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以前書いたお話(20:平成三十年間)

 こんにちは、返却期限です。
 
 書いたお話を置いてく場所に困ったので、noteに置くことにしました。

 久しぶりに、お題なしで書きました。幼稚園時代から始まる、三十年間のゆるい友情のお話。

『平成三十年間』

 栄希武(さかえ のぞむ)と住吉勇気(すみよし ゆうき)の、平成三十年間の話。
 
 1989年(平成元年)、栄は家の近所の幼稚園に入園した。今年度中に5歳を迎える彼は、年中のカンナ組にて、初めての集団生活をスタートさせた。
 組の他の連中と初顔あわせとなる日、テーブルに4人ずつ座らされ、しばらくの間待機させられた。それぞれのテーブルの真ん中には、果物の絵が描かれた大きなシールが貼ってあった。栄の班はミカンだった。
 その遊びは急に開始された。シールの部分に本物の果物が置いてあると仮定し、その果物に手を伸ばし、手に取って口にするふりをし、「モグモグモグ、ああおいしい!」と、誰からともなく言い出したのだ。瞬く間にそれはテーブル間を伝播し、ミカンの班にもやってきた。
 栄はみんなの様子を観察していた。乱暴に奪う子、何が可笑しいのかケタケタ笑いながら一連の動作をする子、動作をするたびに「モグモグモグ」「ムシャムシャムシャ」「ボリボリボリ」「パリンパリンパリン」と噛む音を変え、「変なの!」と笑わせ、「ああ~、マズい!」などと感想を変え、また笑わせる子。目の前で3人が繰り返す遊びに、自分はどう入ろうかと栄はまごまごした。ひとりっこ故の戸惑いだったかもしれない。
 突然、さきほどの愉快な子が、手に取ったミカンを栄に差し出してきた。
「はい。これ、きみの!」
 栄はビックリして一瞬固まった。
「さっきから食べてないでしょ、あげる!」
 にっこり笑われて、透明なミカンが手渡された。
「ありがとう」
 優しく面白いその子が住吉だった。
 
 栄は先生をはじめ、みんなから下の名前の「のぞむくん」で呼ばれていた。ただ、それをつまらないと感じた住吉からは「さっちゃん」と呼ばれるようになった。
 住吉は見目が可愛らしく、先述のように優しく面白い子で、割と賢かったが、純粋さからくる幼さがあり、そういったことが総合的に「モテ」を発生させていた。女の子たちは「ゆうきくん、ゆうきくん」と住吉を取り合った。幼稚園の外では近所の年長さんまでもが住吉を引っ張っていった。「さっちゃんも来なよ!」と連れて行かれるのだが、女の子たちに邪魔もの扱いされるのでちっとも面白くない。住吉と2人だけで遊べるとき、栄はとても嬉しかった。
 
 あるとき、栄は住吉を泣かせてしまった。住吉が持っていた特撮の子ども用の本、あの、ページが分厚くて丈夫なやつだ、あれの表紙の写真を指して栄は、
「背中のチャック写ってるじゃん」
 と言った。今では考えられないと思うが、特撮ヒーローのそういったゆるい写真が表紙になっていたのである。言葉を失って混乱している住吉に、追い討ちをかけるように言う。
「中に人が入ってるんだよ。知らないの?」
「え?だって変身するんでしょ?」
「テレビの中ではね。ほんとは人がこういうのを着て、それをカメラで撮ってるんだよ。あんなにおっきいわけないでしょ」
 つい、得意になって話してしまった。
「ちがうもん!変身するんだもん!」
「テレビの話が嘘なんだよ」
「そんなわけないもん!さっちゃんの嘘つき!」
 住吉は怒りながらエンエン泣き出した。バカだなあと思ったし、自分の母親にそう言った。当然、怒られた。
「ゆうきくんはまだ夢を見てるんだから、それを壊したらダメでしょう?のぞむはゆうきくんより賢いんだから、優しくしてあげなさい。ちゃんと謝りなさいよ」
 住吉は頭が悪いわけではない。だから彼より賢いというのは少し違う気もしたが、優しくないのは確かに良くないと思い、明日謝ろう、と思った。その矢先、電話がかかってきた。どうやら住吉の母親からのようだった。ギクリとした。自分の母親が電話口で謝っている。でも少し笑っている。どういうことだ?
「のぞむ~!ゆうきくんよ~」
 おそるおそる電話を替わると、泣きじゃくった住吉の声が聞こえてきた。
「さっちゃんのこと、嘘つきって言ってごめんなさい。さっちゃんの言うことは、本当でした」
「こっちこそ、ひどいこと言ってごめんね」
 栄はやや乱暴に、住吉を少し大人にしてしまった。
 
