マンション清掃のおじちゃんからの「いってらっしゃい」はうれしい
なにげない会話とウェルビーイング
マンション暮らしだけど、めったに他の住民とは出会わない。
ただ唯一、清掃のおじちゃんには週1で会う。
朝9時、マンションの入り口に向かうと、いつも同じ場所にお馴染みの恰好をしたおじちゃんがいる。
話す内容はいたってシンプル。朝の挨拶とちょっとした雑談(「今日は早いんですねー」「あったかくなりましたね!」)、そして「いってらっしゃい!/いってきます!」のみ。時間にして45秒程度。
でも、なにか温かい感情が心に残るのだ。
利害関係のない社会的なつながりがポジティブ感情を生むのか、挨拶そのものがうれしいものなのか、会話量は関係ないのか。なんなのか。
実は、見知らぬ人やちょっとした知り合いとの交流によって幸福度や帰属意識が高まるらしい。それは束の間の会話でもだ。
具体的には、次のような事例があげられていた。
清掃のおじちゃんとのなにげない会話によって気持ちが上がるのは、もしかすると、「わたし」と「あなた」という人間的なつながりを通して、マンションという共同体の中で自分の居場所が感じられるからなのかもしれない。
見知らぬ人との会話もふやしてみる
見知らぬ人との会話は、心身ともに健康的な暮らしを送るうえでいいことが多いようだ。とはいえ、全然知らない人に話しかけるのって難しくないか。
都内でながく暮らす身として感じるのは、相互不干渉が暗黙のマナーなのか、公共交通機関で見知らぬ人同士が話す場面はやっぱり稀有だし、それぞれ互いのプライベート領域を確保しながら空間に身を置いている気がする。その他、一般的には以下のような理由もあるとのこと。
とりあえず確実にいえるのは、見境なく話しかけるのは怪しいし、私のお豆腐メンタル的にもそれは避けたいところ。
あくまで自然な形でトライするなら、周辺他者の「うっかり独り言をいったしまった瞬間」や「リュックが全開で中身が落ちそうな状況」など、会話のきっかけにいち早く気づき一声かけてみる、な気がした。
ちなみに前者は実際に最近あった。
休日の夕方、姉と地下鉄の椅子に座っていたところ、ほろよい気味の60代くらいの男性が隣の椅子に吸い込まれるように身を預け….何かを発した(忘れた)。そこにすかさず相槌を打つわが姉。
まずはお互いの今日のできごと事から始まり、今の仕事や母校の話など、あれよあれよと話が広がっていくのだ。年齢も性別もバックグラウンドも超えた、人間同士のフラットな会話が4駅間繰り広げられていた。
理想の光景が、たしかにそこにあった気がする。
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