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以前書いたお話(8:八月は橋口君の話)

 こんにちは、返却期限です。
 
 書いたお話を置いておく場所に困ったので、noteに置くことにしました。

 これは、友人である、もとりさんが制作されたカレンダーのイラストに感化された私が、無謀にも1ヶ月1作のペースで、毎月のイラストをテーマにお話を書いたものの、8月分です。

『八月は橋口君の話』

 昨年の春のサークル勧誘で、当時新入生だった橋口君は文芸サークルに入った。文学部ではあるが、実のところ文芸にあまり興味はない。ではなぜ入ったのかというと、勧誘をしていた畑中さんの、流れるような美しい髪に一目惚れしたからだった。
「すごく美しい髪の毛ですね!」
「あら、ありがとう」
「このサークルに入ったら、あなたさまとおつきあいできますか?」
「は?」
 橋口君が唐突に調子のいいことを言い出したので、畑中さんは目をぱちくりとさせた。
「恋に落ちたので、交際を申し込みます」
「それは無理です。でも、サークルに入ってくれるのは大歓迎よ」
「分かりました。では、入ってから、虎視眈々と彼氏の座を狙います」
「ちょっと!なんかヤバい子が入ってきた!」
 畑中さんはケラケラと笑って、橋口君を子分に決めてしまった。
 それから、橋口君がいくらアピールしようとも、畑中さんは相手にしない、というのがサークルのお定まりになった。橋口君の入会で分かるとおり、ひどくゆるゆるとしたサークルなので、雰囲気は穏やかだった。
 今年も夏合宿の時期が来て、去年は参加しなかった畑中さんが来ることに、橋口君は小躍りした。実際踊って動画で撮られた。
 大学が所有している合宿所は、小さな無人島にある。一つの合宿所に、文芸サークルと、推理小説研究会と、川柳愛好会が毎年詰め込まれるのだった。
 文芸サークルとはいえ、橋口君のほかにもお調子者は男女数名ずつおり、水着持参ではしゃいでいた。畑中さんも割とノリはいいほうだが、水着にはならなかった。それどころか、サンダルすら履いていなかった。
 畑中さんが裸足を拒否する態度は頑なだった。シャワーや風呂も、人目につかない内にすませていた。仲のいい女子が聞いたところによると、子供のころのケガで、爪のあたりがグロテスクにつぶれており、それを見られるのが絶対に嫌だということだった。それならばしかたがない。
 二日目にリレー小説執筆のくじ引きがあり、畑中君は後ろから二番目の担当になった。最も難しい位置だが、しばらくはヒマである。
 夜になると、波の音と夜風が心地よい静かな場所で、畑中さんはしんみりとしていた。そこへ橋口君が、缶ビールを二本持ってやってきた。
「ちィす」
「軽いなー」
 缶を一本受け取りながら、畑中さんは吹き出した。
「おつかれっす」
「おう。よくここにいるって分かったね」
「そりゃあもう、愛する人のことですから」
 橋口君は畑中さんのとなりに座り、彼女が知っている限りの、現在のリレー小説の成り行きを聞き出した。
「まだなんとか整合性がありますね」
「そこから、私がだいぶ引っかき回したよ」
「勘弁してくださいよ」
 情けない声を上げる橋口君の顔のすぐ横を、畑中さんの髪の毛がサラサラとなびいた。橋口君はうっとりとする。
「このまま畑中さんと二人で、南の島へ逃避行したいです」
「逃げてなにするの?」
 橋口君が口ごもると、みるみるうちに彼を見る目が白くなった。
「いやらしいこと考えてたでしょ」
「ち、違います!トロピカルジュースをですね、一本のストローで、いや、違う、二本のストローを差して……ロマンチックに……」
「南の島といえば、キーウェストの猫の話、知ってる?」
 バカな妄想の上からかぶせるように、彼女は聞いた。
「どこですか?」
「フロリダの、キーウェスト」
 知らなかった。
 畑中さんが缶ビールをすすめながら語るには、そこはヘミングウェイが暮らした場所で、彼が愛した六本指の猫がたくさん生息しているらしい。
「ふつうは嫌がられるでしょ、そんな変な足の猫。実際、ヨーロッパかどっかでは気味悪がられたみたいなんだけど、キーウェストでは逆に人気者なんだって。いいなぁ」
