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仕事の意味について

初めまして、佐々木春樹と申します。

ブランド「HERALBONY」のデザインや、(株)ヘラルボニーでのクリエイティブ全般を統括しています。

(株)ヘラルボニーの前は、FRAPBOIS(フラボア)というファッションブランドで15年間デザイナーをしていました。

アートが好きで、色々なアーティストとコラボレーションをしている中で、ダウン症の方々のアートを使い「フラボア x ダウンズタウン」という洋服を2012年から9年間作ってきました。

ダウン症の方のアートはとても素晴らしく、洋服も素晴らしい商品ができ、とてもファンの多い洋服のシリーズでした。

そんな中、同じ活動をしていて同じ岩手県出身だなと思って連絡したのが(株)ヘラルボニーの松田兄弟との出会いです。その出会いから、2018年より同じ目標を持って一緒に仕事をしています。

初めての「note」ということで、僕が20年ほど洋服を作り続けて一番思い出深かったことを書きます。

2011年3月11日

2011年3月11日14:46

僕はフラボアのアトリエで、新作の仮縫いをしていました。仮縫いというのは洋服になる前のトワルという仮の服でピンを打ってデザインをチェックすることです。

今まで経験したことのない揺れを感じて、慌てて外に出ました。

外に出ると周りのビルが今にも折れるんじゃないかってほど、ぐらんぐらん揺れていたのを覚えています。

メールも電話も繋がらないから、その時に唯一繋がったTwitterを使って全国の店舗販売スタッフに連絡して安否確認をしていました。

状況がわからないまま、5時間ほど徒歩で家に戻る途中…街頭のTVに映される、津波の映像を見て愕然としました。

「ああ、もしかしたら僕の実家はもう逝ったかも」

人生で初めて絶望を感じた5時間の徒歩でした。

僕の実家は、岩手県山田町という沿岸にある小さな町。確実に、絶望を感じた時間でした。

自分がデザインした洋服を全国から集める

震災後、絶望で数日間過ごす中、自分に何ができるかを考え続けました。

急に頭の中でボブマーリーの
Get up, stand up
Stand up for your rights
Get up, stand up,
Don't give up the fight
という歌詞がぐるぐる回る。立ち上がらないと!

まず行動したことが、自分がデザインしているフラボアの古着を全国のフラボアファンの方々から集めたことです。

なぜフラボアの古着にこだわったかというと、僕はそれまでほとんどデザイナーとして個人情報を出していなく、もちろん岩手県山田町出身ということも公開していませんでした。

そんな中、自分の故郷…全てのアイデンティティを破壊する自然災害が起きた。その時思ったのは、こんな絶望的な状況で失った自分のアイデンティティを、自分の作った洋服を集めて失った場所に持っていきたいという、自分勝手な思いがあったのかもと、今は感じます。

Twitterで告知すると、賛同してくれる人がほとんどでしたが、10%ぐらいは僕の行動を非難する人たちが現れました。

非難する意見に僕は、真摯に返信し続けました。
行動を起こすと、逆風は必ず吹く。
反対意見に対する返信をしながら、僕は自分がしている行動に絶対的な責任と、必ずやり遂げるという確固たる意志を持ったことを覚えています。

日本全国から大きな段ボールで20箱以上の洋服が集まりました。本当に感謝したことを今でも覚えています。

洋服を山田高校に持っていく

まだ余震が続く中、避難所にもなっていた山田高校に服を持っていきました。

教室の一室を借りて店舗のようにレイアウト。

まずは避難所で生活している子供たちに服を持っていってもらう。どんなに危機的な状況でも、ファッションって面白い。

「これ着れるかな?」
「派手すぎない?」
「可愛い!」

などなど、なんかここは被災地じゃなくフラボア店舗なのかなっていう錯覚も覚えた時間でした。

実家での限定ブティック

その後、
高校で残った洋服を実家にレイアウトして
数日間の限定ブティックを作りました。

家族や親戚のおばちゃんたちに手伝ってもらって。陳列しながらも

「これめんこいね」
「これもらっていい?」

なんて言いながら

それから数日…2日ぐらいだったかも。
全国から集めたフラボアの服は、全て無くなりました。

「ありがとう」

「全部津波で流されたから、コートもらえてほんと助かった」

「色が綺麗で気持ちが明るくなる」

「春樹が作った服を着れて嬉しい」

たくさんの感謝の言葉をもらいました。

その時に撮った1枚の写真。

僕は20年間のファッションデザイナーの仕事の中、一流のヘアメイク、一流のカメラマン、多くの著名な芸能人や美しいモデルと仕事してきました。

でもそんな中でもダントツで、
この写真が一番美しく、思い出に残る写真です。僕がデザインしたストールとカットソーを着たおばちゃん。

この写真を撮った時、

僕がこんな田舎で生まれて、なぜ東京を代表するファッションブランドのデザイナーになったのか。

この一枚を撮るために、僕は今まで生きてきたんじゃないか。この一枚を撮るために、デザイナーとして今まで努力してきたんじゃないか。

そのくらいの衝撃と、感動を覚えた一枚です。
この笑顔の一枚が今でも忘れられません。

仕事の意味について

2018年から(株)ヘラルボニーにジョインし、本社が岩手ということもあり、多くの岩手の仕事をしています。

岩手の仕事をすると、両親がすごく喜ぶんです。
「へラルボニーが新聞に出てたよ」
「ヘラルボニーがTVに出てた」
いつも電話で話すと両親の声が弾んでいる。

そのときに僕は思う。
お金も大事だし、自己実現も大事。
でも仕事で一番嬉しいことって、
自分の愛する人たちが喜んでくれる仕事をすること。

へラルボニーの仕事は、
震災の時に撮ったあの最高の一枚の写真と
同じ流れを感じるんです。

僕の仕事が、誰かの幸せにつながっている。
その幸せを感じている人が
僕の愛する人達なら、より僕も嬉しい。

仕事の意味って、思っているより単純だよって
若い時の僕に伝えてあげたいです。

へラルボニーは僕にとって家族のような愛すべき会社です。

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