何かの続きとして書かれる 2024/11/17週
歩いているときに目にはいるものが変わってきていた。イオンの横の柵にもたれかかってニット帽を被った年配者がスマホを眺めながら何か操作をしている、通りがかりの老人の視界が何を捉えているかにじっと見とれている。逆に訝しげな視線が返される。そこで何が起こっているのか、どういうプロセスがあるのか想像はつかないが、むき出しの視線には暴力性が伴うと思うようになった。
意図の曖昧な視線でも、それをされている側にとって逆の意味に捉えられることがある。そういう権利があると思うなと反射してきた視線が問い詰めてきているようだった。無為を装うにしても元々形がないだけにやりようが思いつかない。目を細めようが薄めようが、そこに線があることに変わりがない。
視線を反射させるのは彼より年嵩であることが多いようだった。そこには礼に関わるものがありそうに思えた。なめるな、ということだ。礼だとすればその反射には筋がある。
彼は習慣の散歩で国道を折れて広い見渡しのある農地で、眺めの奥の県道をまたいで見える常緑樹のことを思い出した。辺りの雑木林は歴史を辿れば原生林ではないものの農地に役立てるための落葉樹だが、秋になると県道沿いの屋敷だけ緑で家屋が見えなくなるような種類の木が植えられている。広い見渡しの中でそこだけが濃い色でマスクしてある。
同じ意味に思える。
彼はその緑に人工的というより余計に人間的な感覚があるように思えた。それまでは冬枯れの中の目立ちは意図を外れたものかと冷やかしの感覚もあったが、そうでもないのかもしれない。
ふとイヤホンの音量をあげている自分の姿が思い浮かんでいた。部分的に剥がれて、視界だけが微かにつながって中から外を眺められる。大学かアルバイトに向かう車両の中で、ドアにもたれて視界はあるが何も見ていない。音楽もさほど真剣に聴いているのではなさそうに見える。耳馴染んでいるか、聴き当てのないポップスを繰り返し流している。身体が手すりに少しおしつけられてドアがひらくとき、外と釣り合わせるようにボリュームをあげていた。こういうのを魔除けというのかもしれない、と思っていた。
彼の祖父は、団体の啓蒙活動をしていた時期があると伯母が年明けの挨拶をしにいったときに何かの弾みで話しはじめていた。当の家族もどういうことをしていたか実体のわからない活動だった。
「当時は結構熱心に活動していたみたいなんだけど、お母さんが、あの、アキちゃんのおばあちゃん。亡くなった後でしなくなって、会社も整理して、しばらくして自分ではじめたんだったと思う」
彼はそれに胸がつまった。亡くなるまでに何とかならないかとずいぶん方々を相談したりやれることを試していたということだった。
彼は夜毎祖父のところに声をかけにくるものがあったかもしれないと空想した。
お前のやっていることに何か意味はあったか?
どちらにせよ結局こうなって、まだそれに縋り続けるのか。
メフィストとしばらく話をして、思想の試練に耐えられなかった俺のじいちゃん。風邪をひいたら、電話でまじないの言葉を口にして、次はお父さんに電話をかわって、と言ったじいちゃん。夏休みに遊びに行くと孫に朝マックのパンケーキを買っていた。自分でつくった神様の木彫りの像と本を棺桶におさめられていた。
友人が話しはじめた。
「自分でやりはじめる、というのは今の自分たちにとっても身につまされるところがある」「新聞のはじに広告を載せるような本をだして、小さくても個人的な何かをたちあげるのは、どこか」
大学を離れて、それでもそういう感覚は残るのか、それはそうかと腑に落ちた。
書きかけの文章の続きを書きはじめるのはいつでもなされる。それは話される。また何かの続きとしてどこかで書かれる。