かすかべ思春期食堂~おむすびの隠し味~【Page9】
二、ハルと学校 ③
(ああ、また自己紹介からしなくちゃいけないのか……)
ハルは学年主任の豊田に会釈してから
「あの、私は……」と言いかけたとき
「すみません、今日のお話は録音させてもらっていいですか?」
豊田はボイスレコーダーをテーブルに置きました。
「本来は二人以上でお話を聞くのが決まりなのですが、今日はあいにく皆部活や出張に出払っていて、担任もいないことですし、行き違いや間違いがあってはいけないので。まずお名前からお話しください」
(なんと大仰な……ただ担任と少し話をするだけと思ってきたのに)
「別に構いませんが……。それでは言いますよ。私の名前は玉置ハルです。職業は下宿屋経営です。藤崎ありささんは私の下宿の住人です。両親のいない彼女の後見人の叔父は遠くに住んでいますし、一緒に暮らしている実姉も就活で忙しいので、私が代わって担任の先生に会いに来ました。自己紹介はこれでいいですか?」
「はい、わかりました。それでは担任の戸部にどういうご要望でしょうか?」
「要望って……、それは担任の先生とお話しして、ありさが退学したいと思い詰めた原因を探る中で、何か要望が出てきたらすることなので。まずは担任の先生にありさがカラーコンタクトは使っていないことをお話しして、それから学校での様子をうかがって、ありさが困っている先生の態度について先生のご意見をうかがって……。そこからいっしょに解決方法を探っていきたいと」
「本校の決まりで化粧は禁じられていますので、担任は指導をしている。従わない生徒には繰り返し指導する。そのことはご了解いただけますか?」
「もちろんわかります。カラーコンタクトをしているならば、指導に従って外さなくてはいけないでしょう。でもしていないのに外せないですよね。そのことを先生に伝えても聞いてもらえない。それでは生徒はどうしたらいいんですか?」
「カラーコンタクトをしていないのですね。それを担任に伝えておきます。そのほかに何かありますか?」
(私の問いには答えていないじゃないか……)
「あの、その事実確認だけのために来たわけじゃありません。ありさが姉に言うには、していないと先生に言ったにもかかわらず、繰り返し繰り返し、そばに来て顔を近づけて耳元でほかの生徒には聞こえないような声で、何度も何度もしつこく言うんだそうです。それは入学式の時から続いているとか……。たぶん、最初の時にありさが大きな声で『してません!』と言ったのが反抗的だと感じられたからではないかと。あの子は少し向こうっ気が強いので」
「反抗的な態度をとった自覚があるということでしょうか?」と豊田。
(そういうことじゃないでしょうよ。何を聞いているんだろう、この学年主任は)
「いえ、本人は反抗してはいませんよ。ただ、きっぱりとしていないと言っただけです。反抗していると感じたかもしれないのは担任の先生のほうです。学年の最初は大事ですから。担任の威光を示しておかないとその後の指導に支障が出ると思ったのかもしれませんね。ありさは美貌で目立ちますから。それがきっぱり言い返されて……。それも推測ですから、担任の先生に聞かなければわかりませんけど。それ以外でもありさの日常の態度をどう思っているかも聞きたいですし、とにかく担任の先生と心を開いて話がしたいんです。それができないんでしょうか?」
「学年の生活指導の報告では藤崎さんのことはあがっていませんね。担任の日常の生活指導の成果で、大きな問題なく生活できているのではないでしょうか」
豊田は持っていたファイルを見ながら落ち着き払った感じで言いました。
ハルはそれを聞いて、いらだちを抑えきれなくなってきました。
「大きな問題なくって……。あのですね、一人の生徒がもう学校には行けない、退学したいと思うようなことが大きな問題でなくて何なんですか。第一、報告にあげていないこと。そこに問題があるかもしれないじゃないですか!教室というのはある意味密室ですよ。しかも他の人に聞こえないほどの距離で男性が繰り返し繰り返し何度も耳元でって。普通なら気持ち悪いですよ。恋仲の男女ならともかく。生徒はその場を逃れられないんですから。指導される立場は弱いんです。生徒もね、何か間違いがあるかもしれないから録画のためにスマホを机に置いておくなんてね、そういうことはできないでしょう?取り上げられますよね」
ハルは自分が興奮しつつあるのを感じながら、少し間を置き、豊田の顔を見ました。豊田はあまり表情を変えずに
「本校でも残念ながら学業半ばに退学する生徒は何名かいますが、退学を希望する生徒には保護者の方と面談してよく話を聞き、担任と学年主任が退学やむなしと判断したときに学校長の承認を得ることになります。まだ退学願いの申請は出ていませんが、面談を希望されるときはご連絡ください」
(この人はこれで終わらそうとしているのか!いったい何を聞いていたんだろう!)
「まだ話は終わっていません!学校にとってたかが生徒一人の退学で何のダメージも受けないでしょうけど、子どもや家族にとっては一大事ですよ。まして守ってくれる親のいない子にとって高校中退は将来にとってどんな意味を持つか、お考えになっていますか?私はまだ15や16で親からも見放され、かといって生活力も住むところもなく漂流してしまう子を何人か見てきたんです。せめて卒業だけでもすれば、その先は就職して何とかなるかもしれませんが、それもままならず、生活の基盤や居場所のないまま、特に女子が漂流してしまうと、その先に何が待ち受けていると思いますか?学校は子供を守れないところなんでしょうか?何かの訴訟を恐れて二重三重に用心して、録音までとって、あなたがたが守っているのは学校であり、先生じゃないですか。保護してくれる親もなく学校にも守られない子供はどうすればいいんですか!いじめ自殺の問題だってそうです。あとでいつも訴訟だなんだともめるけど、自分たちの立場でなくて、弱い立場の子どもを守るんだ、味方になってやるんだという意識と子どもの心の声に耳を傾ける、そういう姿勢があれば、本人は言えなくとも、他の生徒が事前に必ず相談したはずです!」
豊田は熱くなるハルの顔を見ながら話を聞いていましたが
「本校では自殺した生徒はありません」と一言。
(こいつはたとえ話がわからないのか。何を言いたいのかわからないのか……)
「自殺はなくとも、退学者は毎年いるんでしょう?それも正式に申請して認められたのは数名かもしれないけど、願いも出さず、本人や親との話し合いもないまま長期に休んだままになっている子は相当多いのじゃないですか?その原因についてすべて把握しているんでしょうか?教室という密室で教師が生徒にどんな指導をしているのか、把握しているんですか?世の中には自分の思い通りにならない相手に嫌がらせする人はいますから。それが教師の中にいてもおかしくないですよね。指導と称して弱い立場にいる生徒に繰り返し繰り返し、嫌がらせのようなことをするのは、パワハラと言えるし、場合によってはセクハラにもなりますよね!」
(あっ、言っちまった)
ハルがそう思ったとき、豊田の顔が急にこわばりました。そして、ボイスレコーダーのスイッチを切りました。さっきまでの余裕ありげな物言いとは明らかに違う口調で
「お母さん!あ、あ……いえ、玉置さん、そのようなことは調べもしないで言葉にしては困ります。今日はここまでにして学年に持ち帰り、担任等に聞き取りして後日改めて保護者の方との面談を行いますので、こちらから連絡いたします」
「いえ、ありさは今、けがで療養中なので医師の許可がおりてから、こちらから連絡をしますので。それまでは欠席ということでお願いします」
もうこれ以上ここで話しても意味がないと感じたハルは椅子から立ち上がり、一礼して自分から部屋を出ました。
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