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『クオリアと人工意識 』 私は、母国語でより深く世界を認識する。でも人間は本当に多様・・・。

茂木健一郎さんの最新の本から。


むかし、茂木健一郎さんの「クオリア」の話に魅了されて本を読んでいた。
そんな私に、今回の本は、最新技術の解説から、より一層「意識」と「クオリア」のイメージを提示してくれた。

茂木さんのこの本のように、新しい知見や、難しい内容の論文を、一般の人に理解しやすい文章にしてくれる多くの著者の方がいると、世界が広がる。

この本も、人によって違うであろう「クオリア」の感じ方や、「意識」という抽象的なものを説明するという難しいことを、平易な言葉でイメージできるようにしてもらえ、読者は有難い。

外界にあるデータを取り込んでコンピューター内に「再び表現する」のと「脳内で0を1にする」のとでは全く違う。

やはりAI(人工知能)と人間の脳・意識というものの隔たりは大きいみたい。

これを乗り越えるAIが出現するのか否か。
まだまだ大きな技術革新がないと難しそう。

そして、以下のような「言語仮説」

思考において重要な概念は日常で頻繁に使われる言葉になるはずだとするのが「言語仮説」(Lexical hypothesis)である。人格(personality)の研究においては、人柄を特徴づける重要な特性は、日常の中で使われている言葉に反映されるという考えにつながる。

ドイツ語の「表象」概念は、英語の「表象」概念よりも、より根源的な問いかけをはらんでいる。

歴史や文化を包含している「言語」は、それを日常的に用いることから、その人柄を特徴づけるということは、イメージできる。
この本で取り上げられている上記のドイツ語と英語の「表象」の概念の違いの話が興味深い。

私は、世界共通語的な英語を話せることは、今の時代とても有利だと思う。しかし、一般には、母国語以外の習得は本当に難しい。

技術の発展で、AIによる同時翻訳技術が今後急速に発展しそうな今、自分が興味ある言語を深く理解し、語彙を広げることの方が、無理して、多様な言語を習得するよりも、脳内でイメージできる世界がより深く広がるのではないかと感じている。

でもそれは、私のこれまでの経験からの感想だけど。

別に生まれた国の言葉である必要はない。これからは、どこに居たって、疑似的に(いや、もう実際に住んでるのと同じ?)世界中どこの住民にもなれそうだし。

それでもまだ、一般的には母国語で、自分の愛着のある地域の言葉で、地域の歴史や文化を深く理解することで、より世界を理解できるのではないかと、言語で認識しようとする私はそう感じる。

言語の認識や語彙が少ないと、脳内でイメージを積み上げられない感じがある。
しかしこれも、個人差があるようだ。

私には、私の認知の仕方しかイメージできない。
この動画の中でのお話は、本当に多様な認知の仕方があるのだと再認識させられる。

「ニューロダイバシティ」という言葉の意味や今後の課題。
何一つ解っていない自分。

それぞれに適した学びが出来る学校。
自発的な興味が、社会の様々な問題解決につながる仕組み。
世界中に広まると、みんな学ぶことが楽しくなるのに。


「実際、人工知能の前提条件として、人工意識が必要であると考えている研究者はむしろ少数派である。」

最後に私が「えっ、そうなの?」と思った箇所。
茂木さんの本を読んでいると、私には「人工知能の前提条件」として「人工意識が必要」は当然のように思ってしまうが、それが少数派とは。

「わかりやすい」「計測しやすい」分野だけで研究を進めると、たどり着けない物理世界なのではとも思ったり……。

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