけない

傷ついたということ、謝ってほしいと思うこと、傷つけたということ、謝れないと思うこと
傷ついたということ、謝ってほしいと思うこと、傷つけたと言うこと、謝れないということ

謝れないと言うこと、謝ってほしいと言うこと
もう戦争はしてはならないと意思をもつこと
どれもが存在する、同時に。

60年の時があって語ることの出来たことなのかもしれない

歴史はつくられる
だから、記録を市井の記録を。

願っているみらいはおなじはず

考え続けるしかない。

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