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私の卒論公開!はじめての「アール・ブリュット」。 【アール・ブリュット編】

こんにちは。4月にヘラルボニーの新卒として入社した深澤です。
私は、大学の4年間「福祉」について学んできました。福祉の世界に興味を持った理由は、身体に障害のある友人ができたことがきっかけでした。

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私はその友人から本当に多くのことを教えてもらいました。周りへの感謝の気持ちを絶対に忘れないこと。少しのことでも必ず「ありがとう」と「ごめんなさい」を言います。「自分は多くの人に支えられて今ここにいる」と言った私より年下の彼女は、私よりも多くのことを経験してここにいるんだと感じました。また、多くの挫折を経験してきたのも事実です。そして、その挫折を乗り越えて今がある、ということを、彼女の言動、行動から感じていました。私には持つことのできなかった強さです。

そして偶然、ヘラルボニーに出会ったことも、私の転機のひとつだったと思います。SNSでみていた人が紹介していたのが、知的障害のある方が描いたアートを商品に落とし込んでいた「MUKU」(ヘラルボニーの以前の名前)でした。それまで身体に障害のある方のアートしかみたことがなかった私が、はじめて「知的障害のある方が描いたアート」に触れた瞬間でした。それまでは「アール・ブリュット」という言葉すら知りませんでした。ヘラルボニーに出会い、障害のある方が描いたアートに引きつけられました。新しい世界の扉を見つけたような気持ちでした。

そして、友人との出会いや、大学での学び、ヘラルボニーとの出会いの中から、私自身「障害」という言葉に違和感を感じていました。これは、私が個人的に感じたことですが、私以上に芯のある、強い友人に出会い、大学で学ぶうちに、私にはない世界や魅力を多く持っている方がいることを感じてきました。しかし、長い年月を経て浸透してしまったこの「障害」という言葉を、アール・ブリュットの歴史を振り返る上で避け切ることはできません。

これから全3回に及ぶ卒業論文の記載は、アール・ブリュットの歴史の一部に過ぎません。私自身の主観も含まれています。しかし、本連載を通じて、知的障害のある方が描いたアートや創作表現に興味を持ち、触れたいと思う人が少しでも増えていくと嬉しいです。私が感じた感動が、より多くの方に伝わりますように。

では、以下、私の、卒業論文(一部)です。

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ー 知的障害のある方が描くアートの現状と可能性 ー

はじめに

 私が「知的障害のある方が描くアート」というものに関心を持ったのはつい最近のことである。口で筆を加え文や絵を描く「星野富弘」さんは有名なアーティストの一人であり、今では足の指に筆を挟んで描くアーティストも多く存在している。私自身も初めて障害のある方の描くアートの存在を知ったのは、星野富弘さんの「富弘美術館」に行ったことがきっかけだった。
 しかし今回、私は身体障害のある方アートではなく、「知的障害のある方が描くアート」について取り上げようと思う。ヘラルボニーとの出会いは、私自身の障害の関する考えそのもの、また障害のある方の描くアートのイメージを強く変容させた。そして、その期間で感じた疑問もあった。一つ目は、なぜ知的障害のある方が描くアートというものに出会う機会がなかったのか。二つ目は知的障害のある方特有の表現や描き方があるのかという点である。ここでは、知的や精神の障害のある方の描くアートに焦点を絞り、歴史や障害の特徴などから、上記二点の疑問について考え、障害のある方の描くアートの今後についても考察していきたいと思う。


Ⅰ.知的障害のある方が描くアートの始まりと「アール・ブリュット」

 はじめに、障害のある方の描くアートは「アール・ブリュット」「アウトサイダー・アート」「エイブル・アート」とも呼ばれる。「アール・ブリュット」という言葉で「障害のある方の描くアート」をイメージする人も多いだろう。日本ではこれらの言葉がすべて『同じもの』として認識されているが、実は少し違うものである。以下、「アール・ブリュット」提唱者のジャン・デュビュッフェの定義と日本の定義である。また、定義の背景を知るため、提唱者のジャン・デュビュッフェの人生・思想についても触れていく。

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アール・ブリュットの定義

―ジャン・デュビュッフェによる定義―
 「アール・ブリュット」の根底の定義として『芸術文化で汚れていない人たちにより作られ、知識人の場合とは反対に模倣が殆ど、あるいは全く役割を果たしていない作品のことである。作り手は主題、素材の選択、置換の方法、リズム、書法などに関して全てを、自分自身の源から引き出してくる。ここに見られるのは、全く自らの衝動に従って行動する作り手によって、すべての面において完全に再発明された、洗練されてない純粋な芸術的行為である』という言葉がある。これは「加工されていない、生(なま・き)のままの芸術」を意味し、フランス人画家のジャン・デュビュッフェが提唱したものである。美術の専門的な教育を受けていない人が、伝統や流行などに左右されず自身の内側から湧き上がる衝動のまま表現した芸術のことを指す。

