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未来世紀ブラジル

[ネタバレ含みます]

公開 : 1985年2月20日
監督 : テリー・ギリアム
ジャンル : SF

舞台は情報統制された未来のどこかの国。ディストピアの世界をシュルレアリスム的に描いているような印象を受けた。

監督の過去作などを踏襲して作られたらしいので、完全に内容を理解するにはかなり難解な作品。今の自分では知識不足でどうしようかとかなり頭を抱えたが、とりあえず自分なりにこの作品を読み解いてみたいと思う。

この映画は「ダクト」がかなり重要なキーとなっており、現代でいうネット回線と考えればいいだろうか。とにかくこのダクトが情報統制社会の象徴なわけだ。
主人公が身を置いている上流階級や役所の人間の世界ではこのダクトは綺麗に隠され、労働階級の人々の世界では剥き出しに小汚く張り巡らされている。
上流階級と労働階級では人間性にも大きく差をつけて描かれていて、後者は他人を思いやり他者との繋がりを大切にするような所謂人間味のある人たちが多い。一方、前者はまぁ自分の利益しか考えない頭のおかしな人物ばかり。多分この映画のコンセプトとしてはぶっ飛んでればぶっ飛んでるほど良いのだろう。
主人公はそんな中でも、失敗を認め他人への配慮ができるまともな人間性の持ち主かと錯覚させられる。が、物語が展開していくに連れ、あーこいつもやばい奴だったし、何ならこいつが一番やべえんじゃねぇの?って感じで暴走していくことになる。

あまりにも登場人物達の言動やビジュアルが強烈すぎて、この映画はストーリー性よりも創造性だったりビジュアル重視の『アンダルシアの犬』的映画なんじゃないかとも思っていた。しかし、物語の終盤に、彼の有名な『戦艦ポチョムキン』の片目が銃撃される名シーンがオマージュとして組み込まれている。
『戦艦ポチョムキン』といえば共産主義的プロパガンダ映画として名高いが、そもそも共産主義とは何ぞや?と思い今一度調べてみた。簡単に言えば国民の財産は全て国のものとして、一部だけが裕福みたいな社会ではなく皆が平等の社会を作ろう。という建前の元、支配階級が甘い蜜を吸い下々の民を政治的圧力によって抑圧統制していく胸糞主義のことだ。某国だったり、日本にも最近このきらいがあるような気がする。というか共産党って名前を掲げて堂々と政治活動してるの凄くないか?
まぁそれは置いといて。ということは、まさにこの『未来世紀ブラジル』の世界ではないか。

この映画では支配階級の人間を漏れなく変人として描いており、共産主義へ賛同する者への揶揄というか、客観的にお前らをみたらこんな感じに滑稽だぞ?とおちょくっているようにも見えた。
この世界では少しでも道を外れた物は罰金を課され、命すら簡単に奪われる。支配階級にいる人間だって、自分が支配している側だと思っているが、綺麗な壁の裏側には無数のダクトが張り巡らされいつでも監視下にある。
映画のテーマは「ぶざまなほど統制された(awkwardly ordered)人間社会の狂気と、手段を選ばずそこから逃げ出したいという欲求」だそうだ。(wiki参照)

圧倒的ビジュアルの下には監督の最大限の皮肉が込められていた。

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