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ハワイタイムマシーンZ/太平洋のど真ん中で 25.ハワイの首都、ラハイナからホノルルへ

1843年、今度はイギリスの軍艦が現れます

当時のハワイ王国の首都はマウイ島ラハイナでした。が、ラハイナは捕鯨船の拠点で、商業の中心地はホノルルになっていました。ホノルルにカワイアハオ教会が造られ始めたのは1836年第21話参照ください)ですから、その頃から商業の拠点として賑わっていたようです。前回書きましたが、チーフ・チルドレン・スクールという、王国を担う若者を育てる学校が造られたのもホノルルです。

1843年2月、そのホノルル港に、今度はイギリスの軍艦がやってきました(フランスの軍艦がやって来たのは1839年)

イギリスの軍艦は、マウイ島ラハイナではなく、オアフ島ホノルルにやって来ました。捕鯨船で溢れるマウイ島よりも、たくさんの商船で賑わっているオアフ島の方が中心地だと思ったのでしょうか。

イギリスの軍艦は、ジョージポートレート卿という軍人が仕切っていました。ハワイ王国で働いているイギリス領事から、

・イギリスから来た商売人たちが、不当な扱いを受けている

との連絡がイギリス本国に入ったため、それを調査するため?なんとかするため?に現れたと。

この海軍大佐は最初から侵略目的でやってきた、と書いてあるWEBサイトもあります。1843年といえば、アヘン戦争が終わったばかりの頃。イギリスは、次の獲物を探してやって来たのではないか?と。どうなのか分かりませんが、当時のイギリスはすんごい力と勢いを持っていたので、そんなことを考えてる軍人がいてもおかしくないかもしれません。

ジョージポートレート卿は、カメハメハ3世と会いたい、と言ったみたいです。会いたいというよりも、カメハメハ3世を出せ!って感じでしょうか。

が、最初に書きましたが、ハワイ王国の首都はラハイナなので、カメハメハ3世はホノルルにはいません。飛行機なんかない時代ですから、マウイ島のカメハメハ3世に連絡して、オアフ島へやって来るのを待っていたら1週間近くかかります。ジョージポーレット卿は怒って行動し始めます。イギリスの船が、どうしてこんな小さな国のために待たねばならないのか!と思ったのでしょうか。ホノルル周辺を占領し、ハワイ国旗を取り払ってイギリス国旗を掲げ始めました。

そして、マウイ島ラハイナまで行き、カメハメハ3世を軟禁しました。

いやしかし、いきなり王様を軟禁して占領しちゃうのはやりすぎです。やっぱり、世界を制していたイギリスの傲慢な態度やったんでしょうか。

ここで大活躍するジャッドさんは、クアロアランチのルーツです

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カメハメハ3世はやむを得ず従いましたが、じっとしていたわけではありません。ハワイ王国はイギリスと協定を結んでいることなどをジョージポーレット卿に言っています。この時にジャッドさんというアメリカ人が動いています。

ジャッドさんは宣教師としてハワイ王国にやって来ました。が、1842年からカメハメハ3世にくっついて働き始めています。顧問とかなんとかいろいろな紹介のされ方をしていますが、要は西洋諸国とのやり取りの相談役みたいな存在やったみたいです。

ハワイ王国はその後、西洋人に侵略されていくことになるので、ジャッドさんも侵略者か!と思われる方がいらっしゃるかも知れません。が、彼は違ったとわたくしは思います。この時も、カメハメハ3世のために一生懸命動き回っています。政府の書類をお墓に隠したり、隠れてハワイ側の動きを仕切ったり、いろいろ動いています。

ジョージポーレット卿はジャッドさんに対しても怒ったみたいです。なんでお前みたいなアメリカ人が出てくるんや!って感じでしょうか。何言ってもどうにもならないので、ジャッドさんは、なんとかしてもらえるよう、イギリス本国に連絡を入れました。

