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【2024横浜トリエンナーレの見どころ】希望を諦めない野草の抵抗


最初に

現代アートの国際展「第8回横浜トリエンナーレ」が2024年3月15日に開幕した。北京を拠点に活動するリウ・ディンとキャロル・インホワ・ルーをアーティスティック・ディレクター (AD)に迎え、世界31の国と地域から93組のアーティストが参加している。

今年のトリエンナーレは2つの柱を中心に構成。ひとつは、ADが手がけた同タイトルの国際展で、本展をもってリニューアルオープンする横浜美術館や旧第一銀行横浜支店などをメイン会場に行われる「野草:いま、ここで生きてる」。もうひとつは、「アートもりもり!」の名称のもと、市内の各拠点が統一テーマ「野草」を踏まえて展開する様々な展示やプログラムだ。

美術手帖

筆者は3月17 日、「野草:いま、ここで生きてる」のメーン会場である3つの会場、横浜美術館と旧第一銀行横浜支店、BankART KAIKO(いずれも横浜市)を訪れた。
本noteでは、横浜トリエンナーレ「野草:いま、ここで生きてる」の見どころを紹介するとともに、展示に込められたメッセージを読み解いていきたい。

※最初に付記しておきますが、本noteの記述は完全なる一個人としての見解・感想であり、所属先とは一切の関係がありません。

3会場を見終えたいま感じることは、今回の横浜トリエンナーレは、難民問題やウクライナ侵攻など昨今の社会情勢を映した作品をはじめとし、植民地主義などの歴史的背景を踏まえながら、民衆の痛みとそこから沸き上がる抵抗、そして希望に焦点を当てた展示構成であるかのように思えたということだ。
 
「野草:いま、ここで生きてる」のタイトルは、魯迅の散文詩集「野草」からとったという。逆境の中でも、野草のように逞しく、希望を諦めずに生きる民衆のエネルギーに触れることができた。

タイトルは「野草: いま、ここで生きてる」です。このタイトルは、中国の作家、魯迅(ろじん、 1881-1936)の散文詩集『野草』(1927年刊行)に因んでいます。わたしたちの社会は今、資本主義の暴走に起因する戦争や気候変動、経済格差や不寛容など多くの問題を抱えてい ます。ADの二人は、その拠って来たるところを100年前の魯迅の時代にさかのぼって探り、 未来を切り開く手がかりを共に見出そうとわたしたちに呼びかけます。

会場の展示キャプションより

まずは横浜美術館の展示から見ていきたい。難民や先住民族、低賃金労働者など、苦しみを背負った人々の痛みに焦点を当てた展示が目立った。
中でも「密林の火」と題されたセクションは、非常に印象的だった。

横浜美術館ー密林の火

飛び散る火や火花とは、紛争や対立、衝突や事件のたとえです。この部屋には、そのような歴史的な出来事をふり返る作品と、こんにちの課題に向き合う作品を一緒に並べてあります。すると、過去と現在が混じり合って時代の違いが消え失せます。代わって、人びとの苦しみとそれに立ち向かう行為とが、生きることの本質として浮かび上がってきます。

会場の展示キャプションより

「人びとの苦しみとそれに立ち向かう行為とが、生きることの本質」であると説いているのだ。

ロマの遺体


ワルシャワを拠点に活動するトマス・ラファ(1979〜)は、2010年代以降の中央ヨーロッパで、オルタナ右翼によるロマ民族・難民・LGBTQらに対する差別扇動デモを映像で記録してきた。


トマス・ラファ ロマ人に対する民族主義者の抗議


手足を折りたたまれ、ビニル袋に入れられた人形。まるで打ち捨てられた遺体かのようにも見える。ここに差別されるものたちの苦しみが重なっていく。冷たく固い遺体の背後で、オルタナ右翼とそれに抗議する人々が烈しくぶつかりあう映像が流れ続けていた。

地を這うスーパーマン


ポープ・L(1955〜2023 )の映像作品「グレート・ホワイト・ウェイ、22マイル、5年、1本の道 (第1区間:2001年12月29日)」は、スーパーマンの衣装を着たポープLが、全長35キロのブロードウェイを何年もかけて這って進んだ様子を記録している。
この映像には「ニューヨークが本質的に白人のものだ」という皮肉が込められ、地面から眺める街並みは、路上生活者の視座に立っているという。

アボリジニの遺骨

マシュー・ハリス(1991〜)の立体作品「忘却の彼方へ」。オーストラリアの先住民族・アボリジニの血をひくハリスは、先祖のたどった苦難の歴史を作品に込める。
博物館の収蔵庫をモチーフとしたこの作品は、研究目的で持ちさられたアボリジニの遺骨が入った箱が幾千と並べられた様子を描いている。今も故郷にかえることのない遺骨たち。「忘却の彼方へ」というタイトルには怒りさえ滲む。
作品に使われた黄土色は、アボリジニの神聖な儀式で使う特別な色。背景の黒い木炭は、火と再生を意味するという。ここには慰霊の祈りが込められているだろう。

