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以前書いたお話(16:向の席の女)


 こんにちは、返却期限です。
 
 書いたお話を置いてく場所に困ったので、noteに置くことにしました。
 
 これは、友人である、もとりさんに、漢字一文字でお題3つを出してもらって書いたシリーズの3つ目です。

お題「」:『向の席の女』

 私の向かいのデスクに座っているのは、小沼(おぬま)さん、その隣の席が中崎(なかさき)さんである。今年度から担当が変わったので、2人は仕事の引継をしている。それは私の目に嫌でも入ってきて、心に漣(さざなみ)を立てている。
 小沼さんは明るくてお茶目。リーダーに「へーい、了解でゴンス!」なんて言っちゃっても許されるようなキャラだし、後輩に対しては姉御肌な面もあるし、彼女がいるとそれだけで場の雰囲気が良くなる。社交的で親しみやすく、歳の近い私とはタメ口で話す仲だ。ちなみに、私は彼女の「年上の後輩」だ。
 中崎さんは、小沼さんや私よりも少しお姉さん。自分に厳しく他人にもちょっと厳しめなタイプである。ルーティンの仕事はそつなくこなすが、急な案件が入ってくるとガラガラと崩れる。厳しい家庭で育ったので、リーダーや年上にタメ口なんて考えられないらしい。基本的には優しくて気遣いの細やかな人だが、ピリピリッとした空気を漂わせていることもある。
 で、今、ピリピリッとしている。
 さすがの小沼さんも軽口を叩く暇もなくメモを取ったり、資料をのぞき込んだり。中崎さんが「厳守でお願いします」「大変なことになります」「お金のことですから、間違いは許されません」「失敗したら、というのは、ありません。失敗は、できません」などの言葉を吐くたび、関係ない私が震え上がっている。仕事なのだから当たり前の心構えなのだが、小心な私はその言い方では追いつめられてしまう。小沼さんは私ほどビビってはいないだろうが、「昨日引き継いだ案件、考えすぎて寝不足で……」とコーヒーをがぶ飲みしているほどには最近は疲れている。
 向かいの席の引継、早く終わんないかなー、ずっと胃の調子が悪い……とグッタリしているそんなある日、帰りの電車で中崎さんと二人きりになった。
 昼休みもろくに休まず考え込んだり、引継資料に手書きで補足を書き込んだりしていた彼女に、私からくだらない話をふるわけにはいかなかった。疲れているだろうなと思い、沈黙もやむを得ないと思っていると、
「こないだ、推しがMステに出たんですけどね」
 と、まさかの話題で彼女から話しかけてきた。
「仁川(にがわ)さん、そういうとき、録画の編集どうしてます?」
 それから彼女は「オープニングでチラ映り問題」「ひな壇後列問題」「ワイプでリアクション問題」「2曲続けてどうぞ問題」「早送りしてたら実はコメント求められてた問題」「エンディングでもチラ映り問題」などの編集に当たっての問題点を列挙し、私が逐一「わかりますー」「ですよねー」「それ!ありますあります!」「コマ送り必死ですよねー」などと応じていると、どんどん熱くなっていった。
「あたし、どんな番組でも、たとえ推しが出てなくても、スタッフロールは残すことにしてるんです。番組を作ってるのって、出演者だけじゃないじゃないですか。どんな人が関わってるのか、きちんと把握できるようにしておきたいんです」
 やはり中崎さん、真面目。話が一段落し、彼女の表情も和らいだので、
「いや、それにしても、このところ引継、本当におつかれさまです」
 と、ねぎらいの言葉をかけてみた。
「すみません、本当に、仁川さんにはご迷惑をかけてばかりで」
「いや、私なにもしてませんし」
「ピリピリしてません?あたしら」
「まあ、それはしかたないじゃないですか」
「仁川さん、ほら、繊細な方だから、ほんま申し訳ないなって思ってて……」
 確かに私は過去に色々あったせいで、今の職場に来て2週間で「みんなが優しい」という理由で泣き出してしまったことがある。もう数年前の話だが、そんなメンタルの弱さを「繊細」と表現してくれているのだろう。彼女の性格上、嫌味ではないとわかる。
「あ、やば、空気悪いかも、って思ったら、案の定、仁川さんが『あ、しまった』『あ、消えた』『あ、どっかいった』って口走りはるから」
「やだー!すみません!」
 いたたまれない気持ちになる。
「違うんです、ミスを誘発するような空気にしてるあたしが悪いんです」
「いえいえ!」
「ほんま自分でも嫌になってて……。ほら、小沼さんって、仕事できはるじゃないですか。書類もすっごいきっちり作りはるし、手作業もきれいだし、字も上手だし。めちゃめちゃコミュ力高いし、毎日『今日なんにもしてない』とかいいながら、仕事早いじゃないですか」
「うん、すごいですよね」
「そうなんですよ。だから、あたしから引き継いだ仕事も、ぜひバリバリこなして欲しいなって期待をしてしまって、それがつい、厳しい言い方になっちゃって、ピリピリさせちゃうんですよね」
 中崎さんが、頬を赤くして口をとがらせた。ときどきやる、拗ねた口調になってきている。
