オーストラリア ワーキングホリデーを終えて・・・

2023年7月15日から2024年6月13日まで、オーストラリアにワーキングホリデーをした。
今年(2024年末)30歳を迎える、人生の中で結構大切な時期だと思う。

ちなみに、これを書いているのは帰国する前日、6月12日の夜だ。
約11カ月間の海外生活最後の晩餐である今、記憶が鮮明な内に記しておきたいと思い、筆を走らせている。

下書きナシ、思いつくがままの文章を許してほしい。
では、始める。


当初の目的

①語学力の向上
②海外で生活するバイタリティをつける。
③やりたいことを見つける。(好きを見つける)

 正直に言うとワーホリに来た目的は、「海外で生活してみたかったから」これ以外の何物でもない。

中学生のとき親に勧められて、ニュージーランドに10日間の短期滞在したことをきっかけに、海外に興味を持つようになった。
 英語の勉強も楽しかったし、将来は海外に住んで仕事をすることが夢だった。

 しかし、その後紆余曲折あり理学療法士を目指すようになった。

海外で理学療法士をすれば、2つの夢がかなえられる!!と思っていた。

 社会人になり、理学療法士として日々の激務に追われるうちに海外進出の夢は忘れてしまう。

また理学療法士の仕事もやりがいはありそれなりに楽しく働いていたが、将来への不安を茅根に抱えて過ごしていた。

「定年までこの仕事を続ける熱量が自分にはない。」
「給料も上がらないし、家族を養っていけるのだろうか?」
「自分のやりたいことって何なんだろう。」

そんなのことを思いながら過ごしていたのである。

長く話してしまったが、
彼女と別れたタイミングと
仕事をやめようと思っていたタイミングが重なり、
これから何の仕事をしよう?
と考えていた時に、
「せっかくならワーホリいくか!!」
と思った。それだけだ。

後付けではあるが、日本経済が低迷する中、将来海外移住という選択肢は絶対あった方がいい。海外を相手に仕事ができれば収入は上がる!需要がある!という考えも背中を押した。

これから上記③項目を簡単に振り返る。

①語学力向上

全くと言っていいほど伸びていないw
むしろ自信を無くしてしゃべれなくなった。

原因は、日本人の多い職場にいたこと、
話さなくても生きていけることに甘えて進んで話しかけることから逃げた。
毎日勉強しなかった。

情けない限りだ。
はじめのうちは、日記を書いたり積極的に話しかけたりしていた。

しかし日本人と仲良くなり、逃げ道を見つけたことで楽な方に逃げてしまった。滞在後半はプログラミングの勉強に専念することを言い訳に、英語を二の次にしていた。

帰国後すぐ、フィリピン留学を予定している。
毎日10時間近く英語のレッスンを受ける予定だ。ここで挽回したい。

また、英語学習は地道な単語・文法学習が最も重要だし、長期的に継続することが大切だ。フィリピン留学に頼りすぎず、自身での学習も行っていく。

②海外で生活するバイタリティをつける。

この1年でいろいろ経験した。
海外での家探し、仕事探し、バックパッカーでの共同生活、
海外での税金手続き・・・・

そして、困ったときネットで調べればほとんどの情報は先人たちが記してくれていると学んだ。
 また、人脈が非常に重要で、友人経由で仕事や家が見つかることも多い。
日本人にはちょっとない感覚だが、彼らは周りの人に積極的に頼る、お願いする。その分、自分も進んでGiveする。

聞こえは良くないが、人間関係は最大の資産だと学んだ。

オーストラリアはワーホリ先として最も人気だし、多くの日本人が移住している。
そのため、SNSやネットで調べれば簡単に情報が見つかる。

私は将来、東南アジアに移住できたらいいなと考えている。
東南アジアとなるとオーストラリア程、ネット検索で問題解決できないかもしれない。
その時は、積極的に周囲の人と仲良くなれるよう努めたい。

③やりたいことを見つける。(好きを見つける)

漠然とした目標だが、なんとなく答えが見えてきた気がする。
以前は、自分は何が好きで何がしたいのか、何が嫌いなのかわからなくなっていた。
何かやろうとしても、お金の不安が邪魔をして行動できなかったし、
世間体や、周りの視線がきになっていたと思う。