 1994年(平成6年)、栄と住吉は小学4年生になっていた。
 令和の今ならそうでもないかもしれないが、この時代、「希武」を「のぞむ」と読む名前は結構周りから浮いていた。この年、栄は「キブ」とあだ名をつけられ、それをとても嫌がっていた。あからさまに嫌がるとエスカレートしそうなので、甘んじて受け入れていたが、住吉が「さっちゃん」と呼び続けてくれていたことに心から感謝していた。
 住吉は相変わらず、モテていた。インドアな栄は冴えないグループに属し、2人の距離は少しずつ離れていった。
 
 1998年(平成10年)、2人は同じ公立中学の2年生になっていた。1年生でも2年生でもクラスは別々だったが、もうそれほど親しく付き合っていなかったので、栄は特に寂しいとは思っていなかった。栄は小5のころから住吉を「住吉くん」と呼びはじめ、中学に上がると「住吉」と呼ぶようになっていた。住吉はずっと「さっちゃん」と呼び続けた。住吉の方は少し寂しく思っていたのだ。彼女と歩いていると栄が気まずそうに無視をする。別に1人で話しかければ話してくれるから、嫌われたわけではないと思うのだが。
 栄と住吉は図書委員という共通点があった。あるとき、宮沢賢治がテーマの県規模の会に代表で誰か参加して発表しないか、と先生が委員会で持ちかけた。億劫なのでみんな消極的な態度を示した。
「嫌なのか?だったら参加したくない理由をきちんと述べなさい」
 めんどくさいもん、とは言えず、みんなが俯く中、栄が挙手した。当てられて立ち上がる。
「ぼくは、参加したくありません」
「理由があるのか」
「はい」
「言ってみなさい」
「宮沢賢治が嫌いだからです」
 先生は大きく笑い、
「ちゃんと読んだのか?」
 と聞いた。ちゃんとかどうかはわからないですが、と前置きし、栄は宮沢賢治の著作を、指折りいくつも挙げた。
「このあたりは読みましたが、どうしても好きになれませんでした。というか、大嫌いです」
「じゃあ仕方ないな」
 いや、それだけ読んでるなら出ろよ、みたいな気もしたが、食べても食べても嫌いな物を食わされるのは、やはり拷問だろう。
 そして住吉は、先生相手に、教科書に載っているような作家を堂々と「嫌いだ」と言ってしまえる栄が、とてもカッコよく見えた。どちらかというと優等生的な態度を取ってしまいがちな自分には、そんなことは考えられなかった。
「宮沢賢治が嫌いだからです」
 家に帰って呟いてみた。自分には言えそうになかった。
 
 住吉は今で言う陽キャ、栄は今で言う陰キャであったが、2人とも成績が良く、素行も良かった。高校は地元の公立では一番の進学校に進むことに決めた。そしてそこはなぜか、「(今で言うところの)イケメンの巣窟」という噂がまことしやかに流れていた。栄は思った。住吉はいいとして、自分は大丈夫だろうか。まさか顔の善し悪しで落とされることはないだろうが、入学後に女子からキモいキモいと過剰に言われてはたまったものではない。自分の顔は、親戚から「らっしゃい!って感じだよな」と言われる「らっしゃい顔」もしくは「へいお待ち顔」なのである。
 結局、2人はその高校に無事合格した。確かに合格者にイケメンが多く、その理由は今もって不明だが、噂は本当だったとわかった。意外にも、割を食ったのは住吉のほうだった。校内で5本の指に入るイケメンだったはずの住吉は、またたく間に埋もれてしまい、フツメンに転落した。しかも、各中学でトップクラスの成績の者ばかりが集まっているから、成績でも埋もれる。中学では柔道部で1人だけ黒帯だったが、この高校の柔道部は垂れ幕が絶えることのない強豪。とうていやっていけそうにないので弱小テニス部に転向した。結果、住吉はみるみるうちに冴えないキャラになってしまった。栄は「ありゃりゃ」と眺めていた。
 
 2001年(平成13年)、高校2年生。
 栄と住吉は別のクラスだったが、文系の選択数学が2クラス合同だったので、その時間は同じ授業を受けていた。
「おーい!住吉くん、物理15点だったってよ~!」
 意地の悪さと偏差値の高さの両方でその名を轟かせていた男子が、こっそり聞いたらしいことを授業前に言いふらしていた。
「おい、やめろよ、絶対内緒にするって言ったじゃん!」
 住吉は怒っているが、怒り慣れていないので弱々しい。授業開始前に聞いていた、これまた意地の悪さで悪名高い数学教師が、流石に苦笑しながら、
「やめてやれよ」
 とやんわり窘めると、
「先生、これは愛の鞭ですよ!」
 いけしゃあしゃあと言ってのける。教室中どっと笑い、住吉は苦々しい顔をしていた。栄は住吉から目を逸らして眉間にしわを寄せた。
 授業が終わり、教室からわらわらと生徒たちが出て行く中、栄は住吉を呼び止めた。そして他の生徒から離し、声を潜めて言った。
「俺は物理のテスト17点だったよ」
 住吉は笑って礼を言った。それをきっかけに、2人の友情は復活していった。
 体育の授業も2人のクラスは合同だった。バドミントンで、テニス部とは思えないへっぽこぶりを見せる住吉。ぢっとラケットの網を見る。
「住吉、ガットは破れてないぞ」
「そうなんだよ、破れてないんだ」
 ため息とともに落とした肩に手を乗せてやった。
 
