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卓球・伊藤美誠がユニフォームにヘラルボニーのアートを起用した理由

ー1人1人の個性が、羽ばたいていった形が異彩なんじゃないかと思います。1人として同じ人間はいないし、持っている考えや才能も全員違うと思いますし。ヘラルボニーさんと同じ考えだと思うんですけど、その人の可能性を信じて、縮こませるんじゃなくて、広げて羽ばたかせていくってことが大切なんじゃないかと思います。

こう話すのは、卓球・金メダリストの伊藤美誠(いとう・みま)選手(23)。

2016年のリオデジャネイロオリンピックに15歳で出場し、女子団体で史上最年少で銅メダルを獲得。2021年の東京オリンピックでは、卓球競技で日本人初となる金メダル(混合ダブルス)に輝きました。さらに、シングルスでは銅メダル、女子団体ではエースとして銀メダルを獲得するなど、言わずと知れた世界のトップ選手です。

そんな伊藤選手のユニフォームには、ヘラルボニー契約アーティストの和田成亮さんのアートが起用されています。2023年12月、和田さんが在籍する名古屋市北区にある福祉施設「アトリエ・ブルート」へ伊藤美誠選手が訪問。ついに和田さんご本人との対面が実現しました。

訪問の様子を伊藤選手へのインタビューを通してレポートしていきます。

伊藤美誠選手が直感で選んだ、自由で広々としたアート

左「ノースウエスト航空」、右「ユニバーサル」和田成亮

伊藤選手は、2023年からヘラルボニーとコラボレーションし異彩作家のアートを自身のユニフォームのデザインに起用してきました。伊藤選手が自身の強みでもある多彩なプレーとリンクさせて起用したのは、和田成亮さんの「ノースウエスト航空」。

和田さんは、大好きな国旗や飛行機などにインスパイアされた抽象画を描く作家。これまでも様々な作品を生み出してきました。ユニフォームに起用された「ノースウエスト航空」は、和田さんの持つ航空会社のイメージから作り出された、代表作です。

23年12月のクリスマスの日、伊藤さんは名古屋市北区にある福祉施設「アトリエ・ブルート」を訪問。ユニフォームのアートを描いた和田さんとの対面が実現しました。

和田 成亮(Shigetaka Wada)
アトリエ・ブルート(愛知県名古屋市)在籍。
1993年生まれ。動物や飛行機など、様々な絵を描いてきた。現在はブランドのロゴにインスパイアされたかのような作品を描いている。その手法は多岐に渡り、時として斬新な画法を生み出す。最近では、石けんの泡で絵を包み込むという手法にこだわっている。いつも本能のまま生きている彼は、類まれなる身体能力を持ち、部屋の中でも外でも飛び跳ねていることが多い。そんなバイタリティを持っているからこそ、新しい発想ができるのかもしれない。

契約アーティストの和田成亮氏との初対面

伊藤:このユニフォームを着ると、気合が入ってすごく楽しい気持ちで試合が出来ています。とても気に入っています!本当にありがとうございます。

コラボレーションで実現したユニフォームを着て現れ、和田さんへ感謝の気持ちを伝えた伊藤選手。そして和田さんの「ノースウエスト航空」の原画を、初めて目の前にしました。

伊藤:本当に世界観がすごいですね…ユニフォームが完成した時も綺麗で感動したんですけど、原画はもっと綺麗。こんな素敵な作品を自分のユニフォームにできたなんて!和田さんの思いを受け継いでいるような気がします。感激です。

和田さんは2014年から「アトリエ・ブルート」に在籍し、これまで300点近くの作品を手がけてきました。

作品名:「ふねみたい」

2013年のエイブル・アート展での出展を機会に、個展をはじめこれまでに数々の展覧会で作品を出展している、注目の若手作家です。

その描き方は多岐に渡り、動物や車などの好きなものをモチーフに、本能のままに描く独特のスタイルで、躍動感あるアートを生み出しています。

この日は、卓球のラケットにインスピレーションを受け、赤と黒の絵具をキャンバスに大胆に広げた力強い作品を、伊藤選手に披露しました。

アトリエ・ブルートの利用者さんたちと「卓球バレー」

その後、伊藤選手はアトリエ・ブルートの利用者と「卓球バレー」に挑戦。
「卓球バレー」は、卓球台の上でピンポン球を専用のラケットで打ち、バレーボールのように戦う競技で、高齢者から子どもまで誰でもできる競技として人気のパラスポーツです。

想像していた以上に白熱した戦いになり、大盛り上がり。
笑い声が湧きおこるなか、スポーツを通じて障害のある方々との温かい時間となりました。

アトリエ・ブルートを訪れて。伊藤選手へインタビュー

ーどんな思いでこのユニフォームを纏って試合に挑んでいるのでしょうか?

