あれから7ヶ月が過ぎました

単身、環境を変えようと
小笠原諸島に行き、そこで新しい生き方を身に付けるかと思いきや大腿骨複雑骨折という壮絶なけがをして7ヶ月が経ちました。

不安でした。
これからのことをかんがえると

私には支えてくれる家族もいない。
在職中だったら、職場が待っていてくれるとかそんなふうにも思えた。
目の前にあったはずの道が
ふっと真っ暗になり、音が聴こえなくなり
宇宙空間にただひとり、
宙ぶらりんになったかんじでした。

私の声は
誰にも聴こえない
宇宙の闇のなかへ吸い込まれていく。

けれど
家族はいないけれど、
昔はいなかった
不思議な仲間たちがいた

入院中は代わる代わる駆けつけてくれ
まるで
病院がにぎやかなカフェになったようだった

一刻も早く病院をでたくて
一ヶ月で退院した

お世話になったPTの人は
『本当にここまでリハビリがんばりましたね』とねぎらってくれた。
ちょっとどエスな人だったけど。

不思議な縁で
済ませてもらうお家がみつかった。

あれから毎日、リハビリをし
最低5キロは歩き、
歩け、歩け、歩け、歩けと念仏のように唱えていた。

お金もどうにかしなくちゃいけなかった。

治療費を払わなくちゃいけない。
毎日の食費や光熱費
保険代、リハビリ代まで。

最低7万円くらいは
在宅で稼がなくてはいけなくなったのだ。

私は特にパソコンスキルはない。

そのとき、パソコンすらもっていなかった。

でも、思い付いたときにはもう買っていた。

でも、在宅ワークは想像以上に
【くだらねえ!】仕事で溢れていた。

しかし、段々と眼が肥えてきたのか
クラウドワークスにある案件の
素性はどのようなものか
文面をみればわかるようになった。

つまりは、くだらねえ案件には
ひっかからないということ。

玉石混交を掻き分けて
生活費を稼ぐということは並大抵のことではない苦しさをしると同時に
自分の手で稼いでいるという
サラリーマンとは違う喜びがあった。

案件なんていうのは
大抵、一週間かそこらで終わってしまう。
終わるということは、
やりながら次の仕事もみつけるということ。
この流れるような激流のペース感は
つらいには、ツライ。

でも、選択肢がないのである。

誰かにお金を借りるか

国に頼るか

さもなくば、自分で稼ぐ

考える余地なしである。

わたしは、何もせずにだまって指加えて生きるつもりはない。

わたしは

自分の

この先の人生が見てみたいのだ。

きっと、大きく手を振って待ってくれている。

だから、奪還する。
そう決めたのだ。

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