目線の位置が高め


 ひっさびさにnote書くな。
 いやまるでどっかでは文章書いてるみたいな言い方したけど、どこにも書いてないよ。もう世間的に基本的に長文打ちってのは淘汰されていってる感じすごいするし。
 主流のツイッターでは短文しか投稿できないし、インスタでは文章なんていらないし。かつて個人が発信する場において主流だったブログも廃れていっているのは確かだから、とにかく長文を書く場ってのがなくなってきてるよね。
 というか昔から短文でのコミュニケーションってのは好まれてて、チャットとか掲示板とか、一言言い合うって形はずっと前からあるんだろうけども、近年それがもっとメインストリームになってるよね。結局人類は疲れることとか、得るのに時間がかかることってのは嫌いで、即物的な快楽に流されやすいんでしょう。エントロピーみたいな話。

 まあ、長文を書くという行動から離れてもう結構経つんだけど、これでも大学生のときは「文芸部の部長」として色々行動してたんすよ。知ってた?
 今と違ってなんだかんだ活動的になろうと頑張っていたから妙に色んなグループと関わりを持っていたんだけど、そういった縁の中からいまだに続いてるものもあるってわけ。
 その中の一人から連絡があって、「ちょっと自主制作のラジオで作家紹介みたいなことしたいから、文芸部的になんかアドバイスくれ」とか言われて軽々しく引き受けたけど、まあ己の力の無さに愕然とするね。内容聴いても「ふーん良いんじゃない?」って感想しか出ないもんな。
 結局何かをアウトプットするには相応以上のインプットが必要で、それが足りてないって話なんだろうけども。
 別に大して教養があるわけでもないし、大した物量を読み込んでいるわけでもないし、大したジャンル幅を持ってるわけでもないし、基本的に何にもないというか、何にもなれていないってのはわかってるから、どうしても他人に干渉するにおいて二の足踏むところが出てくるよね。
 流石に何者にもなれないことに絶望感じるような若さはとっくに過ぎたので、自分が何者であろうとなかろうとまあそうだよなって言うくらいの心の構え方は身につけてはいるけど、それでもいざ「貴方は〇〇に秀でていると存じますので、一家言ください」みたいな振られ方すると「本当に俺はそんな人間と名乗って良いのか?」みたいな不安が突然大きくなる。
 まあもちろんその依頼主が僕のどこかを見込んで頼んできたことなんだろうし、人柄とか頼みやすさとかそういうところでの判断なのかはわからんけども、それでも僕に白羽の矢が立ったことは名誉なことで、それだけで価値があることなんだろうけども、やっぱりそこで求められている成果に届いていないんじゃないかという不安も大きい。きっとどんなインプットしてどんな成果を残し続けても、一生こういう不安や焦りってのは無くならないんだろうな。

 そこで「よっしゃやるぞ!」って気持ちに変えて臨むも、出来上がるのは上から目線のひっでえアドバイスもどきの数々よ。アドバイス罪なんてものが一時期話題になったが、あれはアドバイスを勝手に行ってくる言わば距離の測り方の間違いから起こるものではあるけども、今回のは未熟な技量が生んだ己の自覚の上でのアドバイス。こいつはキツいぞ!
 なんせ結局何が言いたいかわからないし、きっと求められた答えではないことは明白という、諸刃の剣での自傷行為みたいなエキセントリック自殺に近い。
 なんで俺はこんなに他社を思いやれないんだという悔しさと、まあしょうがねえわなみたいな諦めがあるのでこれからも成長しない。
 他人との関係性って難しいけども、良い顔ってのがわかってる分まだやりやすい。自己との関係性が一番隠し事が出来ず現実を突きつけられるのでメンタルが必要なんだなあ。

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