「無寄港」とか「早回り」ってもったいないよね

YACHTING

97年6月号

 

 

 

 

 

 4月のある晴れた日曜の昼下がり。相棒との連絡不備で江ノ島に出掛けそびれ、自宅でぼんやりしていると、どこからともなく音楽が流れてきました。屋外で聞くときの独特のチープな音色。なんだろうと思って音の方向を探ると、前にこのコラムに登場させた月島のマリーナの桟橋の上で、ピエロのような格好をした連中が何かやっていて、にわかあつらえのステージを取り囲むようにして、桟橋や船の上で、約50人ぐらいの観客が見ている。
 私はさっそく、ヘールボップ彗星用に買ったばかりの双眼鏡を取り出しました。40倍ながら、対物口径の小さい安物です。これを買ったのは、わが家の対面に商業高校があることとは関係ありません。
 さて、のぞいて見ると、顔を真っ白に塗りたくった連中が、手品のように観客に何かを見せて回っているような、踊っているような。観客も、大笑いするでもなく、真剣な表情でじっと見入っている。気になって、ちょっくら自転車で出掛けることにしました。
 マリーナは正式には、東京港筏株式会社といいます。入り口に、「筏の島(イゾーラ)」「ビドゥリオの切手付き-リスボン産リボンとスタルヌス・ボルガリスの手紙」と張り紙がしてあって、どうやら、パフォーマンスグループの屋外公演のようでした。軍手、軍足、菜っぱの作業服などを干してある事務所前を抜けて、堤防の外に出てみます。
 2年後には、一帯の運河そのものが親水公園に改造されることが決まっているので、投資を控えているのでしょうか、朽ちかけて、足を踏み抜きそうな桟橋(橋げた?)です。堤防わきには、腐敗防止にコールタールを塗って黒くなった木の柱が何本も水面から伸びて、ここ何年かの台風や地震によく耐えたなあという、トタン製の長屋を支えているのが目に入ります。水上桟橋の上ある小屋も、仮設のまま何十年が過ぎたようなトタン製。ピストル型をした給油器具のついたホースが無造作にコイルしてあったり、かすかに油くさいところが、港湾施設らしい。もちろん、ボートも係留してある。南北に全長100メートルほどの桟橋の、北側に何艇かのプレジャーボート。次いでタグボート群、中央には大きなはしけが横付けになっていて、南側に、前に、このコラムで「焼き玉エンジンでしょうか」と書いた青く塗られた謎の船が、この日は五漕とめてありました。焼き玉ってことはないのでしょうが…。
 その一番南端の広まった部分に大きなカーテン様の布で背景をこしらえ、桟橋と桟橋をつなぐ細い渡し板を花道がわりにしたステージを設定して公演中でした。

 

 

