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以前書いたお話(11:十一月は或る男の話)

 こんにちは、返却期限です。
 
 書いたお話を置いておく場所に困ったので、noteに置くことにしました。

 これは、友人である、もとりさんが制作されたカレンダーのイラストに感化された私が、無謀にも1ヶ月1作のペースで、毎月のイラストをテーマにお話を書いたものの、11月分です。

『十一月は或る男の話』

 男はいつもアタッシュケースを持ち歩いていた。中には褒章がぎっしり詰まっていた。それらの一つひとつが、男の「強さ」「優しさ」「孝行さ」「頼もしさ」「正しさ」「賢さ」「我慢強さ」「真面目さ」「器用さ」「注意深さ」「おおらかさ」などのあかしであった。「偉い」と「褒められた」しるしなのだった。
 ところがある晩秋の朝、男はアタッシュケースをなくしてしまった。どこに行くにも肌身離さず連れ歩いていたのだが、とうとう疲れで気がゆるんだらしい。男は途方に暮れた。防具をはがされ丸裸で戦場に立っているような心もとなさに襲われた。あれがないと、なにも証明できない。自分の価値を確認できない。自分が何者なのかわからない。蓋をしてきた後悔や自己嫌悪、醜さや呪わしさが一気に吹き出してきた。男は長い間、小さなバス停の待合室で顔を伏せて泣いていた。
 涙も涸れたころ、停留所にやってきたバスに男はふらふらと乗り込んだ。行き先を見てはいなかったが、やがて駅に着いたので降りた。財布はポケットに入っていたから乗車賃は支払えた。
 駅から鈍行列車に乗って、ただあてもなく揺られていることにした。座って眺めた車窓から見える風景は、はじめから知らないものだった。
「未知の道」
 口から出た言葉がシャレのようで少し笑った。そしてハッとした。誰に合わせるでもなく、プライドを気にすることもなく、ただ素直に笑ったのはいつぶりだろうかと。
 窓の外には新鮮と言えるほどの感動的な景色はなく、男の心象を映すような色あせた世界が広がっていた。だから目を閉じてうとうとすることにした。
 どれくらい眠っただろうか、まだ列車は揺れている。どこかすっきりした頭で目を開けると、山あいを走る車両を歓迎するかのように紅葉が迫っていた。モミジだけではない。イチョウ、ソメイヨシノ、他にも様々な木々が色を変じ、山を粧っていた。その美しさへの感動を皮切りに、男には空の色、雲の形、水のきらめき、そして時の流れまでもが、まるでフィルターが外されたかのように生々しく感じられるようになった。
 自分自身が、羽みたいに軽い。
 ふと用を足したくなって、生きていることの滑稽さに苦笑いしながら、次の駅までどれくらいか確認しようと席を立った。そのとき、足下にアタッシュケースがないことに改めて気がつき、いつもケースが当たっていた脚の部分に指を這わせてみた。触れると痛い。押すともっと痛い。裾をまくってみると、酷い痣ができていた。
「おれはこんなにも自分を痛めつけていたのか」
 声には出さなかったが愕然とした。まもなく駅に着いたので下車した。
 手洗いから出て、乗り越し精算を済ませ、改札を出る。駅前には郵便局があった。
「そうだ、ここから絵はがきを出そう」
 こんなに気まぐれな自分がいたのかと男は不思議な気持ちであった。
「ああ、自由だなあ」
 アタッシュケースをなくしてもなお、褒章を失ってもなお、つながってくれる人の顔が複数浮かぶ男は、幸せ者である。今となっては彼らの住所録だけが意味を成している手帳を、男は閉まりかけの局内で開いた。

(おしまい)

イラスト:もとり


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