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人の話だけをたよりに知らない町を歩く

火曜日から毎日、階段を1000段くらい上り下りしている。

真冬だというのに、尾道の日差しは明るくあたたかく、100段目くらいでうっすら汗ばむ。息がきれると振り返って見る、きらきらした海を小さな船が行ったりきたりする風景――。

カンカンカンと踏み切りの音が響いて、黄色い電車ががぁーっと横切っていく。この景色を見ていると、張りつめた気持ちがゆるむ。きげんを直してまた階段をあがる。突き当たりを右に曲がれば、みはらしのよい宿はもうすぐそこなのだ。

ライターズインレジデンス 尾道。

NPO法人尾道空き家再生プロジェクト(尾道では空きPと呼ばれている)が主催する2ヶ月間のプログラムだ。滞在しているのは、彼らがゲストハウスとして再生させた、築100年の“茶園(さえん)”という別荘建築。期間中に全部で11名の書きものをする人々が、入れ替わり立ち代わり4名ずつ滞在する。私は1週間、ここで過ごすことになっている。

尾道には、ずっと行ってみたいと思っていた。たくさんの映画の舞台になった坂のまち。多くの文学者を生んだ瀬戸内海の港町。どんなところだろう?と思いながら、気がついたら20年くらい過ぎていた。

ライターズインレジデンスのことを知ったときすぐに応募した。日常を離れて書くこともしたいし、尾道で滞在もしてみたい。ただ、それだけだった。空きPから受諾の返事をもらった後も、尾道について一切調べたりはしなかった。何も知らないままドボンといきたかったから。

尾道駅から小さなスーツケースを持ち上げつつ、最初の300段を上りきるのはさすがにキツかった。

なのに、空きPの豊田さんにご挨拶をすませると、わたしはランドセルを放り投げて出て行く子どもみたいに、せっかく上りきった階段をかるがると下りていった。年齢を重ねても、はじめての場所に身を投げる興奮は変わらない。ただし年齢を重ねているからこそ、はじめての興奮は一回きりということだけはよく知っている。

たくさんある細い路地のうち、なぜこの路地にだけレンズを向けたくなるんだろう。アーケードのトタン屋根の剥げ具合に、なんでこんなに心惹かれるんだろう。ひさしぶりに、無邪気なシャッター音を立てながらまちを歩く。わたしはこの町のことを何も知らない。

しかも、取材しなくていいのだ。

取材という軸はとてもつよくて、町に対してひとつの視座を持ってぐいっと入っていこうとしてしまう。そして、感じたことや知り得たことを、組み立てて整理していく。でも今は、もっと自分が拡散しているのを感じる。いつもと違うやり方で、知らない町と一対一で出会っている。

「ネットで調べた情報をもとに動かないこと」。

今回の滞在で、わたしはちいさなルールを守っている。どこかに行くのは、誰かに教えてもらったところか、尾道で入手した地図や資料に載っているところ。行き方がわからないときだけ、Googleマップを使う。

尾道から向島への渡船は、小さな本屋さん(冒頭の写真に写っている本を買った)が教えてくれた。ちょっとした気分転換になりますよ、乗り場は2か所あるけれど駅前のほうが少しだけ時間が長いんです。

大きな造船所がある。この島には、どのくらいの人が船をつくる仕事にたずさわっているんだろう。ここでつくられた船は、どの海を航海しているんだろう。ぼんやりと浮かんだ疑問を、ほったらかしにしていていいのはぜいたくだとさえ思う。そして、何の意味も持たせない写真を小気味よく撮る。

いつもと違う時間と空間にドボンといくと、自分のどこが飽和していたのかが見えてくる。そんなこと、わかりきっていたのにやろうとしていなかった。というか、理由はなんであれ、できなかったのだ。気の向くままにまちを歩きながら、少しずつ心のシワをのばす。

きっと、先を急いでいない顔をしているのだろう。文学館のガイドさんが話しかけてくれて、尾道が生んだ作家たちのことを聞かせてくれる。さらに、どの道を歩いていけば何が見られるのかも。ガイドさんと一緒に、坂をのぼりおりする気持ちで、ずーっと聞いていたら1時間半がすぎていた。

この館も見晴らしがいい。

ふいに、海を見ながらガイドさんが言う。ここは港町じゃけえ、船乗りが多いでしょう。生きることと死ぬことが近いとようしっとるんよ。だから、山にはこれだけお寺をつくったんやねえ。

今、ここにいるわたしには「1週間」という滞在期間をのぞいては、ほとんど“都合”というものがない。ガイドさんの語りのエネルギーがむりなく着地するまで、絵巻物を一緒に見ているように過ごしていた。

うねうねした坂道を好きなだけ迷っていてもいい。約束がなければだれも困らせなくてすむ。そんなふうに3日ほど過ごしていたら、だんだん「都合ってなんだったっけ?」という気持ちになってきた。

宿題のようにしていることも、ひとつだけある。

学生時代からのつきあいになる、一志くんは尾道に縁のあるひとで「尾道に行くなら、このお店とあのお店に行くといいよ」とたくさん紹介してくれた。毎日、すこしずつ訪ねて店主さんにあいさつをする。まちのことを教えてもらう。そこにいるお客さんと会話する。だんだん「また行きたいな」と思うお店がふえていく。人から人に、自分がバトンされていくような……

ああ、そうだった!と思う。

いつだって、自分は人から人へとバトンされていくようなものなのに、日常の緊張が高まっていたせいで、忘れてしまっていた。まるで、自分が意志をもって行き先を決めて動いているのだといわんばかりに、だ。まだまだゆるみたりない。もっとゆるんだほうがいい。

あしたはもっと行き先を忘れてしまおう。今、そんなふうに思って眠りについたこと、さらに言えば行き先という概念すらも手放してみたい。

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