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ハワイタイムマシーンZ/太平洋のど真ん中で 09.ハワイ王国ができるまでのハワイ

ハワイの歴史について再確認

2006年にカウアイ島の本を出したところで、わたくしの頭の中でやっとハワイの歴史がつながりました。ちょっと繰り返しになりますが、簡単に書かせていただきます。

西暦300~700年ごろタヒチの島々から最初の人々がやってきた
・後期にやってきたウル&ナナウル兄弟が、ハワイの島々を仕切りはじめる
西暦1000~1300年ごろサモアの島々から人々がやってきた
・その初期、1000年代にサモアからやってきたパアオが、ハワイ島を仕切っていたウル&ナナウルの直系子孫を倒す
・王になる身分ではなかったパアオは、サモアからピリを呼び寄せ、ハワイ島の王になってもらう

※ピリは後年、ハワイ王国を作るカメハメハ1世のルーツ

上の年表をご覧いただいたらお分かりいただけると思いますが、人々がハワイ諸島にやってきてからハワイ王国になるまで、1000年以上あります。その間、文字を持たない彼らは原始的な生活をしていたのか?

違います。

アフプアア/古代ハワイアンは合理的に生きていた

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上の地図はビショップミュージアムさんがお持ちの ”Na Ahupuaa a Moku” アフプアア(エリア)の地図です。アフプアアとは何か?ちょっと説明させていただきます。

サモアの人々がハワイにやってきたあたりから、ハワイには王族ができています(ってことは、王族はサモアの人々なのか?と、何も知らないと思ってしまいそうですが、違います。タヒチからやってきたウル&ナナウルの子孫は、そのまま高貴な位置にいらっしゃいました)

そして、ハワイの人々は文化を構築していきます。島々の土地が細かく仕切られ、それぞれのエリアの中に階級制度ができました。その仕切られたエリアが、アフプアアです。

あ、上の地図には、アフプアアを区切る線が細かく描かれているんですけど、ちょっとわかりにくいですね。というわけで、ワイキキ周辺がどんな感じやったか、拡大してみましょう。

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ワイキキはマノアと名付けられたアフプアアやったみたいです。カハラのあたりはワイアラエです。

それらのアフプアアの中に、以下の階級の人々がいました。

・アリイ(王族)
・カフナ(神官)
・マカアイナナ(平民)
・カウヴァ(奴隷)

アリイと書いていますが、島の王様ではないです。アフプアアの王です。酋長って感じでしょうか。マカアイナナは平民層なので一番たくさんいます。アリイしかいないアフプアア、とか、マカアイナナしかいないアフプアア、は、ありません。

アフプアアの中ではアリイが一番偉いのですが、神の声を代弁するカフナは、時には「神はこう申されてる」みたいな感じでアリイに指示をだすこともあったそうです。

アフプアアの区切り方にはルールがありました。ちょっと見難いかもしれませんが、地図を見ると、どのアフプアアにも、海、大地、山があるのがわかります。山から流れてくる水で畑を作り、海岸線には魚を養殖するフィッシュポンドを作りました。それぞれのアフプアアは自給自足できるようになっていたのです。

本当にアフプアアは自給自足できていたのか?

ハワイアンの自給自足は、自然災害などで何も得られない時もあったようです。ハワイ諸島は、1000年近く外部との接触はありませんでした。その間、太平洋のど真ん中でこのアフプアアは継続していました。日本で言えば、鎌倉時代から明治初期まで続いていました。なんとかやっていたわけですね。

最近、アフプアアを示すプレートを見かけるようになりました

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「現代のハワイは、すっかり観光地化されて、そんな時代の痕跡を全く残していない!」
と、おっしゃる方がいらっしゃいます。わたくしもそう思っていました。

が、そうでもないです。ちゃんと紹介されてないだけで、いろんなものが残ってます。もともと、ハワイアンは文字を持たずに、それらのことを語り伝えてきました。今でもいろんなことが語り継がれています。なので、ハワイアンと話すことがあったら質問してみましょう。いろいろ答えてくれます。

あ、でもね、やっぱりそれは「語り伝え」です。時には間違って伝わることもあるみたいです。

わたくし、オタクなので、歴史についてはガンガン調べてしまいます。けっこう地位のあるハワイアンの方が、「カワイアハオ教会はハワイで一番古い教会です」とおっしゃってるのを聞いて驚いたことがあります。ハワイで一番古いのは、ハワイ島のモクアイカウアイ教会です。ああ、この方はオアフ島でって言いたかったのかな、と思って、「ハワイ州にある全部の教会の中で、ですか?」と聞いてみたんですが、答えは「ああ、ハワイ州の中で一番古い教会だ!」でした。

すいません、話がそれました。

2010年を越えてからやったと思います。オアフ島の幹線道路で、茶色のプレートを見かけるようになりました。上の写真で、

Ahupua’a Paumalu

と描かれているものです。これ、昔のアフプアアの土地区分を表すプレートなんやそうです。あちこちにあるので、ちょっと走っていたらすぐに見つけることができると思います。プレートに書いてあるのは、そのエリアのアフプアアの名前です。

Ahupua’a → アフプアア
Paumalu → パウマル(その土地の名前)

その上の三角形の白い石山みたいなものは何やろう?

なんとそれは、昔のアフプアアの土地区分に使われていた石積みを描いたものでした

クアロアランチに、再現されたアフプアアの石積みがあります

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ハワイの神話なんかを書かれてる森出じゅんさんという方がいらっしゃいます。最新の本▼

やさしくひも解く ハワイ神話

数年前のある日、森出じゅんさんにお誘いいただいて、再現されたアフプアアを一緒に見に行ったことがあります。アフプアアのプレートに描かれた「三角形の白い石山みたいなもの」が何なのか、その時に知ることができました。

再現されたアフプアアは、クアロアランチにありました。といっても、そんなに大したものではなく、積み上げた石の上に豚の木像が乗せられているだけです。昔のアフプアアの土地区分を表す茶色のプレートに描かれていたのは、この石積み(上の写真)やったのです。

ちなみに、ハワイアンが実際に使っていたアフプアアは、こんなにキレイなものではありません。石積みに乗せられていたのは豚の木像ではなく、生首でした。晴天下にさらされる生首は、干物みたいになっていたでしょう。石積みもこんなにキレイなボックス形状ではなく、盛り上がっただけの小山やったと思います。もちろん、プレートなんかついていません。

西洋人がやってくるまで、ハワイの島々のあちこちにこの石積みがありました。

ハワイアンは、自分の生まれたアフプアアの中でルールの中で生活していました。人間ですから、時に、ルールを破ってしまうことがありました。位が違う男女が恋に落ちたこともあったでしょう。が、ハワイアンは決まりを守っていました。決まりを破った人は罰を受け、殺されてしまうこともありました。あ、これに関しては、「原始的やんか!」というご意見もあるかもしれません。でも、ハワイアンは1000年以上、この風土を守ってきたのです。わたくしは、すごいなあ、と思います。

ちなみに、文字を持たないハワイアンは、それらの出来事を話すだけでなく、踊って伝えました。それがフラです。リズムにあわせて体を動かす踊りで、両手の動きは全て、手話のように物語となっています。

。。。。つづく

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