▱鎖骨骨折記8日目 4/13 退院日

結局朝までほとんど座った状態で過ごした。薬が効いているうちは大分楽だが、それでも体を動かそうとすると袈裟斬りにされたような痛みが走る。
夜中、ベッドのリクライニングのリモコンや尿瓶へ手を伸ばすのにも苦労した。ナースコールですら手が届かず気がどうにかなりそうだった。
スマホを持つのもだるいし、途中で充電が切れてしまう。無用の長物をベッドの隅に押しやり、文庫本やPCで時間が潰したかった。しかし貴重品を入れた棚は遠く到底手が届きそうにない。熱は38度台をうろうろし管だらけの体でもがくが不快感が増すだけだった。想像はしていたが実に苦しい夜だった。


6時起床を前にして5時を半分近く回ったころパジャマに着替えさせられ車椅子で手洗いに行くことができた。夜から10時頃までいた看護師は最初こそつっけんどんな態度だったが、夜中定期的に様子を見に来てくれ、汗を拭いて、姿勢を変えるのを手伝ってくれた。自分で何とかしようとする態度が好きな様子だった。自分はこれを慈愛とは取らず多少なりともサドの気ありと見た。

朝食は右腕に力が入らず初手で箸を落としてしまった。ナースコールを押してもしばらく来なかったので食べられるものだけ箸一本、左手で、というよりは養鶏場の要領で首を食器に下ろすようにしてなんとか食べた。酢の物のさっぱり感がありがたかった。力が入らないので箸が通らず結局お米は7割方を残してしまったがそのことを話したらこれくらいならほぼ完食だと言われた。お味噌汁をおかわりして残りも食べたかったのだが。
術後最初の食事は飲み下しに支障がないか見ていたりするものだと聞いていたがそれもなかった。一人で食べられるかと訊かれたときにこれもリハビリですからといった手前もあるのだけれど。
箸より重たいものを~なんて冗談で言う事があるが白米を持ち上げるのすら重労働で、朝食の写真は撮る余裕がなかった。

以降は何もすることがなく点滴を替えたりバイタルを見たりするのをぼんやりと眺めながら過ごす。薬が切れてくると痛む。どうやら抗生剤を大量に流しているようだ。
9時頃、何とか立てるようになったので暇つぶしに飲み水を買いに歩く。昨晩までホットだったミルクティーがアイスに変わっていた。カフェインを摂るのはいかがなものかと思うだけの分別は残っていたのでミネラルウォーターにした。ちなみにこの自販機にはエナジードリンクも並んでいる。いいのか?
主治医の往診があり(といっても2、3言葉を交わすだけ)10時過ぎに一人で歩いてレントゲンを撮りに行く。パジャマで外来を歩くのは新鮮な体験だった。

仕事相手が鎖骨骨折経験者だったので用向きついでに手術をして痛いなどと談笑した。痛いのはこれからだと言われた。

頻繁に点滴を入れ替えられる

点滴が落ち切らないので午後もしばらく居ることになった。昼食は苦労しつつも完食。栄養剤を打ちながら食事をするというのもなんだかおかしな話だが。服薬してベッドに座り目を閉じたら1時間ちょっとが経過していた。自宅で飲む薬を看護師の方が持ってきてくれたタイミングで気が付いたのだが、不意打ちに意識が途切れていた事に少々動揺した。肩の消毒液の匂いがなんとなく麻酔で意識の落ちる瞬間の匂いとシンクロし脳が錯覚を起こしたのだろうか。これは帰宅して衣類を変え、風呂に入った後もしばらく続いた。
ともあれ退院後薬局に処方箋を持っていくあの一連の行為をしなくてよいことに少しだけ気が緩んだ。

術後の昼食

14時過ぎ、とりあえず歩けることは確認できたので退院することに。
相変わらず病室の老人が騒がしいのと、座って寝る分には家も病院も同じという事であとは何も考えずに帰ることにした。次の手術は個室を取ろうと思う。

さすがに散歩して帰るほどの体力はなく、山靴を履いてふらふらとバスと電車を乗り継いで帰宅した。ザックが重たいことには閉口した。胸や肩は痛むが術後すぐのあの痛みがぶり返すようなこともなく、定時に服薬すればうまく我慢できるレベルだった。
ただし倦怠感と発熱だけはいかんともしがたく、家のことはほとんどできなかった。術後すぐに精力的に動くなど土台無理な話である。入院時の荷物だけ片付け、総菜などで夕食を済ませたらなんとなく病院の起床時間と同じ6時に目覚ましを掛け眠る。慣らすために枕を背に入れて横になって眠った。

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