愛とは・・
昨日のある場で尊敬する方が語られた。
愛情とは何か?
河合隼雄氏も言っているとおり、
愛情とは、関係を経たぬ事。
ではないか、と。
私の愛読書、エーリッヒフロムの「愛するということ」の中にも、
愛とは、愛する者の生命と成長を積極的に気にかけることである。この配慮のないところに愛はない。
とある。
関わり続けること、関心を持ち続けること、興味を持つことが、優しさであり、大きな愛情であると自分も思う。
そんなこと?と思うかもしれないが、他人に関わり続ける、相手に関心を持つことは、意外と難しいと思う。
特に大人になってからは、そもそも心許せ魅了される新しい出会いが、そうあるわけではない。
大人であるという見えない仮面が、本音を出しづらくしたり、出会いそのものが仕事や家族、地域のしがらみがあるもので、これもまた本音を出しづらいことなどが原因かもしれない。
また、忙しい毎日の生活の中で、時間もない。時に自分の家族ですら、何を考えているかわからい状態にもなる。
そういう中で、相手に関心を持つこと、関係をつづけることは、容易でないと感じる。
自分が一番他人からの愛情を感じる時も、自分に関心を持ってくれている時だ。とてもありがたい。
自分は、比較的自分で自分を元気にする事ができて、あんまり人に心配かけないし、他人にとって付き合いにくい人ではないと思うので(自分判断なので、他者からみたらどう思うかわからないけど、、)ある意味、無色透明で関心を持たれにくいような気もしている。
子供たちや家族はもちろん関心を持ってくれてると思うけど、でも、自分が死ぬ時にどれだけの人が自分の事を理解してくれているのかはわからない。(別にネガティブな気持ちがあるわけではなく、そんなもんではないか、と)
関心を持ってもらい、理解されるということ。
正確には関心をもってもらうことと、理解されることは別物だけど、まず関心をもって関係がないことには理解されない。
理解されることは、自分を孤独から救ってくれる。
今の世の中、食べものやお金がなくても少々のことでは死なないけど、孤独である、ということで人は死をも招く。
だから、関心を持つ、興味を相手に持つ、関係があるということは、とても尊いことだと、思う。
これは、よく比較される「恋」的情動とは違うものかもしれない。
でも、「情」的感情とは似ているかもしれない。
人間が人間として、すごい確率の偶然で関心を持つ。本当に尊い。
だから自分も頂いたご縁に対して、関心をもち関係を続けたいと思い毎日過ごしている。
比較的、毎日出会う人の数が多いので、もちろん全員に平等とはいかないが、心のままにできる範囲で。それもご縁。
そして、続けて尊敬する方は、語る。
最後死ぬ時に、自分の人生にYesと言える。これでよかった、自分の人生。と思うこと、これが人生の目的ではないか?そして、これはもちろん、只思えばいいではない、どんな困難があっても、それがあったからこそ、と、それに向かう自分の生き様、歩みがあってこそ、と。
尊敬するその方は、年齢のせいだと仰ってたけど、顔色がとても悪く、とても珍しく早々にお帰りになられた。相当お身体の具合が悪かったのだと思う。
そんな中にわざわざお越しいただいてメッセージを頂いた。とても心配だし、その渾身のメッセージは、なんか忘れてはいけない気がして、ここに書き留めた。
自分の生き様としては、どんな状況がきても、愛することを忘れないでいたいな、と思う。
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