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令和6年能登半島地震に思う

令和6年の幕開けは悲劇的なものとなりました。発災直後、NHKから流れる山内泉アナウンサーの大津波警報の絶叫、次々と入ってくる現地の悲報。決して他人事とは思えません。

心から犠牲になった方々へのお悔やみと被災された方々へのお見舞いを申し上げます。
私は前職が海上自衛官であり、平成時代に起きた震災とはほとんど何らかの関わりがあり、過去にも何度かnoteに書きました。 

平成5年に起きた「北海道南西沖地震」の直後に奥尻島沖を航行し、甚大な津波の被害を目の当たりにしたこともありました。

実際の災害ではありませんが、首都圏での自衛隊統合防災演習に関わったことも何度かありました。
最初は2000年、二度目は2006年でいずれも9月1日の防災の日に合わせたビックレスキューと呼ばれた演習でした。当時は石原都政の時代でしたが振り返ると石原都知事が如何に震災対策に真剣に取り組まれ実行されたかあらためて思います。
2000年は初めて自衛隊の車両が銀座に入った、陸上自衛隊の部隊が都営地下鉄で移動したとかいうことが殆どのメディアで批判的に報道されていました。世論の風潮が自衛隊が防災演習とはいえ参加することにはまだ否定的な時代でしたが知事は敢えて断行されました。そして、演習終了後に晴海で行われた知事の講評訓示を間近で拝聴しましたが、官僚の作成した原稿をたどたどしく読み上げるだけの当時の総理大臣(敢えてお名前は申し上げません。)とは対象的であり都民を守ろうとするお気持ちに溢れたもので本当に感動しました。

2006年の演習においては、知事は在日米軍の演習参加に尽力され実現されました。米軍ヘリコプターの荒川河川敷への着陸(天候不良のため計画のみで実現せず)、米海軍の晴海埠頭への入港などいずれも当時は高いハードルがありました。米軍ヘリコプターについては地上で管制に当たる自衛隊が使用する周波数の米軍航空機の使用許可に総務省が難色を示し抵抗しました。彼らの言い分は災害時は認めるが演習時は認めないという意味不明なものでした。
また、米軍艦艇の晴海入港については反対も多くあり、様々な方面から妨害を受けました。
多くの中央省庁(防衛省を含む。残念ながら。)は、このような知事の取り組みをスタンドプレーと見做す向きが多く協力的ではありませんでした。
しかし、このような取り組みが数年後の東日本大震災におけるトモダチ作戦に繋がったと私は信じています。

石原都知事は御自身の言動により敵も多い方でしたが卓越した突破力をもって他者には実現不可能な功績も大きかった稀代の政治家であったとあらためて思います。
あれ以来、日本は何度も自然災害を経験し、あの時私が経験したことは改善されていると信じたいですがどうなのか。
災害関連死が生じるような避難所の改善、発災直後に必要な人命救助活動により多くの人員を集中する手段、そのために平素から行う準備(備蓄、計画、訓練)など改善するべき課題は、まだまだ多くあるように思います。
青山繁晴参議院議員がご自身のYouTubeチャンネルで指摘されていることがなかったのか。事後検証が必要だと思います。


政府は米軍からの支援の申し出を受け入れるそうですが中央、政治レベルでの調整をしっかり行わなければ決して進みません。
むろん、お正月返上で対応されている自衛隊、警察、消防、海上保安庁、地方自治体、医療関係者の献身的な姿には本当に頭が下がる思いです。現地の方々の努力に報いるためにも、実効性のある検証をお願いしたいです。

今回、私の故郷の富山県も石川県ほどではありませんが被害がありました。
私の記憶では、過去日本海側で起きた日本海中部地震などの震災においても被害は免れてきたことから、地震に対しては安全な場所だと考えられてきました。

しかし、歴史を遡れば富山県も大きな震災の被害があったことがわかります。歴史に学び震災への備えを行わなければなりません。
日本どこでも同じであり、個人レベルでできる準備はしておこうと思います。

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