台所ぼかし

かすかべ思春期食堂~おむすびの隠し味~【Page6】

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 一、ありさの家出 ⑥

 ミズキの両親に発見された時のありさは聚徳院というお寺の裏手の多摩川べりにうずくまっていたのでした。

 懐中電灯に照らされ、ドキッとして顔を上げ逃げようとしたものの、足が痛みへたりこんだところを

「ありさちゃん?大丈夫?ミズキの父です」

「怪我?今診てあげる。どれ」

 陽子も毛布を持ってかけつけ、ありさを包みました。

「捻挫だね。湿布をすれば2~3日で痛みはとれるよ。家で手当てをするよ。さあ行こう。立てるかい?」

 うなずいて立ったものの、歩こうとすると「いたたたた……」と声を上げるありさに

「それなら車までおぶっていくから。はい、背中に乗って」としゃがむミズキの父。

 おんぶというのが初めてでぎこちないありさに陽子が手を添え毛布を掛け直し、

「よいしょっ!」と意識的に明るい掛け声とともに立ち上がり、河原の道を歩き始めたミズキの父は、

(そういえば、幼いミズキを背負ってこの道を由加里と一緒に歩いたことがあったな)

 けれど、亡き由加里のあと引き継ぎ、妻になった陽子にはそのことは黙って歩いていました。

 ありさは両親の記憶がほとんどなく、おんぶされた思い出もありませんでしたが、ミズキの父の背中の温かさや歩調と共に揺れる、そのリズムになんだか遠い遠い記憶を呼び覚まされるような気がしました。

 ミズキの父の診療所で手当てを済ませ、住まいの方のダイニングに行くころには負ぶわれなくても片足を引きずりながらも一人で歩けるようになっていました。キッチンから陽子が
 
「今、スープ作ったから飲んでね。あり合わせだけど」

 小さく切った野菜とふわふわの溶き卵が浮かんだスープが湯気を上げています。

「ありがとうございます。いただきます」

 ひとくち、ふたくち口に運んだありさの目から急に涙があふれ

「うっうっううう~」と小刻みに体を揺らして泣きました。泣きながらもゆっくりとひとくち、ひとくち口に運びます。そのスープの優しい味がガチガチに固まった体と心を静かに癒していきます。

「怖かったでしょう?もう大丈夫だから。心配しないで今日はゆっくり休んでね。ミズキも明日の午前中には帰ってくるって。そう、食欲はありそうね。お腹もすいたんでしょ?残りご飯でおむすび作るから待ってて」

 台所に立った陽子にミズキの父が近寄り

「車で連れてこられてコンビニから逃げたと言っていたけど、もし犯罪性があるなら警察にも知らせないといけない。とりあえず、コンビニに行って聞いてみるよ」

 ありさは手に持つとふわりとほどけそうに柔らかくにぎられたおむすびをひとくち口にすると、また涙がぽつりと……おむすびに落ちていきました。

 ミズキの部屋に連れて行ってもらい、ベッドに横になると、体はずーんと深みに落ちていくような感覚はあるものの、なんだか目はさえて寝付けそうにありませんでした。

「豊さん、お疲れ様。コンビニで何かわかりましたか?」

「ああ。事件性はなさそうだよ。ありさちゃんが逃げた後、中年の男の人が来て『女の子が若い男に絡まれていたから連れて逃げて、家が青梅だと言ったから送ってきたんだけど、急に車を止めさせて走っていったから、家に帰っていればいいけど、様子が少しおかしかったから心配で。もし家の人が何か聞きに来たら、僕はこういうものです』って名刺を渡したそうだ。渋谷区の設計事務所だね。電話番号が書いてあるから、明日にでも連絡をとってみるよ」

 そのとき二階のミズキの部屋から

「あーあーーーー!」

 二人が急いで部屋に行くと、ありさがベッドから起き上がって茫然としています。

「どうしたの?痛むの?」

「黒い羽のおっきなカラスみたいな鬼みたいな目が光ってるのがあたしをつかんで空を飛んで……、やめて、離してって叫んだら、パッと離されて、ヒュ~って落ちて……」

 陽子はありさを抱きしめ、背中をさすって

「怖い夢見たのね。もう大丈夫。ここは安全よ。また何か見ても、これは夢なんだって思えばいいのよ。でも、カラスみたいな、鬼みたいなって、このあたりの伝説の天狗みたいね。奥多摩にはいろんな天狗の伝説があるの。川天狗は悪さはしないそうよ」

「そういえば、ミズキも子どもの頃、川で見たといって描いた絵を見せてくれたのが天狗だった。そのときは中州に一人で取り残されたと友達が知らせに来て、慌てて駆けつけたら、ミズキ、川岸に何もなかったようにちょこんと座ってて……。誰が助けてくれたのか聞いたら、その絵を見せたんだった。子どもにだけ見えるものなのかな。ははは。そうだ、ありさちゃん、車で連れてきた男の人は悪い人ではなかったよ」

  二、ハルと学校 ① に続く


 



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