シザーハンズ
[ネタバレ含みます]
公開 : 1990年12月7日
監督 : ティム・バートン
ジャンル : ファンタジー
何も知らない時にスウィニートッドとシリーズ物だと思ってたんですが、全く別物でした。ジョニーデップの演じ分けは本当に圧巻ですね。スウィニートッドと同じ人が演じているとは思えないし、シザーハンズの中だけでも周囲から愛されている時と遠ざけられている時のエドワードの印象が全く違いました。ロボットでもなくサイボーグでもなく「作られた人間」という絶妙な設定を見事に肉付けしていて、人間離れしているけど無垢で愛嬌のある姿は住人達に受け入れられ可愛がられる人物像を説得力あるものにしていました。
メイキングの中でこの話は寓話であり教訓が込められているという風に語られていましたが、ここで言う「教訓」とは一体何なのか考えてみました。
①見た目で人を判断してはいけないということ。「障害」とは?
多分一番分かりやすい部分はここかなって感じですかね。作中で「ハンディキャップ」「障害」という単語が出てくる辺りからも偏見を持つ事に対しての注意喚起のメッセージを感じました。エドワードは手が自由に使えなくて心も未発達、いわゆる障害者的な描かれ方をしています。
マジョリティに当てはまらない人を「障害」という言葉に当てはめて社会的地位を低く扱う風潮は本当に問題だし、気をつけていても無意識に差別的な思考になりかねない怖さを持っています。「できないこと」と「やらないこと」は全然違うし「できない」ことを無理やり矯正させようとするのは加害に近いなと私は思います。「できないこと」にスポットを当てるのではなく「できること」に注目していく社会になっていって欲しいですね。少しづつ変えて行こうとする動きはありますが、まだまだ粗探しが得意なお国柄は抜けてないように感じます。書いているうちに愚痴みたいになってしまいました。次。
②自分の価値観を他人に押し付けるのは良くない
①にも繋がりますが、自分にとっては「いい事」でも相手にとっては苦しかったり追い詰められてしまう時もあります。町の人たちは良かれと思って自分たちと同じ様にしてあげたい、エドワードの魅力を引き出してあげたいと思い目を掛ける訳ですが、エドワードは結果的に壊れてしまいます。自分基準で物事を考えるのは例えそれが良心であったとしても気をつけたいですね。
③世の中お金が全てなの?
作中では資本主義への批判というか問題提起がされているように思いました。
エドワードが壊れてしまうきっかけには「お金」が絡んでおり、美容院を開こうとした時、ピッキングの技術が盗みに悪用されてしまった時、カットの対価であるクッキーをバカにされる描写もありました。クッキーはエドワードの心臓であり博士との思い出、エドワードにとっては何よりも価値のあるものだと想像できます。
エドワードのハサミを使った芸術はいわゆるアウトサイダー的で自分のためのものであって、そこに資本主義の価値観をむりやり当てはめてしまうと歯車は合わなくなっていきます。
これは憶測ですがティムバートンは本当はお金儲けのことは考えずに自分の芸術を作っていきたい、けれど自分のやりたい事を実現するためにはどうしても興行的な視点は外せない。そういった監督の葛藤も描いてるんじゃないかなとも思いました。
あとは男女の社会的役割を明確に分けて描かれているのも資本主義における性別役割分業を揶揄しているように感じました。でもエドワードを迎え入れるペグ一家だけは女性が働いていて、そんなペグを町の人たちは変わり者扱いしているようでした。集団心理の怖さも感じます。
監督はこの物語を普遍的なものと語っていましたが、こんなに特徴しかない主人公を確かに共感できるものにしています。それは「エドワード」というそれこそ普遍的な名前であることが重要なんだと思いました。
邦題は「シザーハンズ」だけですが原題は「Edward Scissorhands」でエドワードの名前が態々入っています。これが特徴的な唯一無二の名前であったならシザーハンズはモンスター的な印象を受けたかもしれません。エドワードというどこにでもいる男性の名前だからこそ共感が生まれ寓話として成り立つのでしょう。多分。
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