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努力 未来 デカ絶望感

自分で言うのもアレなのだが私は人生において大きな失敗や挫折の経験が無い。

正確には高校や大学入試、部活、果ては恋人までいつもいつも自分が納得し妥協できる中での最良のラインを選んできた。大学も自分のほぼ確実に合格できる中でまあここならという選び方をしたため武蔵と大東文化の2校しか受けていないし案の定どちらも受かったため比較した時に偏差値がより良い方に来た、というだけなのである。
こういうこなしかたをしてきたからよく要領が良いとか生きるのが上手いとか言われるんだけど全くそんなことは無いンだわ。上昇も下降もないから落ち着いて見えるだけであって。
大学選び自体に後悔は無いし、良い人間関係を築けたという点においてはかなり大当たりを引けたとは思っている。が、一番自分にとってヌルゲーとなるように選択を続けてきた結果、何か高尚な目標をかがけてガムシャラに努力する!といった経験のない、人間から積極性を取り除いた残滓のような妖怪人間が出来上がってしまった、というワケ。

またやけに粘度の高い自分語りをベラベラベラベラと喋ってきたわけだが、まあここで言いたいのは、みんなよくやっていけてますね?エラいよということ。上京してきて突きつけられたのが周りの人間があまりに意欲的かつ情熱をもって生をまっとうしているという事実、もうこれだけで即自殺したいほど苦しいのだが、この苦しみからは逃げるに逃げられない。一体前世でどんな悪事をはたらいたらこんな苦しみを得るのか、全く意味がわからない。

失敗なんて可能であればマジで全くしたくないのだが失敗することの意義をただひとつ挙げるとすれば精神面が強くなるということくらいか。
これは高校時代に死ぬほど嫌いだった体育教師がよく言っていた理屈なのでなるべく自分は言いたくないのだが、鉄は叩けば叩くほど不純物が取り除かれ強度が高くなること、それは人間にも同じことが言える。いかにも体育会系のしょうもない筋肉バカが考えそうな古き良きカス理屈だが一考の余地はある。
本筋とは関係ないがこの手の体育会系啓蒙話というのは"何を言うか"より"誰が言うか"ということの方が重要な気がする。もっと素敵な人間に言われてたらこんな嫌な書き方をせずに済んだと思うと悲しくて仕方がない。

ここまで大きな失敗挫折無く割と順調にきてしまったため自分は就活か、はたまた結婚や家族などそれ以降の人生でかなり大きな挫折をする可能性が高い。にもかかわらず下手にぬるっと21歳まで大コケもせず生き延びてしまったがゆえに妙に精神だけは脆い。失敗した時に立ち直れず精神疾患、果ては自殺という道程がすでにうっすら見えている。つらい。

マジで人生ってさあ、失敗要素が多すぎるんだって。就職も恋愛も結婚も上手くいく気がしねーもん全然。自分の全盛期って正直高校までで終わったよ、ガン終了。この途方もない先のことを思うと絶望感で寒気するもん。さらにどうしようも無いのがこの絶望を笑いに変えようみたいな気概も才覚もないからただ絶望を垂れ流して他人に絶望を与える存在になりうること。これマジで生きてる意味あんの?ほんとに、ごめん。25歳まで様子見るけどこれ以上ダメそうだったら自主的リタイア、まあ自分でリタイアを選ぶ余地があるだけまだ幸せかも、お父さんお母さん生み落としてくれてありがとう。
てかみんなの失敗をオレが全て背負って死んでいくのでオレがこのnoteを読ませるくらいオレと近しい人間には失敗とか無く幸せに生きてって欲しい。相変わらず気持ち悪くてごめん。

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