伊藤:「このユニフォームを着て試合に出ると、自分が誇らしい気持ちになるんです。みんなとは違う特別なユニフォームを着ているんだと思うと気合が入りますし、いつもより試合が楽しいです。

ユニフォームを作るにあたって、沢山のアーティストさんの作品を見せてもらいました。どれも個性があって胸にくるものがあって…本当に悩んだんです。でも最後は、和田さんの作品の自由で広々としたイメージに惹かれて、直観で選びました。

最初作品を見たときは、私は”自然”とか”森・緑”といったイメージなのかなと思っていたんですけど、和田さんは飛行機を描かれたと聞いて、とても素敵だなと思いました。見る人によって受け取るイメージが全く違うのも、アートの魅力ですよね。」

ー福祉施設を訪れてみて、いかがでしたか。

伊藤:和田さんはじめ皆さんの作品や制作風景を目の前で見て、自分には絶対にできない表現だなと感動しました。1人1人その個性があるからこそ、表現できるものがあるんですよね。

一方で卓球バレーの時にみなさんの勢いに圧倒されて、私も本気になってしまって(笑)
私自身負けず嫌いなんですが、そこはみんな一緒なんだなと思いました。何事にも本気で取り組む姿勢というか…そこはスポーツもアートも同じですよね。もしかしたら言葉では通じ合えない、通じにくい部分があるのかもしれないけど、スポーツやアートでは通じ合えると思いましたし、とても楽しかったです。

―そもそも、「障害」に興味をもたれたきっかけは何でしょうか。

伊藤:自分がオリンピックに出場させていただいた時に、パラリンピックの卓球競技を見て「自分にはできないことをしている!」と感動したのが、最初です。

もしかしたら、パラ競技の方々は私がしている卓球はできないって思われているかもしれないんですけど、逆に私たちはパラの競技はできない。それってお互い様なんだと思うんです。全てができる人は存在しなくて、出来ることと出来ないことを共有するのが人間なんだと考えるようになり、関わってみたいと思いはじめましたね。

ーユニフォームを通じた関わりの中で、感じることはありますか?

伊藤:動機としては、障害のある人を“助けたい”ということじゃないんです。もっと素直な気持ちで、「私がやりたい、関わってみたい」と思って行動しているだけなんです。

今日実際に皆さんにお会いして改めて感じたんですが、1人1人が強い個性に溢れていますよね。そういった方が自由に羽ばたいていける世界になったらいいのにっていつも思っているんです。

そのために自分ができることはなんだろう?と考えた結果、今回はヘラルボニーさんの力を借りる形でユニフォームを作らせてもらいました。私にとっても、アーティストの方々にとっても、お互いプラスになって、最高なんじゃないかと思っています。

ー伊藤選手が感じる課題感はどんなものでしょうか。

伊藤:海外に行くことも多い中で、海外では日本よりも障害のある方が活躍できる場が多いなと感じます。障害を隠したり、”障害者”として気を遣う雰囲気ではなくて、個性として受け入れる雰囲気があるように思うんですよね。

今の日本だとなかなか働く場が少なかったり、出来る仕事の幅が狭かったり…。障害のある方の中には1つのことに飛びぬけている方もきっと多いと思うので、その才能や個性を理解して伸ばして、活躍の場が作れるような社会になってほしいと思います。

ー伊藤選手の行動力の高さには驚かされます。

伊藤:例えば”障害のある方に対してなにかやりたい”と思っても、なかなか1人じゃできないと思うんですよ。私が今回ユニフォームを一緒に作らせてもらえたのも、私の思いを汲み取ったマネージャーさんがヘラルボニーさんに連絡とってくれたり、周りの方が一緒に取り組んでくれたからできたことなんですよね。

1人じゃできないけど、それが2人・3人と広がっていけば実現できるので、やりたい!と思う強い気持ちで、仲間を見つけることが大切ですね。

ーヘラルボニーは「異彩を、放て。」をミッションに掲げているのですが、伊藤選手の考える「異彩」とは何でしょうか。

伊藤:やっぱり1人1人の個性が、羽ばたいていった形が異彩なんじゃないかと思います。1人として同じ人間はいないし、持っている考えや才能も全員違うと思いますし。ヘラルボニーさんと同じ考えだと思うんですけど、その人の可能性を信じて、縮こませるんじゃなくて、広げて羽ばたかせていくってことが大切なんじゃないかと思います。

幼い頃から世界を相手に戦い結果を残してきたからこそ、自分自身、そして人間の可能性をまっすぐに信じている伊藤美誠選手。そんな彼女の目には「障害」が「個性」として映り、誰もが生き生きと活躍できる世界を願っています。

異彩のアートをまとい、世界を舞台に大きく羽ばたく姿から目が離せません。

【伊藤美誠選手 Profile】
2000年10月21日 静岡県出身。
2歳から卓球を始め、2008年(バンビの部:小2以下)、10年(カブの部:小4以下)の全日本選手権で優勝。11年の全日本選手権・一般の部で(大会)史上最年少勝利記録を更新し、15年にはドイツオープンのシングルスで優勝し、世界最年少優勝記録を樹立した(ギネス記録認定)。
2016年のリオデジャネイロオリンピックでは、女子団体で最年少の15歳300日で銅メダルを獲得。19年1月の全日本選手権大会では、女子シングルス・女子ダブルス・混合ダブルスで女子史上初となる2年連続3冠を達成した。21年の東京オリンピックでは、卓球日本代表選手で唯一3種目に出場。混合ダブルスで日本卓球史上初のオリンピック金メダルを獲得し、同種目の初代王者に。シングルスでは銅メダル、女子団体戦ではエースとしてチームを牽引し銀メダルを獲得。夏季オリンピック史上、日本女子初となる1大会で金・銀・銅すべてのメダルを獲得した。

執筆:桑山美月
編集:小野静香
撮影:桑山美月

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