小学生高学年期

さて、高学年期です。

四年生ぐらいからの感じで。

相変わらずしっかり優等生でした。担任の先生に対してうっすら憧れてたかなぁ。保田先生という名前だったかと。(幼稚園の頃から先生のことばっかり好きになる・・・)

変わった授業というか、他のクラスではおよそやってないであろう誰かもわからない変な歌(勉強とは関係がない)を授業中歌ったり、百人一首を本格的に取り組んだりと何かと楽しかったんです。

中でも印象深かったのが原子の授業で、発泡スチロールの模型を使って酸素や二酸化炭素を教えてくれました。これがめちゃくちゃ楽しかったんですよ。

保田先生にとにかく怒られたり嫌われたりしたくなくて、何かと顔色を伺っていたみたいです。休み時間はしゃいでる時でも時折先生の方をチラッと見たりしていたようです。自分では気付いてないですが、親が面談か何かの時にそう聞いたと言ってました。

途中からかな妊娠されて、非常勤講師の先生が来られたんですが、その先生もいい先生でした。普通のおばちゃんて感じで。

3年4年がおそらくピークに太っていたと思います。

前回も書きましたが幼稚園の頃から大食いで、でも子供っていっぱい食べると褒められるじゃないですか?だからいいことなんだと思って欲望のままに食べ続けていたわけですよ。

するとだんだん『お腹がぽこんと出ているね』とか、『胸がおっぱいみたい(笑)』と大人たちにいじられるようになり始めました。

胸がおっぱいと言われて本気で女なのか?と悩んだことがあります。

モテ期ですか?もちろん継続中でした。

4年生の最後ぐらいで水泳の『選手コース』という、外部の競技に出たりする本格的なコースに来ないか?と熱心に誘われ始めます。でも僕は水泳がとても嫌いだったので断りました。正直行ってたら凄まじいことになったんちゃうかと思います。サッカーを真剣にやりたいから、という口実でついには辞めてしまいました。まぁでも幼稚園ぐらいから小四まで続けたのでまぁまぁ頑張ったし、バタフライまで習得していたので十分かなぁと。

習字もやってたなぁ。町のちっさいところで、ド派手なおばはんが教えてくれる習字教室。携帯電話を買った!とそのド派手な先生が家電ぐらいでっかいやつを持ってきてたのを覚えています。火曜習字、水曜水泳、日曜サッカーみたいなスケジュールやったかな。この習字も小4ぐらいで辞めるんですが、そう考えるとほんまにまぁまぁ習い事やらしてもらってました。月謝えぐかったやろなぁ・・・

全然関係ないですが、4年生の頃給食の時間に校内で流す用のVTR(食育の一環かな?)をうちのクラスに撮りに来て、男子たちがふざけてなかなかいいのが撮れないと嘆かれているそんななか飼田さん(給食をよく食べ、男子よりも体が大きいため、男子からでかいでかいといじられまくっていたが、持ち前の明るさで全てを跳ね返せるパワーを持った女子)だけ趣旨にあった真面目なコメントをしてなんとか形になりました的なことでVTR撮影は無事終わったにも関わらず、後日そのVが校内で流れた時には飼田さんのシーンオールカットになってました。さすがにそのことだけは誰もいじれませんでした。

まだ5年と6年書いてないやん。

長くなりそうだ・・・いや、書きますよ。

習字と水泳を辞めたことにより火曜水曜とスケジュールが空いた僕はなぜか『塾』というものに興味を持ち始めます。

幼稚園、小学校が同じで幼馴染みの宮永くんが通ってるということで行きたくなったのか、なんかただただ興味本位で行きたいと言い出したんですね。親は姉の大失敗(一個前のnoteで書いてます)で痛い目を見ているはずなのに、割とすんなり通わせてくれたんです。もちろん宮永くんと同じ塾へ。進研ゼミも真剣に出来なかった僕に。同時に進研ゼミは辞めました。

普通のと言ったら変ですが、そこまでレベルの高い塾ではなく、割と楽しく通ってたかな。

そんなある時、六年生に上がる前かな、宮永くんがその塾のもういっちょレベルの高いバージョンに移籍(?)したんですよ。進学校コースとでも言うんでしょうか。僕はそれがショックでショックで・・・負けた、と思ったんですよ。

で、すぐさま親に『僕も通いたい!』とお願いしたんです。そこに通うということはいわゆる『お受験』というものをするということになるんです。

場所も電車で行く、帰りは遅いから親が車で迎えに来る、そんなことをしなければいけない場所でした。

『別に宮永くんがそっちに行ったからって負けじゃなくない?』ぐらいの説得だけで、僕は通わせてもらうことに成功しました。

地獄の始まりでした。

六年生編は長くなりそうなので次回にします・・・

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