妊娠・出産・子育てが無理だと思っていた私と、頑張ろうと思った私の話

最近あんまり言うことがないが、子どもが大好きだ。赤ちゃんとか最高だ、めちゃくちゃ顔を近づけて愛でたい。ようやく意思疎通できるようになってきた1歳半くらいも良い、いっぱい会話をしたい。どんどんコミュニケーションが取れるようになっていく様はとても楽しい。

けどそれは、自分じゃない人の子の話だ。自分の子にもそう感じられるとは到底思えない。

その感覚は20代半ばからあって、はっきり認識したのは保育園に勤めていた頃である。要支援の家庭や、保護者が自力で育児をするのが困難なケースをいくつか見ていく中で、自分がそうならないという自信が一切持てなかった。私は自分の子どもができたとして、自分で育児ができる自信がない。
だけどそんなことを公言すれば、とんでもないことになると思って言えなかった。いや、実際には言ったことはあるが「だから私は子育てには挑戦しない方が良いと思う」という言葉とセットだった。
噂に聞く妊娠・出産・育児というのはその全てが想像を絶する大変さで、「でも自分の子どもは格別だから!」という理由で自分がこなせるなんて、本当に全く思えなかった。無理だ。始めたら放棄を許されないそれを、私はきっとどこかで放棄する。そう思ってるならチャレンジするべきではない。

長らくそう考えていたので、どんどん後回しになった。

その意識が変わった最初のきっかけは、東京の神保町にある未来食堂というお店と、その店主・小林せかいさんという方の存在を知った時だった。お店が出来た経緯や経理情報、独特の運営システムなど、ありとあらゆる情報を きめ細やかにブログや著書で公開されていて、ご存知の方も多いかもしれない。
このお店にとても興味を持った私は、ブログや著書、ネットで得られる情報などをひととおり読んだのだが、私にとって一番衝撃だったのは、店主小林せかいさんは 自身に子どもがいることを公表せずに活動してきた期間が長かった、ということだ。それが私にとっては とても大きな出来事だった。
それまで私は、母になったら常に「お母さん」でいなければいけないというプレッシャーを抱えていた。四六時中子どものために献身的に、というイメージを持って、自分を追い込んでいたことに気づいた。上記のことを知った時、「母になっても、『お母さん』じゃない自分があって良いのだ」と思えて、自分にもできるかもしれないと可能性を見出した。
その時、明確に「私にも(出産子育てが)できるかも」という大きな希望が見えた。

それからおよそ3年の時を経て、私は妊娠・出産・子育てにチャレンジすることにした。

このnoteが公開になる頃、私は無事に出産を終えて母になっている。ここに書いてあることは過去の話となる。そうなれば私は非常に安堵するだろうし、また新たな決意をして旅に出るつもりだ。

新たな決意をして旅に出る、とは、リアルタイムに育児のつらさを吐露することを可能な限り封じようと思っている、ということである。

妊娠中、努めて「妊婦としての現状」というものを発信しないようにしていた。私にとって、その方が楽だと思ったからである。
私は母から「孫の顔が見たい」と言われたことがあった。だが母は、いざ妊娠した私が少し弱音を吐こうものなら「じゃあ作らんかったら良かったんや」と言う。そんな母に対して、特別酷いとは思っていない。母は思ったことがすぐ口に出てしまうタイプだし、そういうものだ。分かっていたので、本当に1回だけ試しに雑談程度に言ってみただけだ。予想通りで笑ってしまって「だから(妊娠・子育てを決意するのに)今までかかったんやで」と言っておいた。
そして、ほかに誰かから同じように言われたわけじゃない。言われたわけじゃないけど、常に近くで言われているように感じる。その声を発する「誰か」は、常に自分の中にいる。私の内なる「誰か」は妊婦である私が弱音を吐けば舌打ちをしてくる。(この「誰か」は私が妊婦でなかろうがあらゆる状況にケチを付けて舌打ちしてくるのだが、今回は妊娠出産にフォーカスしておく)
私がつらいと思えば、内なる「誰か」は「自己責任だろ!望んでなった状況のくせに」とつっこんでくる。そのせいでマタニティマークはとうとう付けなかったし、できるだけ妊婦であることを表に出さないように生活してきた。隠していたわけではなく、家族や友人知人には機会があれば積極的に報告していた。それと同時に反対に、自分自身が妊婦であることをできるだけ意識しないようにして、日常すれ違う人たちにも気を使われないようにと思っていた。そんな感じ。私は、どうしても、妊婦であることに気を使われたくなかったし、つらさを愚痴ればろくなことがないと思って過ごしていた。つらいと言えば言うほど、内なる「誰か」から「自ら望んでこうなったくせに文句を言うな」と虐げられる。

今 話した これは性分の問題なので、どうにかしようとも思っていない。それをどうにかしようとするよりは、それを気にせず快適に過ごすことに注力する方が、幾分可能な気がする。なので、つらさを和らげる工夫をしつつ今まで過ごしてきた。当然上手くいかないこともあれば、意外と上手くいくこともあり、比較的ストレスフリーに過ごせたように思う。

結果として、やはり私の性質上、できるだけリアルタイムにつらさを発信しないで つらさを和らげるために自分の中で考えて工夫する方が精神的に安定して過ごせているような気がするので、妊娠と出産を終え子育てが始まった今、そこに関しては これまでと同じように過ごしていこうと思う。
と言いつつ、すでに相当助けてもらっている。お母さんや助産師さんたちの「サポートするぞ」という熱意に。
私が妊婦であることを告げると「これを食べて」「これを使って」と物をいただくこともあれば、「こういう制度がある」とか「こういう物が便利だ」とか「この時期はこういう状態になるものだから」と情報を教えてくれたり、「しんどいならいつでも頼って!」と声をかけてくれたり、まさに至れり尽くせり、たくさんのお母さんと助産師さんにお世話になってここまで来れた。まるで私にとってのお母さんであるかのように、慈愛に満ちた心で接してくれる皆様。これは母性の延長?この気持ちは、母になったら私にも備わっている?いやいやとても同じだけできると思えないくらい、厚く助けてもらっている。そうじゃなかったら私の「つらさを和らげてやりすごそう」などという決意は塵のように軽く吹き飛ばされて、とっくの昔にパニックになって泣き出して暴れていたかもしれない。

他にも感謝を伝えたい人がたくさんいる。私がこんな ややこしいことを考えながら「普通に」子育てにチャレンジできているのは、見守ったり応援したりしてくれている皆さんのおかげだ。
ずっと前から応援してくれる人、大きくなってきたお腹を愛でて「元気に出ておいでよ」と声をかけてくれる先輩ママたち、おっかなびっくり期待のまなざしで触ってくれた先輩子どもたち、「楽しみだ」「いよいよだね」と声をかけてくれる人、経験談を話してくれる人、マタニティグッズやベビーグッズを譲ったりレクチャーしてくれたりする人。
「産まれたら手伝うよ!」と言ってくれる人もたくさんいて、それだけでもう、「本当にダメだったら助けてって言えるんだ」という安心感がある。内なる誰かはケチをつけてくるだけで何もしてくれないが、応援したり励ましたり助けてくれる皆さんは、すでにたくさんのものを私にくれた。
みんな、みんなのおかげで前を向くことができている。

ここから私は、新たな決意をして旅に出る。最近あんまり言うことがないが、子どもが大好きだ。

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