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「私たちって『サイキック以上』『スピリチュアル未満』だよねっ」という言説の深イイ話

仕事柄、正解のない課題に対して、システム思考でアプローチしつつ、現実の制約条件を加味しながら、きっちりオチをつける必殺仕事人のような仕事ばかりしている草食のらいおんは、物事を相対化しながら理解しようとする思考パターンに囚われやすい傾向があります(一種のプログラミングですね、これ)。

余談ですが、「行き過ぎた相対主義」がニヒリズムを生み出し、民主主義を危機に陥らせているとして、「新実在論」を提唱し、ポストモダニズムの限界を痛烈に批判する哲学界のロックスターことマルクス・ガブリエルの言説(著書「なぜ世界は存在しないのか」より)に上記のような自分の思考パターンの危うさを感じている今日この頃です。
これも余談ですが(前置きと余談が多く本編になかなか入らない傾向もこのブログにはあります(これも一種のプログラミングか?笑))、マルクス・ガブリエルは「自然主義」を批判しているわけですが、「自然主義」とは、科学的な法則のみがすべてを支配するという思想です。「自然主義」の行き過ぎが「この世に真実はない」というニヒリズムと相対主義へと人々を誘います。そしてこれは大変危険なんです。

本ブログのテーマは前の記事でも書いた通り「リーディング(透視)やエナジーワークと科学との融合」ですが、これは科学的な法則がスピリチュアルの世界の法則(「宇宙の法則」のようなもの)より優位であると考えているわけではありません。むしろ、「宇宙の法則」の方に普遍的価値(この世の真実)があると直観的に思うので、その価値をベースにした人類の幸せ(=世界平和)の実現を模索しています。そして、その方法論として、スピリチュアルと科学の中間領域に着目して相互の世界の融合を図ろうとしているわけです。
したがって、その点で相対主義を超えて普遍的価値(この世の真実)の存在を主張するガブリエルのバランス感覚は個人的にはとても共感するところがあります。

さて、予想通り順調に前置きが長くなったところで(笑)、いよいよ本編に入ります。
相対思考の強い筆者は、自らがハマっているリーディング(透視)やエナジーワークについても当然相対化して理解しようとします。そして、理解のために思考せず、それをテーマに瞑想するわけです(こん辺がややこしい・・ 笑)。
そして、閃いたんです。そう、それはまるで仲の良い二人(男女でも、もちろん同性同士でもOK)が、「友達」と「恋人」を相対化しながら、自分たちの微妙な距離感をその中間領域に位置付けて理解しようとするアノ言説「私たちって「友達」以上、「恋人」未満だよねっ」のように、同じ構造をリーディング(透視)に持ち込めば、その理解が深まるぞぉーっと!!(なので、今回のタイトル画像はそのイメージで選びました 笑)
はい、これだと全然意味不明だと思うのでここで瞑想を一旦終えて解説に入ります(笑)。

相対化するためには、まず比較対象とする存在や軸を設定する必要があります(そしてこの存在や軸は無数にあります)。しかし、ご存知のとおりリーディング(透視)やエナジーワークの比較対象足りうるものは少ないわけです(ひたすら筆者の怠慢のなせる業ですが、、笑)。
なので、本日も私のバイルブに登場していただきましょう!はい、いつもの「黎明」です(いつも同じですいません、、笑)