「いいですねぇ、行って、見てみたいですねぇ」
 可愛らしい猫たちを想像して橋口君がこぼすと、
「なんで?」
 真顔で聞かれた。
「なんでって、見たことないからです。どんな感じなのかなって」
「ネットで検索したらすぐ出てくるよ」
「でも、生で見たいじゃないですか」
「……あ、そう」
 我に返ったように、畑中さんはそれから急におとなしくなった。橋口君は何か妙な感じを受けた。
 しばらくの沈黙の後、畑中さんは再び口を開いた。
「橋口君、ごめん」
「なんすか、急に」
「こないだ、英会話サークルの方でね、つきあって欲しいって、人から言われたときに、橋口君のこと利用して断っちゃった」
 畑中さんはサークルを掛け持ちしている。
「どういうことですか?その子のことが好きだから、みたいなこと言ったんですか?」
「うん。だってしつこかったから、とっさに」
「いいですよ、別に。ほんとになってくれたらもっといいですけど」
「橋口君はそういうんじゃないもん」
 言いながら、彼の視線が自分のスニーカーにあることに畑中さんは気がついた。
「ねえ、私の素足、見てみたい?」
 誘惑するようなもの言いをする。橋口君はドキリとした。
「見てみたいですけど、つま先にケガの痕があるって聞きましたよ」
「あれ、嘘なのよ」
 畑中さんは右のスニーカーの紐をはらりとほどくと、スッと足を抜いて靴下を見せた。そのまま靴下の裾に指をかけ、かかとを露わにしたところで止めた。手が震えていた。目には涙が溜まっていた。つま先は不自然に横幅が広く、もごついていた。
 キーウェストの猫。
 ふつうは嫌がられるでしょ。
 いいなぁ。
 なんで?
「やめましょう、やめましょう!」
 橋口君は彼女の肩をつかんで揺さぶった。
「こんな、好きでもない男の前で、脱ぐのは、ダメです」
 艶めかしい空気は一瞬にして塩辛くなった。
「でも、見たいんでしょ?夏だし、怖いもの見たさでちょうどいいじゃない」
「そういうんじゃないです!」
「気持ち悪いから見たくないんでしょ!」
 急に大きな声が上がって、誰か来るのではないかという焦りと、心を引っかかれた痛みとで、橋口君は凍えそうに熱くなった。
「……ごめん」
 畑中さんは静かにスニーカーを履き直した。ぐすりと鼻を鳴らして、自分のハンカチを顔に当てる。橋口君は差し出すことができなかった。
「告白してくれた人ね、私も好きだったの」
「英会話サークルの人ですか?」
「そう。だけど、もう、傷つくの嫌だったの。私にとっては生まれつきで当たり前のことなのに、前に酷いこと言われたことあってさ。ほんの少しいびつってだけで、気持ち悪いって全部拒否られるのよ」
 不用意なことは言えなかった。
「それはその、英会話サークルの人とは違う、もっと前の話だけどね。でもそれから、信じられなくなっちゃった。怖くなって、好きな人だから余計に、嫌われたくなくて」
 身体の一部で恋に落ちることがあれば、身体の一部で百年の恋が冷めることもある。橋口君はその残酷さに、なにか、今、自分が少しだけ大人になっていくようなざらつきを覚えた。
「あーあ、髪の毛だったら良かったのにね。簡単に切っちゃえるから」
「でも、切っても切っても、天パは天パですよ」
 裏表のない素直なその言葉に、畑中さんは意表を突かれてきょとんとした。
「ほら」
 橋口君が自らの天然パーマを引っ張って見せると、くさむらめいた柔らかな髪の中へ、畑中さんの指が優しく差し込まれた。
「橋口君の髪の毛がくるくるしてるの、今まで全然気がつかなかった」
「もー、どんだけ俺に興味ないんすか!」
 二人は大きく笑った。
***
 さて、それから数年経った今、ここに一枚の写真がある。畑中さんが麦わら帽子をかぶって青いビキニを着用し、裸足で砂浜を踏みしめて、楽しそうに笑っているものだ。
 彼女が旅先から友達に宛てた手紙に添えられていたものだが、別にキーウェストで撮ったものだとか、畑中さんが橋口さんになったとか、そういうことではない。
 ただ、橋口君は畑中君になって、彼女の隣で調子よくダブルピースをしている。

(おしまい)

イラスト:もとり


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