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(悲報)ブログ存続のピンチ!「サイエンスとスピリチュアルのあいだ」を埋めることがどうやら無理ゲーっぽい件

こんにちは。らいおんです。
珍しく連続で投稿しております(笑)

さて、いきなりですが、悲報です(笑)
これまで細々と続けてきた本ブログですが、存続のピンチを迎えております!!(私以外の人には、どーでもいー話なのは百も承知ですが!w)

どういうことかと言いますと、本ブログのテーマは著者が個人的に探求している「エナジーワーク(スピリチュアル)と科学との融合」なのですが、それが無理ゲーかも?と感じてしまう本に出会ってしまったからです。
どのくらい無理ゲーかというとタイトル画像にある通り、ドラクエの冒険初期にいきなり歴代ラスボスが勢揃いして現れて、コマンド「遺書を書く」を押しちゃいそうなくらいの無理ゲーっぷりでなわけです(笑)

そんな著者を無理ゲーのどん底に叩き落とした本は、その名もズバリ「サイエンスとスピリチュアルのあいだ(天外 伺朗 , 前野 隆司 (著)(ワニプラス))です。

サイエンスとスピリチュアルのあいだ (ワニプラス)

この本の著者は、ソニーでCDやAIBOを開発した天外伺朗さんとキャノンでアクチュエータ研究に従事したのち慶應義塾大学教授に転じ、ロボットの研究に携わった前野隆司さんのお二人です。
ともにロボット工学を研究した科学者である二人が、目には見えないもの、言葉では語り得ないもの、実存的変容、ウェルビーイング、悟り、身体知、バーストラウマ、ホログラフィー宇宙モデル、超自我、老年的越境など互いに越境しつつあるサイエンスとスピリチュアルの最前線を語り尽くしているとっても面白い本です。

サイエンスの方法論の限界

これまで「ここまで来た「あの世」の科学―魂、輪廻転生、宇宙のしくみを解明する (祥伝社黄金文庫)」など数々の著書で、サイエンスとスピリチュアルのあいだを埋めようと試みてきた科学者である天外さんが本書では「無分別知にはサイエンティフィックな方法論では迫れない」と結論づけています。ちなみに「無分別智」とは、仏教の言葉で、「善:悪」「正:誤」などのあらゆる二元性を超越し、全てが溶け合った悟りのレベルの智慧のことです。天外さんはこの無分別智が確かにこの世に確かに存在しており、それは言語で説明できず、それがすなわち学問、科学的アプローチでは限界があると言っているわけです。
この辺りは正直、スピリチュアル界隈ではよく聞く言説なので特に目新しくはないのですが、上記の通り散々サイエンスとスピリチュアルのあいだを埋めようとしてきた天外さんが「それは無理ゲーです!!以上。」と結論づけている点の重みたるや。。。笑
本書の面白いところは、科学者として学問をベースに仕事をしてきた著者のお二人がサイエンスとスピリチュアルのあいだ(境界線)の「語りえぬ領域」について前野さんはギリギリ学問寄りの境界から語り、天外さんは反対側のスピリチュアルの境界から語っている微妙な差を保ちながら議論が展開する点にあります。

「語りえぬ領域:超個(自我の超越)」について

本書の中で語られる「語りえぬ領域」で個人的に大興奮だったのが、以前も本ブログで紹介した天外さんの「意識の成長・発達のサイクル」のティール以降の「超個(自我の超越)」(下図の赤枠部分)について解説している部分です。

意識の成長・発達のサイクル(K.ウィルバー「アートマン・プロジェクト」を天外が大幅に改訂)

ただし、解説に入る前に本書で天外さんは「この図を含め、意識の成長・発達理論について議論する時に、気をつけなければいけない大前提がある。それは、人間が必ずしもこのサイクル通りに成長・発達すると主張しているわけでない、ということす。」と言っています。(そして同じことはケン・ウィルバーもフレデリック・ラルーも言っていると言っています)
従って、この図をもとに「あの人は意識レベルが低い」「君はもっと意識レベルを高める努力をするべきだ」なんて低次元の乱暴な応用をしてはいけないと厳しく指摘しております。人間の意識の発達を学問的に言語で記述することの限界がある以上、この図もあくまで参照モデルに過ぎないと考えることが重要ということです。(この点は本ブログでも再三人類の意識レベルの進化の必要性を主張している筆者も気をつけたいと思いました)

