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凡人の遠吠え

先日、「衝撃の死から20年新証言!悲劇のプリンセス・ダイアナ。イギリス元妃最期の一日」という特集が放送されていた。その番組の冒頭で私は度肝を抜かれた。カメラは20年前、ダイアナ元妃が衝撃の事故死を遂げた後、新橋や銀座で号外が配られた時の、日本の人々の様子を映し出していた。

「えーー!ウソでしょう?事故死なんて可哀想!」「え?死んじゃったの?可哀想過ぎる!!」「可哀想な人生でしかないですよね……」ダイアナ元妃自身に起きた非常事態と、自らにカメラが向けられた非常事態が相まって、普通のサラリーマン、OLは「可哀想」「可哀想」と大きな声を上げていた。

安易に他人のことを「可哀想」と言うのはやめましょう、「可哀想」という言葉には注意が必要だ……そんなことは、人生の間で何度も言われてきたはず。それでもやはり、「可哀想」と簡単に声を上げる人が多いことに、私は驚きを覚える。ましてや相手は、あのプリンセス・ダイアナ!勿論、その声がダイアナ自身に届くことはないのだけど、こんなに平凡な容姿を持った平凡な日本国民に「可哀想」って言われるだなんて、さぞかし心外だろうな……私は一人、身がすくむ思いがした。

そこで私は、30代の若さにして乳がんで亡くなった小林麻央さんのブログの中での言葉を思い出す。「例えば私が今死んだら、人はどう思うでしょうか?まだ34歳の若さで可哀想に。小さな子供を残して可哀想に。私はそんな風には思われたくありません。なぜなら、病気になったことが私の人生を代表する出来事ではないからです。私の人生は、夢を叶え、時にもがき苦しみ、愛する人に出会い、2人の宝物を授かり、家族に愛され、愛した、彩り豊かな人生だからです」――私はこの言葉を目にするたび、どうしても涙が出てしまう。

「私がもし今死んでも、後悔はありません。何故なら、短い人生であっても、私は十分に幸せだったからです」こういった言葉は、今まで何度も耳にしたことがある気がする。けれど「病気になったことが、私の人生を代表する出来事ではない」から「可哀想と思われたくない」という意見は初めて聞いたし、これほど気の強い発言も、正直な発言もないと思うのである。

ダイアナ妃も麻央ちゃんも、30代の若さでこの世を去った。そのことは残念ではあるけれども、決して「可哀想」なことではないと思う。何故なら、彼女たちには、平凡な女の子には決して味わうことの出来ない、「選ばれた美貌への陶酔」とか「類まれなる男の人(チャールズとか海老蔵とか)に見初められた日の戸惑いと高揚」とか、「全世界(日本)からの注目を浴びる結婚」とか……それはそれは強烈な人生のスポットライトが浴びせられたはずだからである。そのライトはあまりにも熱量が大きくて、普通の女の子は一瞬で焼け焦げてしまうのだが、彼女たちはそれを体の内部にしかと取り込み、更なる輝きに変化させることが出来たのだ。イギリス王室はちょっと想像の範疇を超えているとしても、あの海老蔵に真剣な目で「好きです」と愛を囁かれたその瞬間のきらめきは、日本で麻央ちゃん以外、知る由もないのだ。

ダイアナ元妃は、どんなに美人であっても、そして正妻になって「イギリスのバラ」と全世界の人々に讃えられようとも、あんなに頭が薄くなったチャールズの愛を勝ち得るという意味では、自分より遥か年上の、どう見ても美人とは思えないカミラにどうしても勝てなかった。そして、愛情をよその男に求めながら若くして亡くなり、その死には陰謀説すら囁かれる。麻央ちゃんは、ガン克服という奇跡を起こせず、この世を去った。その事実だけを捉え、平凡な女たちは「可哀想!可哀想!」と叫ぶことで、何とか溜飲を下げる。

ちょっと種類が違うもしれないが、昨今の芸能人や政治家の不倫劇。週刊誌が彼らの秘密を暴いては、謝罪させ、謝罪会見が上手だったか下手だったかを批評するという一連のバカバカしい流れ。彼らは確かに倫理的には悪いことをしたかもしれないが、こんな風にいちいち人のプライバシーを勝手に暴き、裁いていたら、どうなるんだろうと不安になる。選ばれた能力のある人間が形ばかり頭を下げ、平凡極まりない週刊誌やテレビ局の記者、そして国民が、彼らを責め立てるという、妙な構図。政治家も芸能人も、私たち一般人とは所詮、持っているエネルギーが違うのじゃなかったの?食欲も性欲も出世欲も普通じゃないから、選ばれて表舞台に立っているのに、「悪いことをしてそれが見つかって、今ある地位を失って可哀想!でも自業自得だけどね!」と凡人が得意げに言うのは違うんじゃないかなと思う。勿論、本職をきちんとこなすことが大前提だけど、こんなことでは、「品行方正だけど無能」という人しか表に立てなくなってしまって、世の中が本当につまらなくなると思う。

こんなことを言えるのも、私が平凡で無名な人間だから。あー有名人はつくづく窮屈で可哀想ネ。そして私は、明日、満員電車に揺られて会社に行く――。
可哀想?いいえ、案外可哀想ではないんです。どうして可哀想でないかは、私にしか分からないけれど。

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