サッカー界に吹いた神風。ニッポンチャレンジ第三幕に風は吹くのか            

ヨッティング 98年2月号


 

 「ヨット界斜め読み」というタイトルにかかわらず、毎度のことですが、今回もまたまた関係ない話題からのキックオフです。
 そう、なんとか九死に一生を得たサッカーの話題です。日本代表チームが四苦八苦したあげくフランスに活けたことだけではない。そのおかげで、一次のブームもどこへやらで人気急低下だったJリーグの方もひと息継げたようです。
 やきもきさせた上で、ほとんど最後の最後に勝利の女神の機嫌を損ねないですんだという〈劇的〉な展開は、もしかしたら、すんなりと予選突破した場合よりも〈延命〉効果があったのは確か。でも、それは女神からのボーナスみたいなもので、あのまま予選で敗退していたら、サッカー人気はどうなっていたでしょうかね。2002年のW杯日韓共催大会では予選が免除されるだけに、かえって盛り上がりに欠け、つまりは伝説を作れないまま、再び、サッカーファンだけがオタッキーに楽しむサッカーの時代に逆戻りしたかも。おそらくは全治十年・・・。
 ヨット界斜め読みとしては、これをギョーカイ振興?のケーススタディーにしてみましょう。
 で、振り返ってみると、サッカーにあまり興味がなかった人から見れば、九三年のJリーグの開幕はいきなりだったハズ。その直後のW杯アメリカ予選では、「ドーハの悲劇」と呼ばれるクライマックスで第一幕の終了。中弛みの第二幕を経て、オーディエンスの期待薄のまま幕が上がった第三幕は、アトランタ五輪での対ブラジル戦勝利という思わぬ〈裏切り〉で、盛り上がりの風をつかんだ。
 そして、クライマックスのアクションシーンになだれ込んだ。と、シナリオ風に考えてみれば、絶体絶命のピンチと、それをシノぐことはお約束ごとだったのかもしれない。文永弘安以来のお約束です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 てな形で、マリン関係の用語を挟みながら(元冦ってマリン用語かしらん?)、さらにサッカーの話題を続けると、やっぱり、ケーススタディーとするなら、反面教師かな。
 お約束、つまり予定調和の大団円と考えるのは、大和魂をくすぐる伝説を信じたい日本人の得意技で、おかげで眼鏡にトレーニングウエア姿の日本人新監督が一気にヒーローになってしまった。しかも、このコラムでこれまでときどき触れたように、かなりナショナリズム濃度の濃いサッカーだから、新監督の昇格を是認しがちの人も多いようです。
 だけど、日本をよく知る前予選のオランダ人監督を「修羅場を知らない」という理由でブラジル人に代え、ところがそれを「コミュニケーションが悪い」という理由で更迭して日本人監督を据え、最後は「気分を一新する」といって監督経験のない新監督だったのです。
 一応、日本のサッカーは、前回の予選以降ずっとアジアでもトップクラスの実力を持っていたのですから、以上で述べたような戦略なき監督の変遷劇は、言ってみれば、ヨットのマッチレースで有利なスタートを切ったんだから後続艇を押さえてレースを展開すればいいのに、そうしないで、もっといい風が吹いてそうな海域めざして一人旅したようなもんじゃないでしょうか。まさしく風まかせ。
 でも、そこには風がなかった。やばい、と思った刹那、相手がコケるという〈神風〉に救われた・・・??