マシュー・ハリス「忘却の彼方へ」

コソボ紛争以後の日常

アルタン・ハイルラウ(1979〜)は、ユーゴスラビアのコソボ紛争を生き抜いたひとり。素朴な包装紙とボール紙に、色鉛筆を使って日常生活を描いた作品群からは、いつまた生活が脅かされるか分からない恐ろしさのようなものが伝わってくるが、前向きに日々を紡いでいく力強さも感じられる。

アルタン・ハイルラウの作品群

横浜美術館ー「密林の火」以外

「密林の火」のセクション以外にも、「人びとの苦しみとそれに立ち向かう行為とが、生きることの本質」であると感じられる作品が多数あった。それらを紹介していこう。

移民はESSENTIAL


「IMMIGRANTS ARE ESSENTIAL(移民なしにはやっていけない)」と書かれた真っ赤なプラカード。コロナ禍に、エッセンシャルワーカーとして働く非正規の移民たちが行った抗議の様子を、ジャーナリストのトム・ウィリアムズが撮影し、ジョナサン・ホロヴィッツがアートへと昇華させた。

写真:トム・ウィリアムズ 提供:ジョナサン・ホロヴィッツ

ストを全世界に発信

台南で活動する你哥影視社(ユア・ブラザーズ・ フィルムメイキング・グループ、2017年〜) 。
スー・ユーシェン/蘇育賢、 リァオ・シウフイ/廖修慧、 ティエン・ゾンユエン/田倧源から成る你哥影視社のインスタレーション「宿舎」は、私の興味を強くひいた。
台湾の工場で働くベトナム人女性たちが2018年、待遇改善を訴えてストライキを行った。寮に立てこもり、Facebookでストの様子をライブ配信したのだ。ストだけでなく彼女らの日常のありのままが全世界に発信された。
你哥影視社は、二段ベッドの立ち並ぶ雑然とした寮をセットで再現し、移民らをスカウトして、ストを再現するワークショップを行ったのだという。横浜トリエンナーレの展示でも、二段ベッドには訪れた人たちが自由に座ることができるようになっていた。筆者も固いベッドに腰掛けてみると、ザワザワとした労働者たちのざわめきや香りが立ち上ってくるかのような錯覚を覚えた。

你哥影視社「宿舎」


你哥影視社「宿舎」

ここには悲惨さとともに女性たちの笑い声があり、猥雑なエネルギーとたくましさがある。パワーをもらえる作品だった。

繊維産業と象


ホァン・ボージィ/黄博志(1980〜)の「社会経済的な生産性は 43年で破壊されてしまうだろう。政府に人道的な対応を求める。」は、繊維産業の重労働に従事した彼の母親の物語だ。長時間のミシン作業により痛むからだ、象のようにむくんだ足。ホァン・ボージィは、母の痛みを昇華するかのように、象にふんした役者たち(実際の労働者たちだ)を映像におさめた。象はまた、1960年代に台湾が農業国家から工業国家へ移り変わったとき、勤勉のシンボルとしても使われたという。グローバル資本主義のもと、先進国で使われる衣類をうみだすために、大きな犠牲が払われてきたことに疑問の余地はないだろう。


ホァン・ボージィ/黄博志

横浜美術館ーいま、ここで生きてる

北欧の遊牧民

「いま、ここで生きてる」と題されたセクションでは、横浜美術館の天井高の高い開放的なロビーと階段が巧みに使われていた。会場のキャプションにもあった通り、このスペースはどこか難民のキャンプを思わせる。北欧の遊牧民・サーミ族の血を引くヨアル・ナンゴ(1979〜)が作った、遊牧民の住まいをモチーフにしたテントはとりわけ印象的だった。

ヨアル・ナンゴ「ものに宿る魂の収穫/ Ávnnastit」

響く爆撃の音

また、ユリー・ビーリー、 パヴロ・コヴァチ、 アントン・ヴァルガによる「オープングループ 」(2012〜)の映像作品「繰り返してください」には胸を撃ち抜かれるような衝撃を受けた。ウクライナ侵攻のため、リヴィウの難民キャンプに逃れた人々に取材した作品だが、ロシアによる銃声や爆撃の音を人々に口頭で再現させている。「バババババババババ」といった爆撃の音。不思議な響きをもった音がロビー一帯に響き渡るが、その音の正体を知ったとき、まるで空襲下の国にいるかのような苦しさが胸を襲う。

オープングループ「繰り返してください」

その他

その他に横浜美術館で印象的だった作品を箇条書きで上げていく。

◎シビル・ルバート(1942〜2011)
「マルキ・ド・サドのためのデッサン」
刑務所や精神病院で絵画教室を開いていたシビル・ルバート。人間や昆虫が混ざりあった怪物のような木炭デッサン。

◎マンデルバウム(1961〜1986)
第二次世界大戦下のユダヤ人虐殺を生き延びた家庭に生まれた。ギャングやユダヤ人、ナチスの高官、フランシス・ベーコンなど、想像上の人物も織り交ぜながら、複雑な自分の姿を確かめるかのように絵を描き続けたマンデルバウム。犯罪に手を染め、25歳のとき事件に巻き込まれて殺害された。