「黎明(上巻)」には、「霊視(リーディング)」を例に「サイキックとスピリチュアルの違い」について書かれています。以下簡単に要約します。

・サイキックとスピリチュアルの最大の違いは、「普遍意識」の関与の有無であり、スピリチュアルは普遍意識が関与する。
・サイキックな霊視能力は、限定された波動からリーディングするため、リーディーの心が作り出した過去生が客観的なビジョンのようにみえてしまうことがある。また、精神階層の住人が、何らかの目的であるヴィジョンをその人のオーラに印象付けることがあるが、その場合リーダーは自分が見ている光景なのか、それとも誰かから受け取ったヴィジョンなのかを判断するには、よほど経験を積んでいる人でない限り、難しい。
・いわゆる霊能力者と言われる人の用いる霊視能力はほとんどがこのレヴェルのもの。したがって、未来を予知したり、過去のカルマを見たりといった作業全てに主観が介在することになり、色々な間違いが生じる要因になる。
・スピリチュアルな霊視能力は普遍意識が関与しているもので、サイキックな霊視能力のように限定された波動ではなく、物質レヴェルからメンタル・レヴェルの最上層に至るまでの全ての波動で現象面を参照するので、それぞれのサイキックな観察者が見ている光景の一切と、その実相を把握することができる。
・サイキックな霊視では、特定の時空間にチャネルするような例外を除けば、幽体を通してその波動領域の外界が見えるだけだが、普遍意識では全体が自分で在るために、意識の焦点を創れば任意の時空間をみることもできるし、意識を拡大すれば、その魂の進化の度合いに応じて、地球圏全体、太陽系全体、太陽系が属する恒星系全体、銀河系全体といった広範囲な領域の、特定の時間的広がりを一望することさえ可能になる。

これを読んで「す、すごすぎるぜ!スピリチュアルなリーディング(透視)!!」って素直に私は思いました。「友達=サイキック」「恋人=スピリチュアル」に例えると(極めて不適切な例え・・笑)、「友達」と「恋人」との間には銀河系のスケールで距離があるように(本当??笑)「サイキック」と「スピリチュアル」の間にもそれと同じくらい圧倒的な差があるようです。
そんなことを思いつつ、これを読んだ時に私の相対化スイッチが発動したわけです。「自分のやっているリーディング(透視)はサイキックとスピリチュアルのどの辺りのレベルなんだろう?」という問いです。

「私たちって『サイキック以上』『スピリチュアル未満』だよねっ」

はい、今の所の結論はこうなるかなと思います。ただし、これはあくまで「私」のリーディング(透視)のレベルであってデルフィナのリーディング(透視)がそのレベルである、ということでは決してないことは強調しておきます。
さて、以下がそのように考える理由です。

まず、デルィナには「普遍意識」にどんぴしゃ該当する概念がないようです。ただ近いものはあるかなと思っていまして、ひとつは、「God of your heart」と呼ばれる自らの魂の真実の波動(そんな意味だったような、、汗)がそれで、もうひとつは「神(シュプリーム・ビーイング)」にチャネリングすることができれば(できるかは不明)、その意識が近いかなと思います。ただし、それらが上記のスピリチュアルなリーディング(透視)と同じなのかどうかは、今の私のレベルではわかりません。
ただ、いずれにせよ、私の今のリーディング(透視)のレベルは「スピリチュアルなリーディング(透視)」には程遠いことは理解できます。
それと同時に、この先「スピリチュアルなリーディング(透視)」に近いレベルに成長できる余地はあるかも?という予感もします。

では、サイキックなリーディング(透視)と比較するとどうかというと、「それ以上(少なくてもそれを目指している)」だと思います。
理由は、前のブログでも書いた通り、デルフィナのリーディング(透視)では、エネルギーを精緻に見極めていくことをとても大切にするからです。

自分が透視で視ている相手のエネルギーが「その人本来のエネルギー」なのか?「その人が思い込みやプログラミングで作り出しているエネルギー」なのか?はたまた「ビーイングたちがその人に干渉して発生してるエネルギー」なのか?はたまたはたまた「ビーイング自体がオーラの中に入っているのか?」などを見極めながら、それぞれに適切な対応をとる必要があります。(こう書くと、結構複雑かつ高度なことやってますね 笑)

ということで、今回は相対化しながら自らの実践するリーディング(透視)のレベルを考えてみました。
このアプローチは上述のとおり、無数の存在や軸で考察が可能なので、瞑想で視えたものを織り交ぜながら、引き続き面白い切り口を探求してみたいと思います。

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その他、このプロジェクト立ち上げ経緯などは以下の記事もご覧ください。

*記事に記載した内容はあくまで個人の見解であり、記事に記載した団体等の公式見解ではありません

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