映画『エルヴィス』感想
注意:若干のネタバレを含みます。
『ボヘミアン・ラプソディ』に続いてのアーティスト伝記映画。
QUEENもそうだったけど、ELVISも私はまったく聞いたことがなかった。
ということで、どうしても『ボヘミアン・ラプソディ』と比べて(比べられて)しまう。
ヒーローが伝説になるにはその絶頂期に死ぬ必要がある、というドラマツルギーを個人的に私は信じている。
そしてエルヴィスはその絶頂期を無理矢理に引き延ばされ続けてなおその期待に応え続けた果てに死んでいった、というのが映画を見た印象だ。
「◯◯さんは△△な人だと思ってたのに」という他人が自分に「勝手に」期待していたのに対して、「あんたが私のことをどう思おうと自由だけど、それが外れたことを私のせいにしないで」なんて場面がよくある。
それがエルヴィスの場合は、その思い込みの強さ(本人が語っている)と相まって、大佐に導かれるままに「スター・エルヴィス」を、本人の意志(意識)すらを超えて演じ続けてしまう。
「スター・エルヴィス」というペルソナ(仮面)をかけている時間が長くなるほど、自分が「ミスター・プレスリー」なのか「スター・エルヴィス」なのか区別がつかなくなっていく。
その果てがプリシラ夫人との別れであり、ライブ以外はクスリ漬けになってしまう生活に繋がる。
それでも「スター・エルヴィス」は「ファンの愛」に応えるために、「ミスター・プレスリー」の身体を蝕み続ける「スター・エルヴィス」のペルソナをかぶり続けてしまうのだ。
大佐が「エルヴィスを殺したのはファンの愛だ」と語るのはこんな意味があるのだと思う。
この作品、最後はあまりスッキリとした終わり方にならない。
それは、見ている私たちが「エルヴィスはファンの愛に殺された」と大佐が語るのを見て、「そのエルヴィスを最後までエルヴィスに縛り付けていたのはお前だ」ということを明確に理解できるからだろう。
トム・ハンクス演じる大佐の役がそれくらいハマっていたとも言える。
全体的な印象としては、エルヴィスのスターダムを最初から最後までまんべんなく描こうとしているから、無駄に長くて間延びしている印象が強い。
はっきりと注目すべきクライマックスを描き分けた方がいいんじゃなかったのかなと思ってしまう。
幼少期のゴスペルとの出会いの場面と、最後のライブ映像は強烈でよかった。
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