『ボタンを押したら妊娠する』ではダメなんだろうか?

人は何のためにセックスをするのか。

より深く愛し合うためであり、愛され合うためであることは言わずもがなかもしれないが、その言葉で片付けてしまってはどこか味気ない。

だって、人が人と関わるのも本質的には愛し合うためだし、結婚することも愛し合うためだ。


じゃあ、セックスにフォーカスし、セックスだからこそ言えることという観点で目的を考えるならば、それは

「自分や相手の感情の責任を取ること」

である。



繰り返すが、セックスは自分や相手の感情の責任を取るため。

あまり知られてないことかもしれないし、感覚が鋭敏じゃないと気づけないことかもしれないが、セックスをすると実は相手の心の癖だったり感情のしがらみの影響をモロに受ける。


例えば、相手が後回しする心の癖を持っていたら、自分にも後回しする方向のエネルギーの影響を受ける。

実際にするかどうかは置いといて。

他には相手が分かって欲しいや認めて欲しい、愛して欲しい等の欠乏が強く、自分自身で満たそうとしてないならば、セックスをするとひどく疲れてしまったりする。

そんな感じで、私たちは見えないところで大いに影響されまくってるし、影響し合っている。


で、本当に心が健康であり、本当に相手のことを愛しているならば、普通は相手とセックスしたくなる。

なぜならば、セックスは自分だけでなく、相手の感情の責任を取ることでもあり、そしたらば相手の感情のしがらみを自分に受けて、相手の代わりに癒してあげたくなるからだ。

本当に愛してるなら。


もちろん、セックスをすることが相手の依存心を強めてしまう場合はセックスしないことが愛だったりもするから一概には言えないけど、本当に愛し合っていてお互いが相手を想っているなら、体を一つにすることで心を一つにしたくなるのが普通だ。

まるで母親が子どもの病気を代わりに背負ってあげたくなるように、相手の感情を無意識下で背負ってしまうセックスをすることで相手を愛する。


本当に愛し合ってるなら、セックスはしたくなる。

本当に愛し合ってるけどセックスをしないのは身体的に出来ない理由があったり、心が不健康な場合や年齢的なものを除いて、本当は相手のことを愛してないのかもしれない。

もちろん、セックスをすることが正義だとは言わない。



話は変わるが、なぜ神は生殖行為と快楽行為を一つにしたのか。

双方が同意の下、『このスイッチを押せば、子どもができるボタン』があったとして、

せーのっ!!

とそのボタンを押したら無事に妊娠して出産するではダメなんだろうか?(笑)



そんな話を彼女にしてみると、

「セックスに快楽があるからこそ、人間はその快に向かって行動し、子孫が繁栄していくんじゃない?」

と言っていて、なるほどと思った。


確かに、ボタンではこの「人と人との関係」が希薄な現代ではますます少子化に拍車がかかってしまう。

望まれる命だとか、望まれない命だとか、そういう表現はあるけれど、そもそも本当に望まれないならば妊娠しないし、望まれるなら妊娠する。

人間のエゴが望んでないだけで、その人の深いところでは望んでるからこそ、妊娠するのだと思う。



言い換えると、近年不妊治療が当たり前になってきているけど、妊娠しないのは深いところで望んでないから。

もっと言うなら、子どもができた時の状況に向き合える心が育ってないから。



10年以上前のことだろうか?

兄が

「なかなか子供が出来ないんだよね。」

と私に言ってきた。

その時、

「親に言いたいこと言ってる?」

と兄に言ったら、兄は当時離れていた両親の元に飛行機で帰省し、父親+母親+兄で話し合い、兄が幼少期の頃に父親に酷いことを言われてずっと父親を恨んでたという話を両親にしたら、3人が皆号泣したとのこと。

そしたら、その後すぐに子どもを授かった。



うん、やっぱり妊娠するボタンじゃダメだな(笑)

そんな簡単なものにしてしまうと、人は悩まないし、嫌なことになかなか向き合えない。



ということで、やっぱりセックスして授かる形式がベスト!!

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