さて、上記の注意点を頭におきながら「自我を超えていく(超個)」の段階を見てみましょう(ワクワク w)。

意識の成長・発達のサイクルの超個部分抜粋

そもそもこの段階はほとんどの人類が到達していないレベルなので、言語で語りえない部分が多いそうです。(この辺はこの図の元になっているケン・ウィルバーや天外さんの過去の著書でもあまり語られていない部分です(語りえぬ領域なので当然ですがw))さて、まず「生物社会的帯域」ですが、人間は自分が所属する集団全体が持っている認識様式の影響を受けており(縛りに囚われており)、同じモノを見ても、その認識がまるで異なっています(これを「メンバーシップ認識」「集合的一般常識」と言います)。
その認識様式の影響や縛りが解けるのが「生物社会的帯域」の段階です。つまり、我々が一般的に持っている常識の枠組みから外れるということです。
般若心経で言うと、遠離一切顛倒夢想(おんりいっさいてんどうむそう)(私たちの一般常識は物事をひっくり返して見ているようなもので真実から遠い。その認識から離れること)の境地に相当するそうです。

次は「身体との統合」です。ケン・ウィルバーは、身体と統合した状態をケンタウロスと名づけ「実存のレベル」だと定義しています。分離していたときは馬(身体)がいて、騎手(心)が乗っていた。その状態から、両者が一体化した状態というイメージです。もちろん身体と統合している人間はほとんどいないので、想像するしかないレベルです(笑)天外さんは同じ状態を「身体智が意識化されたレベル」と言っています。
要するに、何をどうすれば自分の身体にとって良いのか、悪いのかが全部わかるのだから、医者はほとんど必要なくなるそうです。すごいですね、思わず目指したくなっちゃいます(笑)

次が世界との統合です。さすがのケン・ウィルバーも、ここはあまり詳しく説明していません。天外さんの考察によると、これは仏教でいう妙観察智のことではないかとのことです。自分が観察しているモノと一体感を感じるレベルです。この感覚は天外さんも指摘する通り瞑想である程度体験することができると著者も思います。(樹木の前で瞑想していたらその樹木と一体になっている感覚など)
ただし、妙観察智とは、普段日常生活を過ごしている中でもこうした世界との一体感を持っている状態なので、瞑想で一時的に一体感を感じるレベルとは明らかに違うと言っています。
ちなみに、仏教では、この妙観察智レベルに達したのが観音様と説明しているので、これでも悟りの手前なんですね。ここからも悟りに達することがいかに難しいかがわかりますね。

次は宇宙との統合です。ここまでくるとわけわかりません!(笑)天外さんも「このへんはあまり追求せず、忘れたほうがいい」と言っています。
また、この段階を知る手がかりとして本書で紹介されているのが、テイヤール・ド・シャルダンという哲学者が提唱しているオメガポイント(オメガ点)という概念です。彼は、全人類がこのレベルに達すると、物質的世界は消滅すると言ったそうです。これは何となくわかりますね。

以上が、意識の成長・発達のサイクルの「語りえぬ領域:超個」の解説でした。ただし、天外さんはこの超個のレベルに知識欲を刺激される人もいるかもしれないが、そこにこだわりすぎる(例:悟りたい、聖なる存在になりたいなど)と、そのずっと手前の「成熟した自我(ティール)」になるために必要な「実存的変容=シャドーとの統合」を超えられなくなる、と指摘しているので、皆さん注意しましょう!(特に、この解説に興奮している著者が一番ヤバいのですが、、笑 自戒を込めて。)

