頭のゴミ掃除

風呂に入っていたら色んなことが思い浮かんで、いつもだったらA4ノートに書き殴るのだけど、なぜかnoteの存在を思い出し。
いつもならもう寝ていたい時間、1年以上ぶりにこうしてまた駄弁をするのでした。

上の文を書いていて、関係ないけど大昔に古文でやった土佐日記の書き出し
「おとこもすなる日記といふものをおんなもしてみむとしてするなり」
を思い出した。
言い訳せんでも書けばええがなと思ったなと。

ちょうど1年くらい前、私は今の会社に転職を果たした。
今の会社はたまたま上司との相性がよく、今のところ楽しく仕事がやれている。

業務としては未経験だったため、この1年間はかなり上司も配慮をしてくれた仕事配分になっていた。最初の半年はそれで十分だったが、その後どんどん「ちょっとサボったとしても全然支障が出ない」くらいには感じてしまっていた。
でも前職で経験した「忙しさ」は私にとって心身を蝕むものとして記憶されていたし、ひとくくりに「忙しい=悪」となっていたのでこれでいいとも思っていた。

この冬は特に気温や気圧に心身をやられることが多かった。
心身をやられると私はどうなるか。
いらん心配や将来の不安ばかりを考え始める。
暇な時ほど考える。
ちょうどこの心身をやられぎみだった時期と、仕事が暇な時期が被ってしまった。
するといらん心配と起こっていない不安ばかりが自分を支配して、楽しめたことが楽しくなくなり、興味あったことが興味なくなり、家事や掃除など日々ちょこっとできていたことでさえとても面倒で、平日も休日も何かしたいのに何もしたくない(できない)状態が続いた。さらに暇になる。考える。の負のループである。
なんなら普段なら気にも留めない日常のちょっとしたことに一喜一憂してしまったりする。例えば、コップの水をこぼしてしまったら、普段なら(私はよくモノを倒してこぼすので)あちゃーまたやっちゃった。くらいなものが、ああ私の進む方向は間違っているのだ、全てうまくいかないんだ… と思ってしまうとか。
とてもしんどかった。

けどそんなしんどい中、2月頃だったか、私はもうちょっと仕事が忙しくなればいいのになと思うになっていた。仕事が忙しくなれば考え事する時間が減るのにと。
3ヶ月くらい苦しんで、苦しみ切ったのかもしれない。
苦しいのに飽きたとも言えるかもしれない。
忙しい=悪という考えは無くなっていたし、忙しくなりたいと思う自分というのは人生で初めての経験だったように思う。
さらに、もしかして集中力というものがなくなっているのだろうか、一つのタスクだけでは飽きてしまうことが多々あり、飽きるとどうしようもなく眠くなってしまうため、並行して3つくらいタスクが持てればなあとも考えていた。
これも今までの人生振り返れば自分にとってはなかなか珍しいことである。
特に前職時代は、やっていることの他にタスクを振られようもんなら(断れない人だったので)「わかりましたやってみます」と返しつつ涙目になるくらいパニック状態だったし、焦りで余計どのタスクもできなくなり、どれから手をつけたら….となって本気で動けなくなってしまっていた。やめてくれ私はシングルタスクなんだよ!!!!と。

そして3月下旬ごろから変化が。
急にチーム内で体調不良者が出てしまい、その余波が私にもきた。
急に、ちょうどいい感じに仕事が忙しくなってきたのだ。
さらに今並行して抱えている案件は3つ。
忙しいことが心地よいと感じるときが来るなんて考えもしなかった。
3つの案件を持ち、それぞれ「飽きたら別のをやる」なんて対応をしているので、どれがどこまで進んでおり、次は何をすべきか、を整理しているときは自分でも頭フル回転になっていると感じるのだけど、それすら終業後には心地よい疲れになっている。仕事中の頭は常にどれかの案件にリソースを取られているのでいらんことを思い悩む時間も大幅に減った。
もちろん、今思ばこれには自分の中での前兆もあった。
まずは2月、たまたま睡眠計測を始めていたのだけど、私は働き始めてからというもの十分な睡眠を取れていなかったのではということに気づき、とにかく睡眠の時間確保と質を上げられるように気を使い始めた。
すると3月に入った頃から、家事、掃除、食事など身の回りのことをまずはできるようになろう、と思えるようになっていた。
身の回りのことが少しずつできるようになってくると、それに合わせて自分に余裕が生まれてきて、物が多いことでストレスを感じていると気がついた。
これは観葉植物にはまってしまったのもきっかけだったように思う。
この植物たちにふさわしい部屋で過ごしたいと思うようになっていた。
そこでこんどはモノを減らして視覚的にもすっきりしたい!となり、部屋中のものを対象に大幅な断捨離を決行。
断捨離した効果はかなりあって、1年以上ぶりに「家で過ごすのもいいな」と思えるくらい家が快適な場所となっていた。それまではどうも家という場所なのに落ち着かず、休めている気がしていなかった。
2月から徐々に、負のループから正のループに乗り移ることができていた流れとして、この3月下旬からの変化につながったように感じる。

こうやって書いてみれば、全ては正のループに乗るために起こるべくして起こったように見える。
陰極まって陽となる。
長年ちゃんと休めていなかった私を、言うなれば「いい感じの私」でいられていない私を、何かが軌道修正のために起こした出来事だったと。私がそう感じるからきっとそうなのだ。
全ては必要なことで、大きな大きな枠で見ると全てはうまくいく流れに乗っていただけだったと。思ってもいいんじゃないか。

人生うまくいくもんだねぇ。
幸せなことしか起こらんですわ。