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僕がスカジャンを着る理由〜タトゥーの偏見はいつ収まるのか〜


僕はスカジャンを愛している。
派手な服が好きなわけでもなく、柄物が好きな訳でもない。
勿論、オラオラさせて強く見せたい為でもなく、反社会勢力に属している訳でもない。

でも、「社会に対する反抗」の部分はある。

タクシーの運転手をしていた時がある。
タクシーの良いところは、様々なお客様と、より近い空間を共にできる事だ。
人間観察が好きな僕(人間関係までいくと苦手である)がこの職業を選んだ理由もその一つだ。

都内を運転中、六本木の道路で手を挙げる外国人を見つけた。
後部座席に乗ると、彼は有名なホテルの名を口にした。目的地だとわかり車のハザードランプを消して運送を始めた。

彼の身なりはとても派手で、黄緑やオレンジのキラキラとした服装に、髪はドレッドを編み込み、サングラスを決めていた。
半袖から見える腕や手、顔には無数のタトゥーが掘られており、見る僕を圧倒した。

赤信号で停ると、彼は窓の外から日本の繁華街を眺めて何か英語で1人盛り上がっていた。
運転手である僕にもそれを伝えようと必死にジェスチャーと、早口の英語で声を上げた。
とても笑顔だった。
当時、僕は少しだけ英語を勉強している最中だったので、全てとは言わないが、彼の言っていることがわかった。

「いや面白いね!外を見てる人がみんな俺を見てるよ!この顔や手に入ったタトゥーを見て、驚いた顔してるよ!」

彼の言いたい事がわかった時、この国の生きづらさを改めて感じた。

僕は、物凄くタトゥーに興味があった。
入れてみたいと何度も思った事があるし、タトゥーの入っている人を見掛けると嬉しくてたまらなくなる。ヒートテックで隠してないでその腕もっとよく見せてくれよと言いたくなる。

だが、タトゥーについている偏見というのはまだまだ日本から消えてくれそうにない。
温泉や銭湯は好きだが、そこへ行けなくなるのは理由じゃない。あと、最近入れるとこ増えてきてる。
怖い、だとか
反社会的、だとか
そういった偏見があり、会社でも認められてはいない。就職や転職にも響くだろう。

そこへの覚悟を決めた人間達だけが、身体に刻める覚悟の証だと僕は思っている。
周りの意見じゃなく、本当に自分のしたい通りに生きている事への素晴らしい証だと思っている。

だから僕はスカジャンを着ている。
和柄を、自由に生きている証を刻みたい。が、社会も会社も認めてくれないからスカジャンを着ている。
結局、中途半端なんだなと思う。いつか偏見が無くなったら〜とか言って、一生覚悟決めずに死んでいくのだと思う。

外国人の彼が言ってる通りだ。
自由にもっと生きれば良いじゃんって、
その偏見まじ勿体ねえーって、
俺のどこがおかしいの?逆に面白がってるお前らの方が何も出来てなくて面白いわって、

目的地に到着し、拙い英語で今勉強している事などを話した。
彼は素晴らしいと言ってくれた。
インスタを交換しようと言ってくれた。

よく見ると彼はラスベガスで有名なDJだそうで、数万人のフォロワーを獲得していた。
片や90人のフォロワーしかいない僕のアカウントは酷くちっぽけに見えた。

今年の目標は、似合う服ではなく着たい服を着る、だ。
偏見があろうが無かろうが、自分のしたい事をする。流行りになんか乗ってやらないし、いらないと思ったものは全て捨てる。

だからスカジャンだって明日からも切るし、サングラスだって掛けてやる。

DJの彼、もうインスタアプリいらないと思ったから辞めちゃったよ。
あの頃はあなたのインスタ、輝かしすぎて見るのが辛かった。
少しずつ、近づけるようにやってみるからね。

いつかお揃いのタトゥーを、入れて見せあげられる日がくればいいな。

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