映画『ベイビーブローカー』感想
注意:若干のネタバレを含みます。
「赤ちゃんポスト」に赤ちゃんを捨てた若い女・ソヨン。
そこに勤務しながら、捨てられた赤ちゃんをさらい、正式に養子縁組をするのが困難な夫婦へと赤ちゃんを仲介する二人組の男・サンヒョンとドンス。
ソヨンは赤ちゃんを捨てた翌日、施設に赤ちゃんを取りに戻るが、その日に赤ちゃんポストには誰も入っていないことになっていた。
サンヒョンとドンス、ソヨン、ドンスを慕う孤児のヘジン、そして赤ちゃんのウソン、奇妙な「ニセモノ家族」5人組の旅が始まった。
『ドライブ・マイ・カー』と同じく世界で絶賛されたのはどんな理由があってのことだろうと興味があった。
「面白かった?」と聞かれれば「うーん・・・。」となる。
エンターテインメントというよりは芸術作品といった印象だ。
(言い方は悪いけれど)面白さを捨てて、賞を狙いに行く芸術性を重視した作品としてみると、第一に気にかかったのは「舞台が整いすぎている」という点だ。
ブローカーも刑事も、関わる人がそれぞれみんな孤児だったり子どもがいなかったり離婚していたりで若干リアリティが希薄だ。
登場人物たちは、初めはそれぞれ自分の理屈で行動している。
サンヒョンとドンスは金が目当てだし、ヘジンは自分をドンスの養子にして欲しいと無理やりついてきている。
刑事のスジンは人身売買を現行犯で押さえるため、早く赤ちゃんを売るように仕向けている。
その中でソヨンの行動だけは終始謎に包まれたまま物語は進む。
ウソンを言い値よりも安い値段で買い叩こうとする夫婦には「お前らなんかに渡すもんか」と契約交渉の邪魔に入り、決して自分ではウソンの面倒を見ようとしない。
更には尾行してきた刑事と接触した上で盗聴やGPSを設置する手伝いまでしている。
しかし、時間が経つにつれてブローカーも刑事も、ソヨンの行動の意味を少しずつ理解していく。
ソヨンは「自分がウソンの母親であることを放棄することによって、ウソンの本当の母親であろうとしていた」のだ。
芸術性の高い作品は、物語そのものよりも、1段階抽象度の高い「神話レベル」で物語を昇華させていくものだ。
この物語の登場人物たちは、「母ソヨン」の姿に影響されて、「自分の目線」だけでなく「赤ちゃんの目線」を手に入れていく。
そしてソヨンから一人ずつ祝福されるのだ。
「生まれてくれて、ありがとう」と。
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