かけがえのないはずの子供との時間が苦痛に感じるとき
こんにちは。サクです。
現在、新型コロナウイルスの影響でタイでは教育施設が休校という措置が取られています。
公園は閉鎖、幼稚園・習い事はオンラインに切り替わり1日ずっと子供と家にいるという状態です。
今回は、そんな状況下での私の心情を。
私は、子どもが苦手でした。
子どものストレートな感情表現に戸惑い、まっすぐに私を見つめる瞳は私の笑顔の奥にある腹黒さを見透かされているような気がして。
自分の子供たち出産しても、やっぱりその子どもから受ける感覚は変わらなかった。
でも、やっぱり自分の子どもたちは可愛くて、大好きになった。
子どもの体当たりの感情表現に愛おしさを感じた。
私を見つめる瞳に、私がどれだけあなたを愛しているか伝わるといいのにと思った。
仕事を再開して子どもを保育園に預けているときは、帰宅後は子どもとの時間が楽しくて、家事を後回しにして子どもと過ごした。
タイに来て専業主婦になってからは、子ども達が幼稚園に行っている間にすべての家事を済ませ、子どもに全力投球してきた。
2~3週間の長期休みは、どうやったら楽しく充実した毎日が過ごせるか、思い出を作れるか、体験ができるかを考えた。
今、そんな日々がとても懐かしく、遠い昔の事のようにさえ思えてしまう。
今回で3回目の休園。
幼稚園や習い事のオンラインレッスンにも大分慣れた。
生活リズムも出来た。
だけど、回を重ねるごとに、私の精神を何かが蝕んでいく。
泥沼にはまり、いくらもがいても抜け出せない感覚。
常にママー、ママーと声を掛けられて思考や家事を中断させられる。
食事を作って、食べさせて、片付けての繰り返し。
片付けた直後から散らかされていく部屋。
子どもの泣き声は、不出来な私を責めているように聞こえてしまう。
子どもが楽しそうに笑いかけてきても、心から笑えない。
最近は、口角を上げることで精一杯。
何も面白いことが浮かばない。
仕事ばかりが増えて溜まっていく。
イライラする。
4月は月経が無かった。
クマがとれない。
身体が重い。
放っておいて。
話しかけないで。
一人にして。
そんなの知らないよ。
いい加減にしてよ。
そんな私の気持ちを子どものまっすぐな瞳に見透かされていると思うと、一気に罪悪感の波が押し寄せてくる。
大好きな子供とのかけがえのない時間が、今は苦痛だ。
今までは、限りある時間の中だったから子ども達に全力投球できた。
しかし、さすがに15時間ぶっ続けで、ゴールの見えない状況での全力投球は無茶だったのだ。
プロ野球選手でさえ15時間ぶっ続けの全力投球は、心身を病んでしまうでしょうね。
休園3回目にして、精神的・肉体的にボロボロになって、やっと気が付いた。
このままだと、子ども達と私にとって最悪の展開が待っている。
すでに、長女はたまに私を気遣うように行動している場面がある。
まずい。
この辺で、少し肩の力を抜いて考え方を変えていかないと。
私が笑っている場所が、子ども達にとって安心できる場所。
イイお母さんの定義を決めるのは、私でも他人でもなく子ども達だ。
子ども達にとってイイお母さんって、どんなお母さん?
長女に聞いたことがある。
「優しいお母さん」だって。
部屋をキレイにして、栄養バランスの取れた食事、なんでも完璧なお母さんは求めていないのかもしれない。
そう。
私を苦しめている原因は、完璧主義だったのかもしれない。
完璧主義は、独りよがりなのかもしれない。
子ども達は、完璧主義でキリキリしているお母さんなんて求めていない。
笑顔で穏やかな優しいお母さんなのかもしれない。
そう思ったら、私のやるべきことは変わってきた。
目の前の現実と、負のスパイラルに一筋の光が差したような気がした。
なにかで、読んだ。
「子どもは親を無条件で愛してくれる。」と。
イライラと苦痛の原因が分かったのなら、あとは改善あるのみ。
私は、頑張りすぎていただけ。
だったら、その頑張りを少し減らせばいい。
楽になるじゃん。
育児や家事に対して少し重く考えすぎていたというか、求められている以上のコトを勝手に自分に課していたようです。
今、子ども達から求められていることは?
最低限の家事のレベルを踏まえたうえで、やらなくていいタスクは何なのか。
考えたら、本当に肩の荷が下りた、そんな気持ちです。
30年以上、完璧主義とマジメな性格でしたから(自分でいうか!)、すぐには変われないでしょう。
しばらくすると、また完璧主義に苦しめられていることでしょう。
そんな時は、この記事を読んで自分を見つめ直し、肩の力を抜いていこうと思います。
私が、育児・家事の完璧主義から脱するための考え方や、やったこと、読んだ本などを少しずつ記事にしていきますね。
では、この記事がお役に立っていたら嬉しいです。
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