 きれいごとを言っているのは私の方かもしれません。サッカー・ギョーカイはここで終わりじゃないのだから、「結果オーライで何が悪い、すでに過去(歴史)となってしまったアレコレを否定して、じゃあ、それで将来につながンのかい」という声も聞こえます。まあ、日本では、現場は別として、グランド戦略を担当するエラい人はだれも責任を取らなくてもいいシステムになってますから、いいんですけど。おっと。
 さて、この話をヨット・ギョーカイに被せるとすれば、やっぱり、アメリカス杯へのチャレンジでしょう。
 なぜ日本はア杯に挑戦し続けるのか?
 Jリーグ以降のいわゆるにわかサポーター同様、一般の日本人にとっては、九二年の第一回チャレンジはいきなりに思えたハズです。それでも、TBSがわりあい熱心に放映していたけれど、第二回チャレンジではそれもなし。どうひいきめに見ても、一般向けには盛り下がってしまったように思えます。中弛みの第二幕。
 そんなときサッカーでは、アトランタの風を利用できた(ブラジル戦勝利という思わぬブローには恵まれたけれど、二十八年ぶりに五輪に出場できたのは、まんざら風まかせでもなかった。底辺の拡大の努力が、強いトップチームにつながったともいえる)が、ヨットでは中弛みをどう切り抜ける戦略なのか? そもそも、アトランタ(サバンナ)に吹いた風(つまり、重・木下の銀メダル)は、ア杯チャレンジのレース海域とは無縁の風なのでしょうか。いや、私がチンタラ走っている江の島の風は、そのままニッポンチャレンジのセールに揚力となっている同じ風なんでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エラそうに「ヨット界斜め読み」してきたので、これらのまわりくどい比喩に、それぞれ返ってくる反論をなんとはなく知ってはいます。でも、もう一度、「なぜ、アメリカスカップにチャレンジするの?」
 またまたサッカーの話題だけど、プロリーグの創設、ワールド杯への初出場、ワールド杯の日本での開催という三つの大きな目標が、いまやほぼ実現しているのですが、十ン年前にサッカー協会のおエラいさん方が宣伝していたのとは、えらく違う順番で決定したような気がするんですね。
 順番が違うということは、因果関係が違うということ(いずれ日本でW杯を開催したい。だから、日本代表がW杯に行っとかなければ。だから、プロ化して強くしようが当初の順番。が、W杯の日本開催決定は、出場が決まる前)。
 なんだか、証券会社の「飛ばし」を思い出させます。つまり、評価損(アメリカ大会予選敗退)を抱えてしまっても、「飛ばし」て処理を後回しにし、いずれ株価さえ回復すれば万事OK的な・・・言い過ぎか。
 大目標は「日本にサッカー文化を根付かせたい」というもので、もちろんサッカー関係者の情熱に発したものだと思いたい。この〈サッカー文化〉の部分は、さらに〈スポーツ文化〉に普遍化され、Jリーグのホームタウン構想やサッカーくじ法案は、その目標のためにあったらしい。
 でも、貧すれば鈍するで(貧しいのが不景気日本経済なのか、もっと形而上のことなのかは分かりませんけど)、今やW杯開催も、不況対策の公共工事のお題目になってるだけみたいだし、だとすると・・・。

 「ローマまで行って、何が悲しゅうてマクドナルドを食わにゃならん」という諺はないけれど、今、作りました。「郷に入りては郷に従え(ローマではローマ人のようにせよ、だっけ)」とはちょっと違うニュアンスです。
 サッカーファンの中には、「何が悲しゅうて日本(韓国)でワールド杯を見にゃならん」と思っているのも大勢います。W杯を見るなら、やっぱり、スペインとかイタリアとかブラジルとかアルゼンチンとか・・・とかとかへ行けば、居酒屋でもW杯一色になるに違いない(残念ながらW杯には行ったことがないが)。そりゃ日本だって、競技場の中は盛り上がるんだろうけど、同じ時間、居酒屋でテレビを見ながら口角泡を飛ばしてる話題は、やっぱり東京ドームの巨人戦の先発のよしあしだったりするんだろうな、2002年になっても。
 まあ、サッカーの話題はもういいや、この辺で。なんだかんだ言っても、結果オーライとなって、今のところ「飛ばし」の評価損を解消したみたいだから。いずれにしても、日本のW杯開催や出場への挑戦が、土木工事を潤すだけが目的ではないと信じたいですね。世界中からニッポンくんだりまで、野球じゃなくてサッカーを食いにきてもらって、悲しい思いをさせずにすむのか不安は残るけど。
 それより本誌は『ヨッティング』、私としては、ヨットのア杯挑戦によって実現するだろうと関係者のみなさんが期待しているのはコレだ、ということを、マリンに関係のない人にももっと明確にしてもいいのではないの、とおずおずと提言しておきます。
 各論として、マリーナをいっぱい建設して、土木工事の繁栄を、じゃない、「海で遊ぼう」がより身近に、だっていいですよ。あいかわらずシーマンシップの啓蒙教宣だってかまやしない。F1みたく舟艇技術の限界を追究したって文句なし。すべての道はローマに通じるらしいので、千里のアッピア街道も一歩から・・・です。不景気だって中弛みだって気にしない。その先にグランドデザインが存在するのでしょう。
 ところで、スキッパーはだあれ?
 霞が関の住人でなければ、まあ、いいとしましょうか。
   


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