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東京の街に出てきました あい変わらずわけが解らないのはお前らの方です

岸田繁は"地方出身上京者"と"学生時代を京都で過ごしてしまったがゆえに独特の尖り方をしたキモい大学生"への解像度が非常に高い。彼自身がそのどちらも通っているため至極当然のことといえばそうなのだが。
タイトルに借りた「東京」のこの一節も上京してしばらく経った人間の、故郷への手紙の書き出しとも読める。しかし私はこの一節を東京都内の至るところに生息する激キチジジイを揶揄るために引用することがままあるのでこれが岸田繁に知られたらバチギレされるおそれがある。

岸田繁と私の共通点​───────
自分より圧倒的に高位な存在である岸田繁との共通点などほぼ無いに等しいのだが、無理やり絞り出すとすればどちらも"地方出身上京者"であることくらいか。
そして私の抱える最大のコンプレックスのひとつもまた、"地方出身上京者"の肩書きなのである。現在の私の精神を構成しているのはすべてコンプレックス由来のマイナス感情であり、そのコンプレックスは大きく「容姿」「家庭環境」、そして「出身」の3つに分けられる。
容姿コンプレックスについてはそれが培われたまでの過程や現在の様子など、あまりに根深いものがあるのでのちのち別noteでまとめていきたい。
家庭環境についてはF研に入ってからはかなりマシになったので割愛する。最近のデカトピックスも腹違いの弟がいることが判明した、くらいのことなので正直あまり語ることが無い。たまに今の家庭に下のきょうだいが生まれていたら、とキモい想像をして情緒が破壊されている程度である。

出身に関するコンプレックスは北東北出身の3人に1人は抱えているのでは?というくらいポピュラーなコンプレックスといえよう。実際親しくもない人間に出身を訊ねられてヤバ、田舎じゃんwとでもイジられた日にはめちゃくちゃピキるし全然喧嘩に発展する危険すらある。それもこれも全部コンプレックスの裏返しなのだ。首都圏出身者、お前らは自分自身がおかれている"恵まれた環境"にぜひとも気づいて謙虚に生きていただきたい。
このように首都圏出身者、とりわけ生粋の東京生まれへは憧憬とも嫉妬ともいえない複雑な感情を向けてしまう。なぜ自分は地方出身なのか、考えても詮無いことだが考えずにはいられない。出身地でその後の人生だいたい決まるみたいなやつマジで良くないよ、辞めませんか?文化的資本へのアクセスとか、大学進学の教育意識啓蒙とか、平等にしませんか?どうして岩手は大学進学率が40%程度なんですか?
私が現在これを書いている状況自体、ただ単に運が良かっただけなのだ。地元のマイルドヤンキー達が数世代に渡って続けている貧困と馬鹿の再生産の輪に巻き込まれる前に東京に出てくることが出来たから今があるのだ。

ところが東京に出たからとてコンプレックスは簡単に解消されるわけではない。目下の悩みは、コンプにさらなる歪みが発生してきたことである。コンプレックスの方向もただ東京出身者に嫉妬と憧憬を向けているだけならまだ救いようはあるのだが、最近の自分の場合は格別の拗らせ方をしているのが救えない。コンプレックスが発揮される対象が東京出身者から地元志向の人間へ移ってきたのだ。井の中の蛙、何とやらだな…といった具合に地元に残っている人間を蔑むようになってしまった。正確には東京に出たこともないのに東京をやたらと悪くいう偉そうな無知に対する怒りと諦念なのだが、周りから見ると地元を捨てて行った人間の鼻持ちならない自意識の発露にしか見えないらしい。
自分のこの歪んだコンプレックスはどこに終着するのか、全く分からない。東京出身者と結婚すれば落ち着くのか?それともさらに地元への憎悪を募らせ拗らせ方が酷くなるのか?まあいずれにせよ私が地元に帰ることはもう決して無いのだが。


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