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ハワイタイムマシーンZ/太平洋のど真ん中で 26.ハワイが頑張って近代化した頃の話

ハワイ王国の歴史で、一番元気良さそうな時代かも

ハワイ王国は、1795年から1893年の98年間存在した王国です。98年の間に王が8人。みなさん、けっこう早く亡くなられています。王様やった期間が一番長いのが、カメハメハ3世です。それでも29年だけですが。

カメハメハ3世が写ってる写真はいっぱいありますが、わたくしが一番好きなのがこの写真。なんだか「戦う男」って感じです。後ろに若い頃のカメハメハ4世と5世、アレクサンダー・リホリホとロトが写っていて、2人とも大人の顔をしています。左が奥さんのカラマ。右に写っているのは、カメハメハ4世と5世の妹、カママルです。4世も5世もカママルも、カメハメハ3世の子供ではありません。ちょっとややこしいのですが、この3人は、カメハメハ1世の孫にあたります。

カメハメハ3世はカメハメハ1世の息子です。え?どういうこと?と思いますが、答えは簡単。カメハメハ1世は沢山の奥さんがいました。なので、その系列の孫なのです。この3人は、カメハメハ3世からしたら、甥っ子、姪っ子にあたります。

ハワイ王国の歴史は、悲しい話が多いです。なので、歴史を勉強すればするほどやり切れない気持ちになります。王族の写真もなんだか哀愁を感じてしまうというかなんというか。そんな中、この写真だけが違うように思います。なぜかわたくしは、元気を感じます。と、それが書きたかったために、この写真からスタート!

ホノルルへやって来て、カメハメハ3世はさらに激しく動き始めます

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首都をホノルルへ移した1845年に話を戻します。内閣をつくったカメハメハ3世は、欧米各国と交渉し始めます。そして、1846年、デンマークと良い条件の協定を結ぶことに成功します。現在、デンマークは、小さな国ですが、当時は北欧やグリーンランドだけでなく、そんなに数は多くありませんが、植民地というか領土を持っていました。そんな国と良い協定を結ぶことができたのです。

ちなみに、ここで書いてる協定というのは、商売する時のルールみたいなもんです。現在の「円相場」みたいなわかりやすいものがある時代ではなかったので、「こうする時はこうしましょう」みたいな細かいルールが必要でした。

そして、1847年、ハワイ王国は公式な貨幣を初めて発行します。カメハメハ3世の肖像画が描かれていたそうです。

「Kingdom of Hawaii dollar」で検索してみてください。いろいろ出てきます。

デンマークがハワイ王国と協定を結んだことを知り、イギリスとフランスも、以前より良い条件を提示してくれました。これは平等とは程遠い内容でしたが、大前進です。そして何より、アメリカとの協定は大前進でした。

アメリカは、ハワイにとってヨーロッパよりも近い国です。初めてやって来た宣教師たちがアメリカ人だったこともあり、ハワイにはたくさんのアメリカ人が住んでいました。アメリカにとって、ハワイがイギリスやフランスの領土になっってしまったらちょっとイヤな感じやったと思います。アメリカは、ハワイに住むアメリカ人に特権を与えることを条件に、良い内容の協定を結んでくれました。

ちなみに、これらは全てカメハメハ3世が30代前半の頃の出来事です。ハワイ王国にはジャッドさん(第25話参照ください)のような欧米人が何人も入り込んでいて、カメハメハ3世が1人で決めていたわけではないと思いますが、よく頑張っていたと思います。わたくしがその歳の頃なら、絶対無理です。あ、今でも無理ですけど。

1848年、土地分割法グレートマヘレを導入す

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西洋のルールをいろいろ取り入れることで、ハワイ王国は一気に近代化していきました。それに乗じて、ハワイに住むアメリカ人たちは、土地についても近代化することを提案してきました。不動産という考え方です。