「いやでも、人格を否定したり、冷たい言い方をされているわけじゃないですから大丈夫ですよ。私が勝手にオタオタしてるのは気になさらないでください」
「うーん……あと、きっとね、変なプレッシャーもあって。小沼さん自身が、人にものを教えるのが上手じゃないですか。丁寧だし。それがね……。たぶん、どこかあたし、小沼さんに教え方をジャッジされてる気がしてて……あたしの勝手な思いこみってわかってますよ?小沼さんにそんな暇ないし、そんな人じゃないってわかってるんですけど……あたしは小沼さんみたいに上手に教えられない、って、どんどん苦しくなっちゃって」
 苦しくなるほど焦って厳しくしてしまう。なにかにおびえて武装してしまう。わかる気がする。
「あ、もう降りなあかん。すいません、愚痴ってしまって。明日もよろしくおねがいします」
 律儀に一礼して去っていく中崎さん。彼女の後ろ姿を見ながら、以前彼女から聞いた、
「父親と同居していたころは、一挙手一投足が批評の対象になるようで窮屈でした。いつ怒鳴られるかわからなくて恐かったです。でも、今は、わりとのびのびやってます」
 という話と、はにかんだ笑顔を思い出していた。甘え下手なのだろうな。
   ☆
 ふだんの仕事も平行してやっているので、翌々日も引継が終わらない。今日はシフトの関係で、帰りは私と小沼さんが2人きり。中崎さんが期待から厳しくしてしまって申し訳なく思っている旨を伝えようか迷っていると、
「こないだねー、大量にタマゴもらっちゃって」
 全然関係ない話が小沼さんから始まってしまった。曰く、彼女が半月に1度くらいの頻度で通っている病院に行くときに、バスを利用する、と。そのバスに毎回乗り合わせる、年配のご婦人と仲良くなった、と。その人の名前がわからないので勝手に「バス田さん」と心の中で呼んでいた、と。
「そんな、新宿のあれみたいな」
「別に深い意味なかったんやけどなー」
「深いか?」
 笑いながら続きを聞く。その女性のご厚意で、バスの中で鶏卵をもらったはいいが、もてあましているそうだ。
「そんでね、もらうとき、『わー、バス田さーん!』って言うてもうたんよ」
「あちゃー」
「でもお年のせいか、耳が遠かったみたいで、『あら、わたし、名前言いましたっけ』って言うから『え?』ってなって『え?だってカスガさんって言いましたよね』って。たぶん春の日って書くんやと思うけど」
「えー!偶然の一致!」
「そうかなー?フォローしてくれたんやと思うけど」
「でも、それやったら聞こえなかったふりせえへん?」
「あ、そっかー。じゃ、ラッキーミラクル!」
 小沼さんは両手の人差し指と中指をクロスさせて振った。意味はよくわからない。ラッキーミラクルのポーズなのだろう。
 彼女のスマホにLINEのメッセージが届いた。
「『明日帰りに飲みに行きませんか?』やって、ハイ無理ー!そんな余裕ナッシング!」
「お友達?」
「高校の後輩ちゃん。こちとら引継でいっぱいいっぱいやっちゅうねん」
 ピリピリとした空気、さすがにしんどいよね。
「ほんま、おつかれさまです」
「や、でも、わたし、中崎さん大好きやから全然平気やで」
 不意打ちをくらった。
「えっ、あ、そう?」
 話し出す小沼さんの顔が何ルクスか明るくなる。
「だって中崎さんめっちゃ可愛ない?ちょっとしたことでアワアワなるのがピュアっていうか、乙女っていうか。こないだも、テレビのことで『あれはヤラセや!』っておかんむりやったから、『いや、あれは演出で、よくあることですよ。視聴者もわりと、それ前提で見てるっていうか』って教えてあげたら、『そうなんですか!』って動揺しだして、顔どんどん赤くなって」
「確かに、中崎さん真面目やもんね」
「そういうとき、『大丈夫よー!落ち着いてー!』ってぎゅーってしてあげたくなる!」
 小沼さんはとっても嬉しそうな顔をして、エアハグをして、
「できへんけどー」
 と照れた。
 ああ、私が心配することではなかったなあ。
   ☆
 翌日の引継、私は前日までより余裕を持って見守ることができた。見守ってないで自分の仕事をしろ、という話だが。
「おや?資料のスクショと画面が違うぞ?」
 ややわざとらしい台詞口調でゆっくり言いながら、紙面と画面とを見比べる小沼さん。怒られたようにビクッとする中崎さん。
「図3、のとこですよね?今」
 小沼さんが確認すると、中崎さんが血相を変える。
「あっ、あああ!違う!これは!見ないで!忘れて!」
 すっかり取り乱し、画面を手で隠したり、資料を手で隠したり、顔を手で隠したりしている。小沼さんは椅子をくっつけている中崎さんにしがみつくように、彼女をぎゅっと抱き寄せて、
「大丈夫やでー、大丈夫やでー」
 と言いながら頭をすりよせた。
「わーん!ごめんよ、ごめんよ。あたし、あたし……わーん!」
 中崎さんが子どものような顔で抱きしめ返す。
「なにやってんのあんたら!」
 リーダーが呆れてつっこんだのを機に、周りのみんながどっと笑った。
 数日続いた私の心の漣は、ぬるい海へと溶けていった。
(おしまい)

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