―日本の定義―
 一方、日本の現代美術用語辞典によると、『既存の芸術システムの「外部」=アウトサイドに位置づけられた人々の手からなり、また、そう認識するに足る独創性を持つと判断された作品。』1945年、J.デュビュッフェは精神患者など美術の正規教育を受けていない人々が他者を意識せずに創作した芸術をアール・ブリュット(仏)=「直接的・無垢・生硬な芸術」と呼んで高く評価した。アウトサイダー・アートはそれに対応する英米語として、72年、R.カーディナルによりつくられた言葉である。その際、「表現に対する衝動」を持つ制作者が「因習的な美術史の文脈化を拒み、管理されていない方法においてその衝動を具現化」した芸術を示すと整理され、その後の判断基準となった。実際、芸術的な訓練や影響を受ける環境になかった精神疾患(特に統合失調症)患者、知的障害者、交霊体験者、あるいは野宿生活者の作品から独創的なものが発見/再発見され評価されてきた。』と説明されている。
 日本の「アール・ブリュット」の意味の中には、「障害のある方の描くアート」という概念が強く根付いている。

アール・ブリュットの誕生とジャン・デュビュッフェ

 精神病患者が作成した作品は、前世紀末頃から精神病医によって精神分析の対象となると同時に、芸術作品としても認知されるようになる。先駆者として、精神病患者の作品を収容し、1905年にパリの精神病院に自らのコレクションによる「狂気の美術館」を設立したオーギュスト・マリイ博士などがあげられる。これらの作品は保管され、単なる精神分析の材料ではなく、芸術作品として衆目に触れるようになった。
ジャン・デュビュッフェはドイツ表現主義者、特にクレーに関心を寄せていたが、現世紀末から児童画の研究が盛んであったドイツにおいて、表現主義の作家たちは子供の芸術、更に「未開」芸術や精神病患者の美術を歴史的進化の原点にある始原の芸術として早くから評価していた。ジャン・デュビュッフェと同じく、高度な文化を身に付けていたクレーは、最も新しい芸術にとって子供や精神病患者の芸術は極めて有益であること、また、彼らが現存の芸術を吸収し模倣しだすと、彼等の作品の価値が失われるとも述べている。
 1942年、ジャン・デュビュッフェは精神病患者の芸術を探求することにし、精神医学の世界と接触を持ったジャン・デュビュッフェはコレクションを充実させることとなる。
 こうした美術についての著作を出版するため多くの作品を収容し、「狂気=精神病患者」といった言葉に付きまといがちな先入観を配慮し、「生の美術(アール・ブリュット)」という用語を提案する。更にジャン・デュビュッフェは、通常の文化に影響を受けていない芸術一般にまで、この語の包含する意味を広げた。実際に精神病院を訪問し作品を収集していたジャン・デュビュッフェは、精神病理そのものには関心を寄せず、精神異常を理由に作家たちをひとまとめにして差別化する社会自体に強く反発していた。「芸術機能はあらゆる場合に同じであり、そこでは胃弱の人の芸術や膝の悪い人の芸術というものがないのと同様、狂人の芸術というものも存在しないのである。」とも述べている。
1945年の「アール・ブリュット」提唱後、ジャン・デュビュッフェは子供の描画やパリの通りの落書きを捉えた写真、制作年代・制作者不明の石像、精神病棟で描かれた描画等を集めた。コレクションは膨大な数になったが、精神科医の協力を手伝ったことにより、半数以上を精神疾患患者の制作物が占めていた。
 また、「生の芸術」だけでなく、子供の芸術からも影響を受け、「未開」美術へも関心を寄せていたジャン・デュビュッフェであったが、これらは「生の芸術」のカテゴリーからは外されている。あくまで「生の芸術」は芸術的訓練や文化的影響を何ら受けない個人による、イメージを作り出そうという内なる激しい欲求のみによって動機づけられた自発的な創作活動である。これに従えば、独自の文化的伝統のある「未開」芸術や、真の創造へ向かう精神知己深みに欠け、他者からの影響を受けやすい子供の芸術は「生の芸術」から除外されるのである。
 「生の芸術」の本質が各々の作家の強烈な個人性に存する以上、「生の芸術」は終始一貫したカテゴリーでなく、様々なイメージのコレクションで、共通の目的や統一性をその根底に持ちえない。「生の芸術」に明確な概念を付けることを「豊かな意味合いを殺すこと」として嫌い、常に概念は「意味のふくらみをもった」存在であることを望んだ。ジャン・デュビュッフェにとって、明確な定義づけを拒んで「アール・ブリュット(生の芸術)」というそのものを曖昧なままにとどめることは、一つの戦略だったのかもしれない。
 以上が、ジャン・デュビュッフェの提唱した「アール・ブリュット」の内容である。コレクションの多くは精神病患者の作品であったが、狂気=精神病患者という先入観に配慮して「アール・ブリュット(生の芸術)」という言葉が誕生したこと、そして、明確な概念付けを嫌い、通常の文化に影響を受けていない囚人(受刑者)、精神病患者、社会から排除されたものを含めた、「芸術一般」にまで、この語の包含する意味を広げたということが重要な点であろう