エナジーワークのレジェンドでも「語りえぬ領域」はある

冒頭、著者は本ブログでは「エナジーワーク(スピリチュアル)と科学との融合」をテーマにしていると言いましたが、実は最近この「あいだ」を埋めるのは無理なんじゃないかなぁ(というより、埋める意味がない)とちょうど考えていたところでした。そんな時に本書に出会い、止めを刺された感じです(笑)
著者も薄々そう感じたエピソードを一つ紹介します。
著者は4年くらい様々なエナジーワークをしているのですが、基本的なエナジーワークは身体の中に魂を止めた状態で行います。ただし、上級者になると「あえて」身体の外に出て瞑想(エナジーワーク)をする方法を学びます(幽体離脱を意識的にする感じが近いです)。
このエナジーワークが本当に「訳がわからない」の一言に尽きます(笑)
簡単にいうと、身体の外にある第8−12チャクラを使いながら自分の魂を癒していくわけですが、何がどうなって(どういう原理で)癒されているのか、当の本人はよくわかりません。ただ強烈に癒されるので、何かが起こっていることは実感できるのですが。。
ちなみに、身体の外に出ることで時空を超えることもできます。(まぁ、これもよくわかりません 笑)

さて、このエナジーワークを指導できる指導者は世界に数人しかいないそうで、著者が習っている先生はそのうちの一人、まさにエナジーワーク界のレジェンドです。
そのレジェンドに当然「何がどうなって(どういう原理で)癒されているのか教えてくれ」と質問するわけなのですが、レジェンドの回答はシンプルで「私にもよくわかんない!(っつーか考えるな!)」でした(笑)。
当然著者は猛烈にガッカリしたわけですが、よく考えるとレジェンドの回答は上記で天外さんが指摘している通り「語りえぬ領域」を無理やり言語化しようとこだわるエネルギーが魂の進化を妨げる(だから考えちゃダメ)ということなんだろうと思います。

らいおん、それでもブログ続けるってよ

というわけで、本ブログのテーマが無理ゲーだということがわかったわけで、今回が本ブログの最終回になるかと思いきや、「辞めません!!(笑)」
なぜかというと、著者が本ブログを書いている理由に立ち返って考えてみました。筆者がなぜ本ブログのテーマを「スピリチュアル(エナジーワーク)とサイエンスの融合」にしたかというと、人類存続のためには意識レベルの進化が必要であり、その進化にはエナジーワークが多くの人にとって当たり前(筆者は「A面への転換」と呼ぶ)になることが必要であると考えたためです。そして、そのためにはエナジーワークが現在のアヤシゲなスピリチュアルの領域ではなく、「多くの人に理解できるように」サイエンスで語れる(融合)ようにならなければならない、と考えたわけです。

しかし、ふと思ったんですよね。「多くの人に理解できるように」なるには何も「サイエンスで語れる」必要はないんじゃないか?いや、むしろサイエンスで「語りえぬ領域」を無理やり言語化しようとこだわるエネルギーが逆に人類の意識レベルの進化を妨げることもあるんじゃないか、と。
つまり、多くの人が天外さんがおっしゃる「実存的変容」を超えて筆者が「人類生存ライン」と呼んでいる「ティール以上」に移行すれば、サイエンスのような合理主義(意識レベルで言うと後期自我(オレンジ))が信条の今の世界とは全く異なる「理解の仕方」を人々が普通に行うようになるでしょう。まさにOS(オペレーティングシステム)が変わるイメージです。
その新しい世界では、人々はスピリチュアルとサイエンスのあいだを行ったり来たりしながら、その間の「語りえぬ領域」もそのまま理解できるようになるわけです。
うーーん、、ジレンマですね。。。(苦笑)現段階で多くの人に理解してもらうにはサイエンスで語ることが必要だが、言語化にこだわると意識レベルの進化が妨げられる、、、
というわけで、本日の結論です。本日より本ブログのテーマは『「サイエンスとスピリチュアルのあいだ」を埋めることは無理ゲーであることを受け入れた上で、サイエンスで語りえぬ領域に架け橋をかけながら、ウロウロする(探求する)』という訳がわからない、かつ長い(笑)テーマで続けることにします。
気が向いたら、是非読んでくださいませ。(おしまい)

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その他、このプロジェクト立ち上げ経緯などは以下の記事もご覧ください。

*記事に記載した内容はあくまで個人の見解であり、記事に記載した団体等の公式見解ではありません


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