【おはなし】『頭の話』

 ヨコザワさんの担当美容師は、タテノさんというベテランの人である。
 ヨコザワさんはあまり働けていなくて、美容院代も「汚いとみっともない、また仕事ゼロになるよ」と言われて親にもらったお金で来ていたりするので、あまり根掘り葉掘り自分のことを聞いてほしくない。恋愛も結婚も子どもも全く興味がないし、それもあって芸能人のゴシップもなんら面白く感じられない。推しはいるけど、メディアでやたら「中高生に人気の」と枕詞につけられるので、四十代半ばのヨコザワさんとしては口にするのに萎縮してしまう。
 で、タテノさんである。
 タテノさんはヨコザワさんの親より一世代若いくらいだと思う。手際が良くてサバサバしている。そして、タテノさんは自分の話ばかりする。ヨコザワさんの意見は、ヨコザワさんが口を挟まない限り聞かない。タテノさんは人の悪口は言わないし、考えを押し付けてきたりもしない。芸能人の話もしない。専ら、最近見つけた美味しいごはん屋さんの話とか、ネットでレシピを見かけて最近作ってみた料理の話とか、ご家族やお友達との微笑ましいエピソードとか、子どもの頃の思い出とかを話している。
 ヨコザワさんは、タテノさんの話を聞くのが好きだし、憂鬱な気持ちにならずに美容院へ行けるから大変助かっている。タテノさんが引退したら、それから先、どうしようかと今から気をもんでいる。

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 ある日、タテノさんがオシャレなニット帽を被って接客に出てきた。
「私ね、こないだ自転車で転んで、頭を強打して、血を流して倒れて気を失っちゃって」
「ええっ」
「たまたま犬の散歩で通りかかった人が見つけてくれて、救急車を呼んでくれたから助かったんですけど、手術したもんだから、今、ここ、髪の毛全部無いの」
 後ろ頭の一部をくるりと指して、タテノさんは「全部無いは言い過ぎたね、荒野?」なんて言うと、アッハッハと明るく笑った。
「いや〜、危ないところだった。ちょっと前までシャンプーさせていただくのも大変でね。数日はハサミも持てなかったし。今は髪の毛以外は元通りですよ」
「やだ、おおごとじゃないですか! 下手したら今日、タテノさんいなかったかも……」
「ほーんと、そうならなくて良かったですよ。血も、出てたから良かったんですよ。出てなかったら命も危なかったかもね」
 オロオロしているヨコザワさんを見て、
「もうね、自転車は乗らないことにしました。バスがあるから大丈夫。この辺、車も要らないし、もう、なんにも運転しません! だから安心してください」
 タテノさんが明るくそう付け足す。ヨコザワさんは、ようやく肩をしっかりおろして、長く息を吐いた。

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 頭を打ってから、タテノさんが話す内容が変わった。
 ニット帽も取れて完全復活したタテノさんは、相変わらずいい人だし、下世話な話もしないし、ヨコザワさんのプライベートを不躾に聞いたりもしない。だけども、しかし。
「どーも、あれから変なんですよ。白昼夢なのかな? 変なことがちょくちょく起きて、ま、大したことないし、気味悪がられるだろうから、ほとんど人にも言ってないし、医者にもあれから行ってないんですけどね」
 ヨコザワさんは何話しても否定せずに聞いてくれますでしょ、と話すようになったのは、例えばこんな話である。

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 こないだね、節分祭りのお手伝いに行ってきたんですよ。近所の神社にね、夫と一緒に。そしたら、そのお礼に、厄除けのお菓子をいっぱいいただいて。豆板っていうんですけどね、知ってます? まめいた。そそそ、豆板醤みたいな字を書くやつ。知らない? こう、白砂糖が雪みたいにギュウギュウに、丸く平たく固めてある中に、小豆が埋まってるみたいなやつ。見たことないかなあ? 豆入りせんべいみたいな……ともかくそれをもらってきたんですよ。
 それをね、翌日、小腹が空いたもんで、カバンに入れてたのを食べようと思って開けたの。あ、バス停のベンチに座ってたんだけどね。そしたらさ、隣に、鬼が来たのよ。ほら、昔、カミナリさまのコントやってたの知らない?あんな感じよ。でもほんとに鬼でさ。マジのやつ。でも、すんごい落ち込んでてさ、見るからに。思わず聞いたんですよ、
「大丈夫ですか?」
 って。そしたら、ふかーい溜息ついて、
「節分あんまり好きじゃないんですよねぇ」
 って言うんですよ! そりゃ鬼だもん、イヤに決まってるじゃない、と思ってそう言ったんですよ。
「ま、そうなんですけどね、毎年やってるから、割と好きでやってるって思われてる節があるなって思ってて……。ほら、お面なんかも割と楽しい感じでしょ」
 言われてみれば、そうかもしれないなーって思って、なんかかわいそうになっちゃってね、私、
「豆板食べます? 甘いですよ。昨日厄除けでもらったんですけど、よろしければ」
 ってすすめたんですよ。そしたら、
「お気遣いありがとうございます、いただきます。大豆も恵方巻も好きなんで平気だと思います」
 で、美味しい美味しいってペロッと食べちゃったんですよ。
「イワシとヒイラギのやつなんかあれ、どうですか? 柊鰯で合ってますっけ」
「ああ、あれかわいいですよね。ここ何年かはよく、接写してSNSに載せてます。画像のサムネイルが並ぶと、ご家庭それぞれの味が感じられていいです」
 私、勝手に撮っていいのかしら、一言断っとかないと、後々揉めないかしら、とか思ったんだけど、それは黙ってました。
「パーマがね、また面倒なんですよね。地毛は直毛なんですけど、ストパーかけてるんじゃないかとか疑われたりして。そもそも、別にストレートでもいいじゃん、仕事と関係ないのにさ、とか思うんですけど」
「それはイヤですねえ、学生の理不尽な校則みたいですねえ」
「パーマも適当にかけてるとまた笑われるんですよ。トレンドも押さえつつ、そこにのっかり過ぎないようにしないと、悪目立ちするんですよね」
「常識的で清潔感のある感じって難しいですよね。私もアップデートしなきゃしなきゃって思うんですけど、若い人のセンスにはなかなかもうついていけないですよ」
 それからなんだかんだで盛り上がってね、今度うちの美容院でパーマかけることになったんですよ。

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「予約入ってるんですか?」
「いや、私が勝手に取るわけにもいかないし」
「向こうから、ネットなり電話なり直接来るなりしてくれないとね」
「そうそう、社交辞令かもしれないですし」
 白昼夢かもしれないし。

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 今日またカットしてもらいにヨコザワさんが美容院に行ったら、タテノさんがちょうどお店の出入り口で見送りをしているところだった。オシャレパーマがかかった鬼が、店を出たその足で証明写真を撮る機械に入っていった。

(おしまい)

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