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Ⅱ.アール・ブリュットの歴史

海外のアール・ブリュットの歴史 
 先程の『アール・ブリュットの誕生とジャン・デュビュッフェ』でもあげたように、海外での精神病患者による作品は前世紀末頃から注目されていた。アール・ブリュット=障害のある方が描いたアートという概念ではないため、「障害のある方が描いたアート」という枠組みでの展示やイベントではなく、アール・ブリュット(生の芸術)として、精神障害者や囚人、芸術を学んでいない人達の作品という大きな概念での展示であった。

日本のアール・ブリュットの歴史
 日本のアール・ブリュットはすなわち障害のある方が描いたアートのことを言い、ここで海外のアール・ブリュットの違いが大きい。日本のアール・ブリュットの展示ということになれば「障害のある方が描いたアートの展示」ということを意味する。海外では1940年代頃からアール・ブリュットの概念が語られていたが、日本でこの言葉が使われるようになったのはつい最近のことである。
 日本でアール・ブリュットという言葉が知られ始め、障害のある方が描いたアートというものが注目され始めたのは「アール・ブリュット ジャポネ展」が開催されたことが大きく関係している。しかし、このジャポネ展開催の背景には他の企画展の存在がある。日本のアール・ブリュット事業として名高い、滋賀県社会福祉事業団の運営する「ボーダレス・アートミュージアムNO‐MA」と、スイスローザンヌ市の「アール・ブリュット・コレクション」との連携事業の一環として2008年より開催された企画展「JAPON」である。この企画展は、アール・ブリュットがなかなか普及せず、評価されない日本社会で展示をするのではなく、海外で高い評価を得ることができれば、日本にもアール・ブリュット(障害のある方が描いたアート)が評価されるようになるだろうという考えのもと、NO‐MAを主とした日本のアール・ブリュット関係者が企画したものだともいわれている。実際、この「JAPON」企画展は、欧州を中心に大変評価を博し、その結果、会期が1年間延長、その後オーストラリアのウィーン市にある国立美術館にも巡回した。

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そして「JAPON」展を訪れたパリ市立美術館館長の目にも留まり、日本の作家による大規模企画展開催の話から、ボーダレス・ミュージアムNO‐MAによる情報提供のもと、63名の作家による展覧会が芸術の都パリで開催されることとなった。この展示会を通じて精神科病院や施設等を利用する方の作品が、芸術的な価値を認められること、芸術を通じた障害者のエンパワメントを目指すことが目的とされた。そしてこの展示が「アール・ブリュット ジャポネ展」であった。

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 ジャポネ展開催以降、その高い評価が日本国内でも耳に入るようになり、アール・ブリュットの企画展が少しずつ開催されるようになった。そしてついに日本政府は、障害のある方による文化芸術活動の推進に関する施策を総合的かつ計画的に推進し、文化芸術活動を通じた個性と能力の発揮及び社会参加の促進を図ることを目的とし、2018年の6月に「障害者による芸術活動の推進に関する法律」を公布・施行した。この法律では先の目的のもと、文化芸術の鑑賞・創造の機会の拡大、作品等の発表の機会の確保、芸術上価値の高い作品等の評価や販売等に係る支援、文化芸術活動を通じた交流の促進などを基本的施策としている。政府による法律の施行から、日本における障害のある方が描いたアートの活動が活発になっていくことは想像されているが、企画展の開催費用などに十分な補助金が下りていないのが現状でもある。
 現在、芸術活動を1日の活動に加える福祉施設も増えてきている。先に紹介した日本のアール・ブリュットの先駆けともいえる滋賀県社会福祉事業団が運営する「ボーダレス・ミュージアムNO‐MA」、岩手県花巻市にある「るんびにい美術館」、関東では埼玉県にある「みぬま福祉会」などが有名な活動場所としてあげられる。


次回、
私の卒論公開!「はじめてのアール・ブリュット」。【 障害が絵筆に変わる。アーティストの表現の世界 】


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自然生クラブのアーティストが描いたアート作品をNORA HAIR SALON(南青山)にて展示中。購入も可能です。
 →https://note.com/heralbony/n/n369d0f18cf68

◉  株式会社ヘラルボニー(コーポレートサイト)
  http://www.heralbony.jp

◉  HERALBONY(アパレル)
  http://www.heralbony.com


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