「幸せ」は「非日常」なのかもしれない。
何年前からだろうか、
「幸せ」とは何かを考え始めたのは。
僕はHSPで、それなりに辛い家庭の事情も抱えてて、仕事も上手くいかず、恋愛も上手くいかず辛い毎日で。
幸せってなんだろなって、
生きてる意味ってなんだろなって、
上司に相談しても「そんな事考えるんだ」って笑われて一蹴されて。
こっちは真剣なのにってまた悩んで。
生まれた意味を探しながら、生きていく。
そんな毎日だった。
でもようやく最近、幸せって事がわかってきた。
春先になると、必ず行く温泉がある。
元々、温泉は好きでよく行っていた。
都内や埼玉の温泉を調べては1人で行って休みを満喫する。
でもそれはあくまで体を癒してるだけで、お湯に浸かってるだけで、1人でも問題無い場所だからなだけであった。特別感みたいなものはなかったり
初めてその温泉に行った時もそんな理由だった。最近行ってないしなって感じで車を走らせた。
春先の、とても天気が良いある日。
凍える冬を越えて、暖かく(むしろ少し暑いくらいに)なってきたある日。
温泉に適度に浸かりサウナと水風呂からの、露天風呂方面へ出ての椅子に座って休憩。ととのうというやつだ。
あがってすぐに売店で瓶のコーラを購入し、喫煙スペースがある外へ出た。
お昼過ぎの日差しに照らされた美しい庭園。椅子に座りながら眺める。コーラを喉へ通し、マルボロに火をつけ紫煙を吐く。
周りは田んぼで、車の走行音すら聞こえない静寂。
頭の中を、何かよく分からない感情が蠢き出した。とても穏やかで、安心出来る。そんな感情。
なんだろう、これはなんだろうと思案を巡らせる。
ふと隣の椅子に座った老夫婦の奥様が、オレンジ味のアイスを口にしながら呟いた。
「あ〜〜、幸せだねえ」
はっとした。これが幸せなのかと。
いま頭を巡っているこの、永遠にこの場にいたいという特別で暖かな感情。これが「幸せ」なのかと。
僕がずっと、ずっと、ずっと探し続けていたものはこれなのかと。
僕は時間も忘れて「幸せ」に浸っていた。
ただその椅子に座って日を浴びて、庭を眺めて、コーラを飲んで、煙を吐く。
これまでやってきた、過ごしてきた全てが報われるようなそんな感情に至っていた。
最近、またその温泉に行ってきた。
仕事が忙しくてずっと行けておらず、約1年ぶりに行く事が出来た。
またしてもその場所は僕に幸せをくれ、感傷にふける時間をくれた。
ぼんやりと、美しい庭園を眺めていて気付いたことがある。
「幸せ」とは「非日常」ではないか。
深く納得した。そりゃ探し続ける羽目になるよなと思った。
だって実際は探せていないのだから。
自分からではなく、上から降ってくる業務をこなし、飯はコンビニで済ませ、休みの日はゲームをして寝るだけ。
時間が過ぎれば良いとだけ思っていたから。
違うのだ。
幸せは、自ら求めに行った先にしか無く、降っては来ない。同じことをしていては訪れない。
生活を変えてみた。
○自炊中心に変え、作ったものは写真に撮って保存する。
○肌に気を遣い、どんなに面倒くさくても寝る前にきちんとスキンケアをする。
○綺麗な部屋を保ち、また趣味部屋を設けデザインや家具配置に重きを置く。
○好きな音楽に触れ、常に新曲を取り入れ続ける。
○外へ出掛ける。晴天+緑は、僕を幸せにする最もな物だとわかった。
○人をご飯に誘ってみる。
○ちょうど部下が出来たので、どうやったらその子が伸びるかを考える。
まだまだ途中のものもあるが、あっと驚いている。この1ヶ月、僕はとても幸せだ。
毎日やってくる、モノクロな日常に色を付けるんだ。
さっきも餃子を作りながら、大好きなオードリーさんのオールナイトニッポンを聴いて腹が千切れるくらいに笑った。ご飯も美味しかった。
そしてこの法則で行くと、今まで無かったある2点が、幸せに結び付くんじゃないかなと思い付いた。
●出世
と
●結婚
だ。
さあ動こう自分自身。
やってみよう。
刺激は受けるさ。辛いことも苦しいことも出てくるさ。HSPの感性だ、その分幸せを感じる才能も、バチバチに持ち合わせてんだろ?
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