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ベルベット・ゴールドマイン

[ネタバレ含みます]

公開 : 1998年10月23日
監督 : トッド・ヘインズ
ジャンル : ドラマ・ミュージカル

デヴィッド・ボウイをモデルにしたフィクション映画とされているが、ボウイは楽曲提供は一切行わず最後までこの映画のことは認めなかったそう。
監督は熱狂的なボウイのファンで、厳密に言えばボウイの演じたジギースターダストのファンだったのだろう。ジギースターダストはイギリス公演を最後に事実上の死を迎える。恐らくその当時の衝撃と熱量を監督の視点で描いた映画になっており、彼の死を目の当たりにした監督の喪失感からその後のボウイの姿には失望を覚えたのかもしれない。ボウイがこの作品のどこを差して「認めない」と言っているのかは分からないが、ファンの視点から見たスター像と当時の栄光と葛藤の表層だけを掬われ伝記のように描かれる本人との想いは…まあ交わることはないだろう。

登場人物を置き換えると分かりやすいかもしれない。
ブライアン・スレイド(マックスウェル・デイモン)=デヴィッド・ボウイ(ジギー・スターダスト)
カートワイルド=イギーポップ
記者のアーサー=監督

ボウイの伝説がいつくも再現されているらしいが、違う点としてはグラムロックの革新的キャラクターであるマックスウェルデイモンを偽装射殺した上その後衰退したように描かれている。
ジギースターダストも英国ツアーで死を迎えるがその後のボウイは落ち目では無く、興行的な視点とアート音楽を両立させた、それそこ革新的な存在であるはずだ。だが監督はおそらくジギーダストの死とその後のボウイの活動を受け入れられず失望を覚えたのだろう。だからこの映画は客観的なボウイ伝説を描いたのではなく監督の主観がかなり強い構成になっている。

監督が伝えたかったことのもう一つの要素は恐らく緑色の宝石に隠されている。
オスカーワイルドに始まり、ジャック、ブライアン、カート、アーサーとリレーされる宝石は簡単に言えば聞こえは悪いがゲイの証、つまり自分の心を認め偽りなく表現できることの象徴だ。
オスカーワイルドと言えば同性愛を罪に刑務所に入れられた事件が有名で、現代におけるLGBTの活動にも大きな影響を与えている。
そして監督自身もゲイを公表している。
誰かを愛し、その人そのものに惹かれたのであれば性別が障害になることはどう考えたっておかしい。男女じゃなきゃいけないなんて誰が決めたのか?アダムとイヴか?いつの時代の何に縛られてるか知らんが、今だに同性愛を異端の目で見ている人間は残念なことに現代にも存在する。
…まあ、そう言ったしがらみから解放してくれたのが監督にとってはボウイだったのだろう。

この映画は監督なりのジギースターダストへの賛美と追悼、そして感謝が込められているように感じた。

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