27歳は難しい

27歳がこんなに難しいって知らなかった。

27歳が難しいのか俺が27歳を難しくしているだけなのか分からないが、27歳が難しいという一般論的なものは聞いたことがないので、たぶん俺が27歳を難しくしているのだろう。

人にはみんな難しい時期や難しいことがある。
中2の二学期が難しいという人もいれば、高3の受験前が難しいという人もいる。中には40歳の冬が難しいという人もいるだろう。

俺は27歳が難しい。もちろん中学でも高校でも20代前半でも難しい時期はちょこちょこあったが、とにかく27歳が一番難しい。しんどいのではなく難しいのだ。余談だがシャツにアイロンを当てるのも相当難しい。

27歳の何が難しいかというと「目的地がない」というところだ。
高校の頃は大学進学が目的で、大学生の頃は就職と彼女を作ることが目的だった。俺は敷かれたレールの上を、正しく真っ直ぐに、時にフォームを崩しながら何とか進んできた。その中で自分に足りていないものは自分なりの努力で補い、潰れた時は前に進むきっかけだと思い込み自分を奮い立たせた。

その甲斐もあり22歳の俺から見たら今の俺は明らかに目標を達成している。
勤め先はブラック企業じゃないし、素敵な彼女もいる。客観的に見たら順風満帆だ。
目標を達成するまで努力してきた自分への賞賛と、支えてくれた周りの人たちへの感謝は忘れてはいけない。

しかし、俺は難しい。
俺が今まで走ってきたレールの上をそのまま行くと次は「結婚・子育て」にたどり着くはずだが人生で初めてその目的地を疑っている。

「結婚・子育て」に対しては憧れもあるし、完全否定しているわけではない。
しかし、苦しい就活を経て何とか潜り込んだ「社会」は思ったよりも生きるのが難しく、この先何十年も定住できる自信が今のところ全くない。俺は家族の幸せのために社会で働くという苦しみを耐え抜くことができるような善良な人間ではないような気がしてしまう。そもそも何が善良で、何が幸せなのかもよく分からなくなってきた。とにかく就職できたら幸せへの第一歩だ、彼女ができたら最高の日々が待っている、と思っていた子供すぎる自分の時の方が今考えるとよっぽど幸せだった。その頃と同じように「どうしても結婚したい」「何としてでも子供が欲しい」という自然発生的な欲求があれば、その目的のためにしょぼい身体で社会という荒波を泳ぐのも悪くはないと思えるかもしれないが、今その感覚はない。とにかく穏やかに生きたい思いが強い。

先のことを考えすぎても仕方ないので、とりあえず向こう1年くらいは真面目に仕事に取り組み、プライベートを充実させようと思う。

仕事が終わりnoteに向かってこんなことを書く時間があれば、ご飯食べて風呂入って早く寝ろよと自分でも思うが、そうなると結局また目的地がわからないまま明日を進むことになる。自分の生きるヒントは自分の過去の経験や生身の思考にあると最近思うのでこんなことを書き留めておくのも悪くはない気がする。数年後これを一人で見返した時に俺は何を思っているのだろうか。

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