脳性麻痺。学校生活を送る。普通学級で困ったこと。授業編〜体育〜

 脳性麻痺で左片麻痺。当時は今より症状は軽度で身体も動いていたが、それでも小学校になると色々学校生活で支障が出てくる。まずクラスでの自己紹介の時に毎回「生まれつき左手と左足が動きにくいです。」と説明するのがしんどかった。


なぜか言っている途中で泣いてしまったこともあった。クラスメイトはそんなこと言われてもポカーンとするしかない。別に言わなくても良かったが後で色々言われないように自己防衛していたのかもしれない。結果的に全く防衛できなかったのだが。少しでもみんなと同じようにする為に人より頑張らないといけないという脅迫観念に取り憑かれていた。学校というのは楽しい場所ではなく、自分から辛酸を舐めにいく場所だった。

授業編

 体育は基本的にどの種目にも支障が出る。そもそもの運動音痴も大いに影響している。私の場合マット運動、球技全般、水泳、陸上などほぼ全種目。
マット運動は前転や後転、側転など、左手足がまともに使えないやつにとっては地獄のメニュー。大体バランスを崩して頭を打つ、ゴロゴロとマットの上を転がってしまうだけで終わってしまう。テストの日にはもう周りの視線が痛くて毎回逃げ出したかった。

 球技をする時は走り回ることがほとんどなので、足への負担がひどく、もちろん機敏になんて動けないから足手まといになる。片手でボールを扱うのもまた難しい。

 水泳は水には浮けるが、前にはほとんど前には進めない。片手で水をかいて足をバタバタしようとしても、前に進むどころか、麻痺している左足は水圧に負けて動かない。結果だんだん沈んでしまう。パラリンピックで水泳選手はどうやって泳いでいるのか不思議で仕方なかった。今思えばあの選手達は四肢の欠損がほとんどで、脳性麻痺とは機序が違うんだと思うようにしている。
水泳の授業の間泳げない生徒を教師がマンツーマンで教えるというカナヅチ専用レーンで過ごすことになった。メンタルずたずたである。当然今も泳げない。

 麻痺がある時点で健常者と同じことをするのは難しいのは明白だが、当時は同じようにできないこと、それをクラス全員に見られること、クスクス笑い、コソコソ話に尋常ではない苦痛を感じていた。「頑張れ!」という教師の言葉に「うるさい!頑張っとるわ!」と幼いながら心のなかで叫んでいた。頑張ってもどうにもならないこともある。

 小学生の頃(約30年前)はまだまだ根性論を唱える教師が多く見学は許されなかった。
今は時代も変わったからこういうことは無いだろう。いや無い時代になっていてほしい。見学したっていいじゃないか。苦手なことから逃げたっていいじゃないか。

体育以外にも困ることはまだまだあるがそれはまた別の機会に。

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