その他、韓国の民主化運動勢力との連帯で知られる富山妙子(1921〜2021)の絵画「広州蜂起」「広州のピエタ」や詩人・金芝河をモチーフとした作品も印象的だった。また、日中版画交流に多大な貢献をした李平凡の作品や、戦後の中国木刻の普及運動の紹介も面白く見た。
1900〜1920年代に活動した日本の文筆家・厨川白村の著作「苦悶の象徴」(1924年刊)から名前がとられたセクションもあった。魯迅は詩集「野草」を書いた同時期に、白村の「苦悶の象徴」を翻訳した。この中で白村は次のように述べたという。

「文芸は純然たる生命の表現だ。外界の抑圧強制から全く離れて、絶対自由の心境に立って個性を表現しうる唯一の世界である。」

会場の展示キャプションより

今回の横浜トリエンナーレの企画者の思いもここに重なってみえる。


BankART KAIKOと旧第一銀行横浜支店

横浜美術館の会場の作品を見終えたあとは、BankART KAIKOと旧第一銀行横浜支店へ移動する。2会場には「すべての河」というタイトルがつけられている。

すべての河

BankART KAIKOと旧第一銀行横浜支店の二会場にまたがるこの章のタイトルは、イスラエル の作家、ドリット・ラビニャンの小説『すべての河』(2014年刊)から採られています。イスラエルと パレスチナから来た二人の恋物語は、公的な出来事がいかに個人の人生を翻弄するかをわたしたちに教えてくれます。

会場の展示キャプションより

ピェ・ピョ・タット・ニョ(1998〜)の「わたしたちの生の物語り」。作家の出身地ミャンマーでとれるルビーは、最高級品として高値で取引され、その鮮やかな色から「血」にたとえられてきたという。そこには採掘にかかわる労働者の犠牲も滲んでいる。


ピェ・ピョ・タット・ニョ「わたしたちの生の物語り」

助け合い

旧第一銀行横浜支店では、「自治」「助け合い」「反消費」といった理念を掲げてカフェや古着屋、宿泊所や印刷所を運営し、東アジアにネットワークを広げ る人々の活動をご紹介します。

会場の展示キャプションより

旧第一銀行横浜支店では、高円寺の「素人の乱」で知られる松本哉や山下陽光の作品が印象的に紹介されていた。

旧第一銀行横浜支店
素人の乱

グローバル資本主義の進む世の中で、「自治」「助け合い」「反消費」といった緩やかなネットワークを築く人々の動きが、希望として語られているのだろう。

終わりに

ここまでお読みいただいた皆さまに心よりの感謝を申し上げる。つたない文章でまた構成も心もとないものであった。
今回の横浜トリエンナーレでは、難民・移民問題や先住民族らに焦点を当てた作品が目立った。とくに先住民族の当事者であるアーティストの作品が印象的に扱われていた。31の国と地域からアーティストの参加があったことで、作品の多様性が担保されていたように思う。また、ウクライナ侵攻やグローバル資本主義下の労働者の問題にも射程を広げ、今日的問題への解を模索する姿勢は好印象だった。
ストやデモなどの抗議運動を好意的にとらえ、民衆のエネルギー、「野草」の希望として描いている点も、現代の日本ではあまり馴染みがないかもしれないが、ADふたりの判断に拍手を送りたい。

直視することのできない凄絶な境遇、苦しみの中にある人々を対象とし、それでも前を向いて生きていく力強さを「野草」になぞらえているのだろう。私たちができることはなにか、緩やかな連帯をつくるにはどうしたら良いのか、考えるきっかけを与えてもらったように思う。柄谷行人やグレーバー、バトラーら思想家らの文章を「日々を生きるための手引き集」と題し、著作のテキストが展示会場のタブレットで閲覧できるようになっていたのも面白かった。
一方で少し気になったのは、言いがかりのようになってしまうかもしれないが、中国を拠点に活動するADふたりにとっては、中国政府批判は難しいことだったのだろうと感じさせる面もあったということだ。
ともあれ、「野草」は希望であった。このような時代にも野草は咲く。焼き尽くされた野にも野草は咲く。美しい花がきっといつか開く。希望を捨ててはいけない。日々を生き抜こう。そう教えられた展示だった。

横浜トリエンナーレ案内

第8回横浜トリエンナーレ
「野草:いま、ここで生きてる」

公式サイト

2024年3月15日(金)– 6月9日(日)
横浜美術館、旧第一銀行横浜支店、BankART KAIKO、クイーンズスクエア横浜、元町・中華街駅連絡通路

作品の紹介は、横浜トリエンナーレ会場の展示キャプションを参考に執筆させていただきました。個人の記憶に頼ったため、紹介内容に間違いがあった場合は大変申し訳ございません。コメントでご指摘いただければ大変ありがたいです。また、作品の写真は、撮影可能とされたもののみに限り撮影しました。

◎筆者Xアカウント
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