オーストラリアは、世界各国からの移民が半数以上いるし、ワーホリも積極的に受け入れているため、
非常にグローバルだ。
異なる文化を持つ人を尊重しあい、程よい距離感で共存する様子に触れた。

また、異なる世代の人たちと関わった。
好奇心に誠実で、興味位を持ったらすぐに行動できる行動力。
世間体や常識にとらわれない、自分のやりたいことを認め割れる強さにも触れた。

私はそんな生き方がしたい。
承認欲求や世間体に従うより、自分が興味惹かれるものを追い求め、失敗しても笑ってられる、楽しいって言える、そんな生き方がしたい。

この1年で、「これ好き!!」ってものがいくつか見つかった。
田舎で桃を育ててみたいし、ブドウ農家を営みその横でワイナリーを開きたい。
自然あふれる場所で、昼はカフェ、夜はBarを開き、常連客と楽しく談笑したい。
ヨガ教室を開き、自分の庭の野菜で作った料理でランチを提供し健やかな日々を送りたい。

あげたらきりがないが、自分はやはりボタニカルで健康的な生活に魅力を感じる。
ITやマーケティングはかっこいいが、本質的に楽しい人生を送れる自信がない。
1つの答えは見つかっていないが、以前より明るい未来が見えてきた。


1年の軌跡

【概要】

①ブリスベンで語学留学
②仕事探し。ファームジョブ。
③シドニー生活 前編
④シドニー生活 後編
⑤パース生活
➅おまけ(ケアンズ旅行)

①ブリスベンで語学留学

最初の1週間は語学留学をした。
1瞬で終わったので特に思い出はないが、
ホームステイ先のfamilyとゲームをしたりして良くしてもらった。

②仕事探し。ファームジョブ。

なかなか仕事が見つからず焦っていた。
たまたまブルーベリーピッキングの仕事が見つかり、2週間後にシドニーとブリスベンの中間の町、コフスハーバーに引っ越す。
2週間はフロントエンドのプログラミングを学んでいた。

ファームは田舎の小さな町。
朝から夕方までブルーベリーを積む仕事。楽しくもありきつくもあった。
ブルーベリーはおいしい。
ただ、オーストラリアの最低賃金を大きく下回るブラックな職場だったため2週間で辞めた。
コフスハーバーの町は海沿いの静かな町で、とてもいい街。朝に歩いて15分の海に行きチルするのがお気に入り。

③シドニー生活 前編

仕事も家も見つからぬままシドニーに移動したので、
最初の2週間はホステル生活。
プライベートのない環境がストレスだった。

幸運なことに、仕事を探し始めて2日で仕事が見つかった。
うどん屋さんの仕事と、フードドライバー。
結局フードドライバーとして働くことに決める。

朝7時30分に仕事が始まり、昼休憩は30分、18時30分ごろに終わる。
日本だと違法だが、まかないももらえるし満足していた。

まもなくして、家も見つかりようやく生活が軌道に乗る。
正直、シドニーについてからの2週間は精神的に病んでいた。
お金の不安と、家が見つからないストレス、自炊が難しい環境だったためバランスの悪い食事。

しかし、家が見つかりようやく健康的な生活を手に入れた。

④シドニー生活 後編

日本人の大学生3人との共同生活。
28歳だった自分にとって、とても刺激的で新鮮な日々だった。

彼らはエネルギッシュで希望に満ちていて、行動力がある。
若いエネルギーに触れ、自分もパワーをもらった。

シドニーは、Jinやウィスキーの醸造所が多く、いくつかの醸造所を巡った。
ビーチにもたくさん行った。

充実した日々だった。

⑤パース生活

2月にパースに引っ越し、マッサージの仕事を始めた。
理学療法士の経験があったので呑み込みは早かった。

ずっと行きたかった、ロットネス島でクウォッカにも会えた。
想像していたよりも大きく、害獣化していたけど、いい島。

正直、パースではほとんどJAVAの勉強をしていたので引きこもっていた記憶しかないwww

おまけに、Vtuberにはまり、仕事後はずっとさくらみこのYouTube配信を見ていたww

➅おまけ(ケアンズ旅行)

最後3日間だけ、ケアンズに滞在して観光したのだが、
とても数奇な体験ができた。
世界遺産、グレートバリアリーフでダイビング、OGビーフ、最高すぎた。



まとめ


駆け足だったが、オーストラリアでの体験記とさせていただく。


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