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エルトポ

[ネタバレ含みます]

公開 : 1971年4月15日
監督 : アレハンドロ・ホドロフスキー
ジャンル : ドラマ・ファンタジー

「エルトポ」とは「モグラ」を意味するらしい。
主人公のエルトポは
自分のテリトリーの中では一番強い存在であり、世界のトップ、つまり「自分は神である」と過信していた。しかし、一歩外に出て世界を知ると、自分はとてつもなくちっぽけな存在だということに気づき、どんどん惨めな姿になっていく。

苦しい世界をかき分け、トンネルを掘り進め、やっとの思いで地上に出たモグラは太陽に焼かれて死んでしまった。


一度死んで異国の地で別の人生をやり直すパターンはリアリティのダンスでも使われていた構図だ。というかこの映画自体がリアリティのダンスの原型と言ってもいいのかもしれない。
強さはあるが倫理観に欠けている父と捨てられた息子。この頃から監督の「父」というトラウマを昇華する為の映画を作りたかったのではないだろうか。エルトポでは寓話的に描き、リアリティのダンスでは直接的に自伝として描いている。


私はまだ監督の作品は3作しか見たことがないが、どの作品にも「道化」が出てくるのが特徴的だと感じた。この「道化」というのは、元々奇形の人々などを魔除けとして貴族が所有していたペットのような存在だったらしい。滑稽な姿をあえて晒すことで周囲を笑わせる、惨めな立場のようにも思えるが、一方であけすけな物言いも許されるような一面もあったそうだ。
監督の作品ではこの道化を、自分の閉鎖的な世界と解放的な世の中を繋ぐ役割として捉えているように感じた。エルトポでは自分以外の世界はネガティブに描かれ、エンドレスポエトリーではポジティブな世界として、道化を通した世界が正反対に描かれているのが面白い。

そして、この映画の凄まじいところはやはり、人類の3大タブーをあえて描いてる所にあるように思う。
殺人、人食(蜂の巣で代用)、近親相姦。更に同性愛、フリークスなども当たり前にさらりと演出してしまっている。ハリウッド映画だったらこのような要素は一つを取り上げ敢えてスポットを当てるだろうが、監督の映画はそれらは「普通」であり「普遍」なのだ。決して特異な存在ではない。
障害などを感動ポルノのように扱い、差別や偏見を無くそうというメッセージだと主張する作品よりもよっぽど平等で偏見の無い世界だと私は感じた。


そんな監督の自分を貫く姿勢や審美眼、哲学に私も心を射抜かれてしまった。

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