昔の日本と同じで、ハワイには「土地を所有する」という考え方はありませんでした(第9話にハワイの土地についての考え方、アフプアアについて書いています

西洋からやって来た宣教師たちは、これも変えようとしたのです。彼らは宗教家というよりも、事業家になっていました。ハワイの土地を手に入れ、お金を儲けることを考え始めていたのです。が、ジャッドさんは外国人の土地所有には反対でした。このジャッドさんの意見もあり、カメハメハ3世は、グレートマヘレという、ハワイオリジナルの土地分割法を考えました。

・ハワイの人々に土地を持たせる
・そこで働いて税金を納めさせる

本当にハワイのことを考えていたようです。ちょっとわかりにくいかもしれないので、簡単に解説しますと、

・ハワイには外国人がたくさんやって来ている
・外国人はいろんなビジネスを始めている
・ハワイアンは利用されるばっかりなので
・ハワイアンに土地を持たせ、それを活用して収入を得るようにさせる

要は、ハワイアンが収入を得ることができるシステムをつくろうとしたようです。で、ハワイの土地を3つに分けました。

・カメハメハ王の領地 23.8%
・ハワイ政府が所有する官僚地 37%
・245人のアリイクラスの領地 39.2%

アリイとは何かについては以前の記事を参照ください

このシステムは、列強各国の人間にハワイの土地を渡さないように守っているわけです。なんだかジーンと来ます。が、今まで土地を持つなんてことをしてこなかったハワイアンには、意味がわかりません。西洋からやって来た宣教師たちには敵視されるし、ハワイアンからは、何言うとんねんと理解されないし、カメハメハ3世もジャッドさんも、なんともかわいそうです。

ジャッドさんが、王子2人を連れて世界特使旅行に出かけます

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1849年、今度はフランス領事が軍艦でホノルルにやって来て、ハワイ王国に無茶な要求をして来ました。

・フランスのブランデーに対する関税を引き下げろ!
・英語同様、フランス語を公用語にしろ!

※アメリカの宣教師がやってきたことにより、ハワイ王国では英語が使われるようになっていました

ブランデーの関税はまあええとしても、フランス語を公用語にしろ!というのはひどいです。当時のフランスは、ほんまにイギリスと張り合っていました。が、ハワイ王国はもう昔のような「何をどうしていいか分からない国」ではありません。イギリスとアメリカの司令官に告げ口して、フランス船に抗議してもらっています。この時も、動いているのはジャッドさんです。

カメハメハ3世は、こんなことが2度と起こらないように、列強各国に特使を派遣することを考えました。今までのような商売の話ではなく、ハワイ王国の独立を保証してもらえるよう、国と国の話をするのです。そして、その特使にジャッドさんを任命します。ジャッドさんは、カメハメハ3世に信頼されていたみたいです。

ジャッドさんはこの世界特使旅行に、アレクサンダー・リホリホとロト(若き日のカメハメハ4世と5世)を連れて行ってます。

※この写真の4世と5世のキャプションが、逆になってるWEBサイトがありますが、それは間違いです。それは、今回の冒頭の写真を見ていただいたら、顔つきの違いが分かっていただけると思います。もう一つ言えば、その当時のカメハメハ4世は左分け、カメハメハ5世は右分けです。

※この旅の途中、アレクサンダー・リホリホとロトは列車で黒人と間違えられ、降りるように言われたりしています。人種差別を知った2人は、一気にアメリカ嫌いになり、これが後のハワイ王国運営に影響することになります。

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1850年、ジャッドさんの留守中に、憲法が改正され、異国の人々も土地所有できるようになってしまいました。庶民も自分の小作農地を請求すればそれを自分の土地として所有が認められる、という法律も出されたのですが、ハワイアンにとって、この法律は意味不明でした。請求したのは 成人男子の3割だけででした。

欧米人たちは容赦しませんでした。族長からだけでなく、借金を抱えていたハワイ政府からも、格安で土地を購入しはじめます。こうしてハワイの土地は欧米人たちに奪われていくことになります。

※ジャッドさんも、世界特使旅行から帰ってきてから、土地を手に入れています。それが現在のクアロアランチです。


。。。。つづく


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