ひとりずもうである

今日は特に仕事のことについて考えていた。仕事の内容のことではなく、この仕事をする人はどういう人間が多いのか、ということである。

まず第一に、絵が好きという人が大半だろう。私ももちろん絵は好きだ。好きだが、どうやらこの業界の中の「絵が好き」とは違うようである。
私が言う「絵が好き」が感情的なのであれば、周りの「絵が好き」は、文字通りそのままなことが多い。ビジュアルとして好きなのだ。

会社の人たちで映画を見る機会があった。映画を見ている時に私が考えることは、ストーリーに付随するキャラクターの感情、およびその演技、また、その作画を、演出をした人の人生経験などを感じ取る。それが自分の価値観と似ていたりすると、良いなあと思う。

しかし、周りの社員は違った。映画を見終わるや否や、ここの作画が、ここの絵作りが、などと話し始めるのである。レイアウトを描きたいねえ、と言っているのである。

確かに完成されたすごいものを見たら同じようなものを作りたくなるのはわかるが、私はビジュアルの影響より作品全体から感じる雰囲気に圧倒され影響されて創作意欲が上がるタイプだ。
でもこの人たちにとって、感情やストーリーは二の次なんだ、というのを感じた。

思えば確かに、ストーリーや演出など、演技の土台を考えるのは私たちの仕事ではない。あくまで私たちは「ストーリーを違和感なく表現するためのビジュアル作りのプロ」なのであって、そこに自分の訴えたいことや、マイノリティな感情などはいらないと言ってしまっても仕方ない。

人の考え方が違うのは当たり前だが、この時に私は、この界隈ではマイノリティの考え方をしていると自覚してしまったのである。

きっと私は絵が好きなのではない、絵はただの表現媒体に過ぎず、本当に好きなのは人間の感情の動き、それに伴う物語が好きなのだ。

なぜ作画に入ってしまったのだろう。たまたま絵が描けたから、絵を描くことが好きなんだと思い込んでいたのかもしれない。

この界隈では、画力、デッサン力があることが当然であり、その技術が高ければ高い方が評価される。ビジュアル担当なのだから当たり前だ。
しかしいくら画力やデッサン力があっても、それはただの上手い絵なだけであって、描き手に感情や熱がないとそれは魅力的なものには見えないのだ。
最近の自分の絵には、それを感じてしまう。ただの線。熱などない、考える時間もないし、こだわるところが周りと違うのでますます自信を無くすから描いた絵もそりゃいいものにはならんだろう。

過去の私に言ってやりたい、アニメーターとは何を作る職業なのかというのをよく考えてから行動しろ、と。
本当に作りたいものや訴えたいことがある人には向いていない職業ということに気づけ、と。

ビジュアルだけにこだわれる人間ではないのだから、郷に従えるはずがないのだ。

みんなが作りたいものは「絵」であり、私は「物語」なんだ。似ているようで、そこにはお互いに分かり合えない大きな壁があると思う。

物語を描いて飯を食っていく覚悟や度胸がないので、仕事を辞められないのだ。なんて哀れなんだ。

たまに入社時のポートフォリオを見ては、(画力こそないが、今より魅力的な絵が描けているなあ)と思い、悲しくなる。

こんな感情で出勤してるなんて、周りの人間にとっては邪魔だろう、やる気がないならやめちまえ、と言われても仕方がない。

アニメの話はあまりしないなどと言いつつ、アニメーターの話をかなり書いてしまった。それだけ今の私の人生の中での大きなイボが仕事なのである。

作ることを楽しめる日がまた来ると良い、
そんな感じで毎日を生きている。

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