みーるのこれまで。

あれ、自己紹介Part 2?

私の考え方なり生き方なり、すごくひねくれた所があると思ってまして。今後noteを書き続けるうえで、疑問に思う方もいらっしゃると思うので
背景知識としてお届けできたらな、と考えこのページを書いています。


生まれてから幼稚園まで

前回書いた通り、北海道生まれ大阪育ちの私。
北海道の部分は生まれてから幼稚園を卒園するまでの6年間のみです。「そんなんほぼ大阪人やん」と思うそこのあなた。わたしが友人によく投げられる言葉をお届けします。

「みーるはエセ関西人やからな」

つまりわたしは、どこの人でもないのです。

はい、本題入りますよ。

函館で生まれ、すぐに札幌に引っ越しました。完全に父の影響です。函館の記憶は全くありません。札幌市内では、2回引っ越ししました。
この頃の記憶はきちんとありまして。

最初の家は、大きな通りに面していて
道路側には畳の部屋がありました。
窓際にはエレクトーンが置いてあるのですが、
そこまで歩くと足の裏が畳のくずだらけに。

変な記憶でしょ…?

次の家は、確か5階ぐらいに住んでたんですけど
道路から見てマンションの裏手側に、何にもないスペースがありまして。

スクリーンショット (948)

はい、これ。Googleスプレッドシートで作りました。そんなことはさておき、このなんか草生えてる場所で、遊んでた記憶があるんですよ。

ここまで読んだ方は、何が大事なの?ってなってると思います。大事なことは、この、微妙に細かい記憶があるということ。この記憶があることによって、わたしは北海道にも愛着を沸いているのです。

あとは小学生の間、毎年夏休みに祖母の家で3週間ほど過ごしていたのも、北海道愛の一つだと考えています。

みなさんには、そういう場所ありませんか?

小学生から。

ついに大阪に来ました。
入学式、今までのカルチャーとのギャップを感じ
人間不信に陥りました。

学校に行きたくない気持ちとは裏腹に、微熱が出ても、学校に無理やり押し付けられる毎日。両親に対する不信感が出るのも、この時期です。

そこからわたしは、両親を反面教師として生きていくことを、子供ながらに決断しました。
やがてこの決断が、人生の主軸となります。

ちなみに習い事はいっぱいやりました。
知りたい人はまた今度。

中学生

急に京都に憧れを抱きます。神戸にも簡単にアクセスできる中で、なぜ京都なのか。

フィーリング。

とりあえず大学生になったら、京都で一人暮らしをしながら学生生活を送る、と勝手に決めておりました。両親とも性格的に合わないし、そもそも家庭内別居状態だし。メリットが無いんだもん。

とりあえず通える大学の選択肢を増やすことと
親の機嫌を取るために、勉強に励みました。
最高偏差値82は、過去の栄光。

高校生

中学で勉強を頑張り、国公立大学を目指す人が多い高校に入ったのに、1年生のときに勉強をやめてしまいました。勉強を優先するがために、クラスの色々をなおざりにするクラスメイトが憎かったからです。

おかげで、大学受験に苦戦します。
合格最低点でなんとか入り込みましたが、受験だけで使った費用は70万近かったと思います。それだけの費用をかけて、やっと京都の大学に入ったのです。

大学生

受験で費用がかさんだので教科書代、定期代、その他もろもろ全て実費でした。親に言われた、というより自らその選択をした。大学に入る直前で、両親が離婚したのでお金が無いのは分かっていたし。

バイトに勤しんで、祖母の力も借りて、4年間で最高120万近く貯金していた時期もありました💰

大事にしていたことは
「お金ないから」で誘いを断らないこと。

これ、大事です。個人的に。

一人暮らしは出来たの?
答) いえ、今も実家暮らしです。
  おかげでハゲそうです。

そして今。

就活をサラッと乗り越え、社会人1年目。
noteを書く余裕はどこにあるの?という疑問が飛んできそう。答えは、週5日9時間拘束で在宅勤務状態にあるかも。

想像していた社会人生活とは全く違うし、色々不満は溜まるし、どうしたもんだか。みなさんはこのコロナ時代、無理してないですか? わたしはとっても不思議です。みんな気を使うところ間違ってない? 他人のこと、どうでもよくない?

こんなこと言ったら怒られそう。
よし、今回もこんな微妙なところで終わり!

あとがき

今回はTastylifeさんの画像をお借りしました。
私の好みにマッチしたので。
こんなイラストを描ければ良いのだけれど、お絵かきすると未確認物体を大量発生させちゃうから、自粛します。

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