ちなみに、このジャッドさんは、この騒ぎの後も、ハワイ王国で大事な仕事をいろいろやってはります。で、ハワイ王国の土地を欧米人が購入できるようになった時に、現在のクアロアランチの土地を手に入れています。ジャッドさんは、クアロアランチのルーツなのです。

そんなことより侵略されたハワイ王国です。

イギリスは、ハワイ王国からの連絡を受けて、リチャード・ダートン・トーマス少将を派遣しました。

トーマススクエアのトーマスとは、イギリス海軍少将の名前です

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オアフ島ワードアベニューの山側に、トーマススクエアという大きな公園があります。何もないだだっ広い芝生いっぱいの公園でしたが、2018年からカメハメハ3世像が現れています。何も知らないと全く意味が分からないと思います。

トーマススクエアのトーマスは、リチャード・ダートン・トーマス少将のことなのです。トーマス少将は、ハワイ王国を、ジョージポーレット卿からの侵略から守ってくれました。っていうか、そんなに簡単になんとかなるもんなんか?と思いますが、答えは簡単。ジョージポーレット卿は、ハワイへやってくる前に、トーマス少将から許可を取っています。ハワイへ行っていいですか?とお伺いして、いいぞ、と言われてるみたいなのです。トーマス少将は、ジョージポーレット卿よりも位がかなり高い人やったみたいです。

その時、ジョージポーレット卿はすでにハワイ王国を侵略するつもりやったのかもしれません。トーマス少将がいいぞ!と言ったのを、侵略していいぞ!と思い込んだのか。その辺りのことはちょっとわかりません。とにかく、トーマス少将はハワイへ来てくださいました。いらっしゃって、ジョージポーレット卿に対し、「お前、これはやりすぎやろ。すぐにやめなさい!」と叱ってくださったんでしょうか。とにかく、トーマス少将が現れた1843年7月、半年ぶりにハワイ王国は復活することができました。

トーマススクエアは、トーマス少将に感謝の気持ちを込めて造られた公園やそうです。2018年に造られたカメハメハ3世像は、なんだか歌ってるみたいですが、これは、ハワイ王国が復活した時の姿を表現しています。カメハメハ3世はこう言ったそうです。

Ua Mau Ke Ea O Ka Aina I Ka Pono /大地(ハワイの地)の命は、正しい秩序とともに生き続ける

ハワイ王国は助かったわけですが、わたくしはなんだか、ふに落ちないような妙な気持ちです。いろいろ読んでみたんですけど、ようわかりませんでした。ジョージポーレット卿がどうなったかも調べてみたんですが、分かりませんでした。まあ、当時のイギリスではよくある事やったのかも知れません。

1845年、ハワイ王国の首都は、ラハイナからホノルルに移転されました

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ハワイ王国が復活した後、ジャッドさんはハワイ王国に帰化しています。ハワイのためにハワイアンとして生きようと思われたそうです。ハワイに帰化した初めての欧米人と記録されています。

フランスとの騒動でカメハメハ3世は焦っていたようですが、このイギリスの軍艦に占領された事件で、さらに危機感を高めました。

ハワイ王国ができたのは1795年。カウアイ島も加わって完全制覇できたのは1810年。ハワイ王国は、列強と戦うのは無理ですし、ましてや交渉する力も持っていませんでした。1839年のフランス海軍から威嚇された事件、1843年のイギリス海軍に国を占領される事件、などのやり取りで、カメハメハ3世はそれを思い知りました。悩んだ結果、政治を行う場所を、異国の捕鯨船が集まるマウイ島ラハイナから、異国の商船が集まるオアフ島ホノルルへ移すことにしました。首都移転です。

1845年、首都をラハイナからホノルルへ移転

ハワイ王国の首都はオアフ島のホノルルになりました。1845年といえば、日本はまだ江戸時代です。

そうそう、このフランス侵攻騒ぎで、ハワイ王国は、議会制になりました。イギリスの英国貴族院をモデルにして、内閣が作られたのです。ジャッドさんは外務大臣になり、首都がホノルルへ移転されると、内務大臣になっています。


。。。。つづく


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