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タケシくん(仮)歩くの早いよ

 はじめましての人も、
 前から知ってる方も、
 ごきげんよう。

 偏光です。

 配偶者がまたしても「知ら歩」を、
 (注:「知らない街を歩いてみたい」の略)
 と思いきや違った。

 ノスタルジーだった。

(文字数:約1700文字)



事の発端

  高野山は山頂の高野町に至るまでにも、
  もちろん集落があり人が住んでいる。

  その中でも神谷かみや
  と呼ばれる地域を、
  たった一度だけ配偶者と、
  バイクと二人乗りで通ってみた。

  ただそれだけの印象を、
  小説に流用してしまったので、
  もちろん実際とは異なっているのだが、
  何せフィクションなので許しておくれ。


めっちゃ忙しい時に来合わせた

  小説の中にもちらりと記述した、
  廃校になった小学校だが、

  どうやら今カフェになってるらしいと、
  配偶者が聞きつけたので行ってみた。

  南海鉄道「紀伊神谷」が最寄駅。
  店名は「Coffee しらふじ」
  白藤小学校だったからね。

  そしたら駐車場が車いっぱいだったり、
  小学校全体に人が集まってたりして、
  何か全体的にわちゃわちゃしてる。

  実はよりにもよって、
  カフェ3周年記念祭が、
  その夕刻から行われる、
  準備の真っ只中真っ最中であった。

  みなさんお忙しそうな中、
  我々だけがのんびりと、
  コーヒーにサンドイッチを頂きつつ、

  壁に掲示されている写真を見たり、
  本棚に置かれている資料を見たり、
  大正時代の神谷の地図(手書き)が、
  置かれているのを詳細に見分したりした。

  「この写真にいるのはおじいさんでは?」
  「僕もそう思ったけど名前が違うんだよ」
  「手書きの地図に一件だけ、
   我々の名字があるが先祖か?」
  「んー? 僕はここの話聞いてない」

  左様。神谷の地は、
  配偶者の父親が戦後仕事を求めて、
  大阪へと移り住む以前に住んでいた場所。

  つまり配偶者の先祖一族が暮らした土地。


お地蔵様の隣の石碑

  飾られていた写真の一つに、
  お地蔵様があって、
  配偶者はそこに行きたいという。

  カフェの人に声をかけて、
  「お地蔵様見に行って戻るまで、
   駐車場に車を置かせて下さい」
  と頼んでから、

  そのお堂までの道中が、
  タケシくん(仮)歩くの早いよ。

  少年時代、よりもしかするとなお幼い、
  幼少期のノスタルジーに突き動かされて、

  そもそも180cm台と150cm台で、
  コンパスも大きく違うので、
  日傘を差しながら追いかける私は、
  息が上がりまくり。

  タケシくん(仮)ちょっと、
  おばちゃんの様子も、
  振り向いて気にしてくれないかな(泣)。

  「これこれ。
   そうだ。思い出した」
  と配偶者はお堂よりも、
  隣の石碑に歩み寄って、

  「おじいちゃんに連れて来られて、
   この人うちの親戚だって言われた」

  石碑には「山彦」という方の、
  短歌が刻まれていたのだが、
  如何せん経年劣化もあって読めない。

  裏側に回れば建立の経緯があったが、
  古文で読めない
  (;ω;)(・∀・)任せろ
       八割方読めるぞ私は

  読めたところで弟子たちが、
  先生を偲んで建てたくらいの話だったが。

  「この裏に自生のミョウガがあって、
   すっごく香りが強いのを、
   おじいちゃんが持って帰ってくれてたんだ」
  「貴方のミョウガ好きは幼少期からだったか」


高野町にて答え合わせ

  その後高野町に住んでいる叔母さん、
  より正確に言えば、
  配偶者の父親の妹さんを訪ねて、

  神谷に行ってきた旨を話すと、
  まぁ懐かしそうに味わい深い話を、
  様々に聞かせてくれたので、
  これはネタになると心のメモに残す。

  「飾ってあった写真に、
   おじいちゃんに似た人がいたけど、
   名前が違ったんだよね」

  しかし叔母さんも、
  そんな名前の人は知らなかったので、

  それはやはりおじいさんで、
  写真に名前を書き込んだ人が、
  フツーに間違えた可能性が高い。

  そりゃ名前まで正確に覚えていないよな。
  そもそも何十年前の記憶やねん。


以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。

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偏光
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