 いつも無理やりの斜め読み、今回はどんな屁理屈かというと…。
 かつて、海の日の「海に行こうよ」キャンペーンに関連して、夕刊フジで本誌発行人のMさんに原稿を依頼したとき、「かつて日本の海は、仕事の海だけだった」云々のくだりがあって、「もっと遊びを」という論調でした。筏会社も仕事の空間です。そこの場所を使ってのパフォーマンス公演は、まあ、そんな流れに沿っているのかな、と感じて見ていたのです。
 パフォーマンスそのものは、私にはまったく理解不可能でした。たとえば、チラシによると「アドリア海波打ちガラス片製-曲馬少女」に違いない出し物は、魚市場によくある木の箱で作った木馬を前に、半透明のヒラヒラ衣装を着た女性が台の上でパドゥドゥをしている、といった塩梅。謎の青い船の上にしつらえられたPAからサンタルチアの曲がかかり、全員があいさつをして舞台がハネると、「よかったよ」と拍手と歓声が上がったので、よかったのでしょう。
 主宰者の一人に話を聞くと、「こういう昔ながらの雰囲気や風景が残っているところを探して舞台にしているんですが、少ないんですよ。ここは運河の上だし、ほら、後ろを見ると、こうでしょ(幅100メートル余りの運河の向こう岸は、桜並木の後ろに近代的な青いガラス張り校舎の学校群や、30階建てのユニシス本社ビル、建設中の50階建て集合住宅など)。かつて、横浜の赤レンガの倉庫でやったりしたんですが、いいところを見つけても、遠すぎたり、許可が出なかったり」
 今回の場所は、「意外と簡単に許可してくれた」そうで、民間信用調査機関の調べによると、「斯業界厳しい環境下にあり、規模の縮小を計って対応。企業体質に改善に注力してい」て、一昨年の15億円から昨年は9億円に年商を半減させながら、黒字に転換した会社のお手頃な企業メセナ活動といったところでしょうか。
メセナといえば先日、オペル冒険大賞の表彰式がありました。都合で取材には行けなかったのですが、報告書を送ってもらったので、ちょっと紹介してみようと思います。
 大賞は山岳ガイドの戸高雅史さん(34)の「K2無酸素単独登頂」でしたが、参考資料として「1996年 世界の冒険-課題と記録」があるので、海洋関係を拾い出してみましょう。
 まず、「素潜り世界記録達成」はメキシコのホセ・フランシスコ・フェレラス(34)。ジャック・マイヨールのあのケーブル潜水の世界ですね。ジャン・レノ主演の映画『グラン・ブルー』では、たしか100メートルを突破するあたりが描かれていた記憶がありますが、昨年打ち立てられた記録は、はや133メートルだそうです。
 豪州の18歳、デイビッド・ディックスは、「ヨット無寄港世界一周最年少記録」を達成しました。96年2月26日にフリーマントルを全長10メートルの「シーフライト」で出港し、264日後の11月17日に帰港したそうです。この航海では、南米ホーン岬回航の最年少記録も達成。
 チェ・バダー(57)ら七人の韓国人は、古代の文化交流実証のため、丸太を紐で組み合わせて帆を張った簡単な構造の船で、済州島-長崎間300キロの航海に挑戦したが、悪天候のため140キロで自力航行を断念しています。
 もう一つ、フランス人のギー・デラージュ(44)の「海中ゴンドラで二カ月を超す水中生活」には、後輩で、スキューバ大好きの写真記者Oくんが取材に行ったのに、とんでもないオチがあるので、そこから多少、引用しましょう。

 

 

 《エンジンも帆もない船の形をしたフローター(浮き)にぶら下げられたゴンドラで、水深6・5メートルの水中生活をしながら約60日間インド洋を漂流する。こんな風変わりな冒険にフランス人の海洋冒険家ギー・デラージュさんが挑戦するという情報を聞きつけ、正月早々、出航先のシンガポールに飛んだところ…ありゃま》という書き出し。
 ギーさんの《すごさは数々の経歴が実証してくれる。二年前、大西洋横断単独遠泳(約1310キロ、55日間)に成功。1980年にもヨットレースで大西洋をたった10日間で横断し、スキッパーの記録を更新》した人なのだが、《「この人にできる冒険なら、おれにだってできそうなんだけど…」-そんな印象を受けるほど、ちょっと小太りで温和そうな外見の、ごく普通のオッサン》だそう。
 おまけに、「次の冒険は、スモウレスラーに挑戦しようかな」なんて冗談を飛ばすギーさんに、Oくんは「大丈夫かな」と不安が頭をよぎったそうですが、案の定、出航前日になって急性腎臓結石で入院してしまい、実験は丸一年延期。Oくん、「えー、何それ!?」=「上司をだまくらかしたやって来たおれの出張、どーなるの」と頭を抱え込んだのでした。
 この冒険も、イタリアの時計メーカー、セクターがパトロナージュする冒険家集団「ノー・リミッツ・セクター・チーム」の企画の一環だそうです。

  さて、冒険大賞・その他の賞へは、「海の日」を祝う実行委員会の「日本一周・海の日フラッグリレー」や南波誠さんらの「海の大切さ訴え日本一周」も含めて、合計288のエントリーがあったようです。ざっと数えてみると、ヨットおよびマリン関係は、そのうちの20余り。多いのか少ないのか。
 ところで、上記エントリーに重なるものも含めて、報告書の参考資料「世界を周る日本人たち」には、海関係で、「世界で太平洋一周クルージングに出発」した片桐馨さん(32)一家、「夫婦でヨット世界一周達成」の溝田正行・美由紀さん(47)夫妻、「手作りヨットで世界一周達成」の藤村正人さん(37)ら、うらやましい限りの人々が紹介されています。
 私は、「無寄港」とか「早回り」による世界一周の記録達成のニュースを聞くたびに、「うへえ、もったいない」と考えるクチです。港、港に女は無理にしても、せっかくなんだから、なるべく多くの港に寄った方がいいのに、と。行ってもないクセに貧乏症なんですね。
 ヨットではないのですが、世界一周放浪の度の果てに、現地に居着いてしまった人と何人か出会ったことがあります。それもまた、人生かな。
 どっちにせよ、うらやましい…。
  

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