 ある日、住吉がわざわざ休み時間に栄を訪ねてきた。
「どうした?」
 と聞けば、声を潜めて住吉は言う。
「さっき先生が言ってたんだけど、僕、世界史の実力テスト、学年1位らしい」
「ほんと!?おめでとう!」
 小さな声で祝う。
 しかし翌々日、暗い顔をした住吉がまた訪ねてきた。
「どうした?」
「世界史、学年1位じゃなくて、先生の受け持ちの中での1位だった……」
「なーんだ、それでもすごいじゃん」
「恥ずかしい……しかも、嘘ついた。ゴメン」
 ずいぶんしょんぼりしている。
「そんなの謝んなくていいけど。あ、なぁ、住吉、また下の名前で呼んでいい?」
「いいけど、なんで今聞くんだよ」
「弱ってるときを狙おうと思って」
 住吉は情けない感じの笑い方をして、
「さっちゃん昔からそういうとこあるよな」
 嬉しそうにそう言った。
「あるかな?なぁ、小さい頃みたいに勇気くんがいい?それとも勇気がいい?」
「勇気でいいよ」
 
 3年生で同じクラスになった2人。
 古典購読の予習をクラスで1人だけやってきたので現代語訳を読み上げたら、
「それが受験生の訳かバカモン!」
 とベテランの鬼先生に出席簿で頭を叩かれる住吉。
 「兎に角」が読めず、「うさぎにつの」と読んだためにクラスメートと先生からゲラゲラ笑われる住吉。
 猫とネズミの顔を黒板に描いて、その間に双方向の矢印を書き、その下に「相互作用」としたため、クラスメートの頭に「?」を浮かばせる栄。
 3年間同じクラスだったマドンナ的女子から、卒業間際に「ごめん、名前なんだっけ?」と言われる栄。
 パッとしない2人は別々の、しかし、ともに自宅から通える地元の大学に進学した。

 2005年(平成17年)の確定申告の時期、2人は税務署でアルバイトをしていた。住吉が親戚の紹介でもらってきた案件で、栄に声をかけた。
 書類を整理しながら、人の名前や職業欄を見てクックックと笑うという失礼極まりない悪行をしていたが、お金に関して悪いことはしなかった。
「勇気、人の名前で笑うなよ」
「ごめ……っていうかお前も笑ってんじゃん」
 キブと呼ばれて嫌な思いをしたことは、良くも悪くも栄のトラウマにはなっていなかった。
「俺、公務員になろうかな」
 ポツリと栄は呟いた。
 
 2012年(平成24年)、年賀状だけの付き合いになっていた栄から、結婚式にぜひ出席して欲しい、と住吉に連絡があった。もちろん快諾した。
 式の途中で、驚くべきことが発覚した。新婦の紗代(さよ)さんとは、お互い、あだ名が「さっちゃん」だということで意気投合し、交際に発展し、ゴールインしたというのだ。
「ずっとさっちゃんって呼んでくれてありがとう」
「ありがとうございます」
 新郎新婦から感謝された。なんだかポカンとしたが、「さっちゃん」という呼び方を続けて良いか迷った時期もあったので、自分の選択を肯定されたようで、住吉はジワジワ嬉しくなった。
 
 2018年(平成30年)年末、住吉は地元の耳鼻科の待合室にいた。魚の骨で喉を切っていた。
「さかえのぞむさーん、会計までどうぞ」
 え?と顔を上げると、マスク姿の栄の猫背が会計に向かっていた。思わず声をかけそうになったが、求職中の身なのであまり話したくはないな、と思い直してやめた。栄はずっとこちらに気がつかないまま、病院を出て行った。すぐに診察室から住吉が呼ばれた。
 目の前でバスに置いて行かれた栄は、バス停から少し離れたところで壁にもたれて北風をよけ、スマホをいじっていた。画面をスワイプしてもスワイプしても、「平成最後の」が踊っていた。
 やがて、バス停に1人の男がやってきた。住吉だった。懐かしくて声をかけると、彼も同じ耳鼻科にいたことがわかった。息子に鼻風邪をうつされてさ、とボヤくと、住吉は真面目な顔をして言った。
「じゃあ早く治すためにビタミンCとらないとな。今だったらミカンとか?」
「ミカン!」
 栄は思わず笑ってしまった。
「え?ミカンってビタミンC多いよな?僕、なんかおかしなこと言った?」
「ごめん、なんでもない、ありがとう」
「なんだよ教えろよ」
「だって絶対覚えてねーもん」
 住吉にはたぶん、なんかいいことある。

(おしまい)

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